気分は上々
今日も仕事が始まった。
私の仕事場はこの町の病院の裏手にある。そこで私がどんな仕事をしているのか、そんなことに興味を持つものは誰もいない。ましてや、病院の裏手に私の職場があること自体、誰も興味がないことだろう。少なくともここに住まうものならば。
だから私はここで多くは語らず、ただ淡々と仕事をこなす。
私が開業の札を挙げると、一人二人と客が待合室へと入ってきた。
カルテを見合わせながら一人ずつ問診室へと招き入れる。
一人目の客は若い男だ。いや、老人か。
若い男は言った。
「あの看護士が俺の足を折ったんだ。もう何も解っちゃいねぇと思ってやがる。許せねぇ。いてぇ、いてぇよ、」
「お前の恨みつらみは私の管轄外だ。お前はどうしたい?」
若い男は鬼の形相と成り、続けた。
「呪ってやる。呪い殺してやる。」
「なるほど。ならば病棟の徘徊を許可しよう。扉の奥の階段を下るがいい」
怨嗟に身を焦がし、どれだけ堕ちようが、それは私の管轄外である。私はただ、客の行き先が『上』か『下』かを書類にまとめるだけだ。ただ、この町は私が着任してからというもの、『下』ばかりで嫌気がさす。
次に来た客は老婆であった。
己の魂の形を知る者は言った。
「私は死んだのですか?」
該当者のカルテを眺めながら、頷いた。
「そうですか、夢のように心地の良い時間だったわ。私、子供にもどったように、」
「それでお前は多大な迷惑をかけた」
「今まで頑張ってきたのだから、大目に見てもらえませんかね?」
と、一瞬少女のような茶目っ気を見せた。もう『上』か『下』かを尋ねる必要もない。
「では、お前の心が赴くままに、扉の階段の向こうを臨め」
「はい、ありがとうございます。」
この町では珍しいこともあるものだ。カルテには遺族全員が泣いたと記されている。
昼休みに入り、一服をしていると、一人の少年がやってきた。頭からは血が流れている。
「今は昼休みだ。問診なら。あと45分後だよ」
ぶっきらぼうにそうは言ったものの、私は内心困っていた。正真正銘の少年は私の管轄外であった。
「ここはどこ?ぼく、帰らなきゃ」
「ここは私の仕事場だ。帰れるなら帰るといい」
「ママが心配するよ!!帰らなきゃ!!」
「ああ、そうだな。帰ったほうが良い。帰れるか?」
「ここはどこなの?どうやったら帰れるの?」
「それは知らないさ」
45分間、こんな問答で時間をつぶしたくはないので、少年を待合室で待たせ、私は問診室で一服の続きをした。
部屋の壁を挟んで少年のすすり泣く声が聞こえてくる。せっかくの休憩時間だというのに気が滅入る。
時間が経ち、午後の問診の時間になると、私の机には真新しいカルテが置いてあった。
「なるほど。これは特別手当が必要だ。さあ、少年、こっちにおいで」
「おじさん、僕はもう帰れなくなったんだね。」
泣き腫らした顔は、自分の身に何が起きたのか悟った様子で、少し大人びたように私の眼には映った。
「またママとパパに会えるかな、」
「望めば逢えるさ」
「扉の向こうに行けばいいんだよね、」
「ああ、階段の先を臨め」
「うん。またね、おじさん。」
またね、か。どんな無知なモノでもここに来れば識ることができるのだろうか? ヒトならざる私には判らぬ事だ。
少年は静かにドアの先へと向かっていった。
私は椅子に深くもたれ、目を瞑り、天を仰いだ。
……この仕事も悪くはない。上々だ。