三
星が見える。
冬の空にひときわ輝く三つ星が頭上にあって、それが目に入った。
「あれ……」ガニュメデスがゆっくり上半身を起こす。「ボク、助かったんだ……」
「そのまま寝ていろ」
「あ。アルシアスさん」
と、彼女のほうに顔を向けると、肩から首のあたりにかけて刺すような激痛が走る。
押し殺したような小さな声がもれて、ガニュメデスの両方のまぶたがぎゅっと閉じられた。
「だから、じっとしてろと言っている。命にかかわる深手ではないみたいだが、けっして浅いケガでもない。その体ではもう戦闘はむりだ」
苦悶の表情の彼女の横を通り、空中庭園の端から下を見下ろした。
それで納得がいく。
(あの地面の大穴……おそらくは大砲によるものだろうが、あれが地下書庫の天井を割って、閉じ込められていたあいつが地上に出られる道をつくったということか)
オーロラが自分より先にここに到達できた理由は、これでわかった。
だがこの高低差。
天を翔けるような跳躍力がなければ、地上から容易にはたどりつけない。
無類の身体能力。
「アルシアス、私に、手をかしてくださる?」
側壁からとどく細い声。空中庭園の足場をつかむ白い女の手と、風にゆれる灰色の髪がわずかに見える。
手をとってにぎり、ぐっと力強く上に引いた。
助かりました、とそこにあらわれたのはカミーラ。
「オーロラは?」
「あそこだ」
アルシアスがさした方向を見るが、
「あれでは、私たちは入っていけませんね……」
空中庭園の中心付近、広範囲が煙でおおわれている。
気流のせいか、下から次々と舞い上がってくる白煙、黒煙がそこに供給されて、晴れあがる気配はない。
「じきに決着がつく」アルシアスが断言した。「オーロラも、あの女も、剣の達人だ。長期戦はないだろう」
「そうですね。あの限られた間合いでは」
「だが」赤い髪が強風になびく。「ヨアンナの持つ剣……〈タイム〉というのはかなり不気味だ。ガードの直前もしくは直後、予期せぬところが斬られるという信じがたい性能がある」
「でもオーロラなら……」
「そう思いたいな」
アルシアスは腕を組んで、戦いの動向をみまもっている。
カミーラはその横に立って、一人の人影に注視していた。
(あれがロスマリンの妹……)
ディーから事前に聞いていたとおり、父と姉によく似た、光沢のある黒い髪。
地面にへたりこんで、かなり憔悴している様子だ。
まばたきもせず一点を見つめている、その視線の先をたどると、
「う……」
低くうめく男が横たわっていた。いつか、私が処刑されそうになったときに、オーロラといっしょに私を助けてくれた男だ。
かなり顔色がわるい。体の下には血だまりもできている。
それを立って見下ろすロスマリン。
「カミーラ、アルシアス」と、顔はコブラに向けられたまま、声だけがかけられる。「くれぐれも、私の邪魔はしないでください。もし、オーロラが敗れるようなことがあれば」横顔の、細いあごが上がった。「私が命をかけて、あの女を殺します」
◆
煙に巻かれてヨアンナの姿を見失った。
しかし確実に近くにいる。
(どこだ)
攻撃がくるのを察知。
体が勝手にうごいた。
首筋までせまった剣をはね返す。
見える。
この不良な視界においてさえ、刃の流れがはっきりと。自分のものも相手のものも。
三本。
三回。
軽妙なリズムのように、金属音が鳴り響いた。
(すべてをとめた)
ヨアンナにかすかな動揺。
数年、いや数十年にもおよぶ長い時間、数えきれないほどの罪ぶかき戦士たちを葬ってきたが、ここまで迫られたことはない。
〈タイム〉の秘密を見破った者ならば、いる。
そもそも、秘密というほどのことではない。ただ、刀身の中に〈本体とはべつの二本〉が収納されていて、それが剣のアタックのさいに遠心力などの力の作用によって縦に、横に、または斜めに広がるだけだ。
仕組みは単純だが、これにヨアンナの精緻な剣術と、過去と現在と未来を斬るという謎めいた口上がくわわれば、誰しもが〈タイム〉にミステリアスな何かを感じずにはいられない。
大半、この怪奇にのみこまれて死ぬ。
若干、謎の正体を見抜くが、
(それでも私が勝つのよ)
眼球のすぐ前を横切った刃物。
防御の動作には入っていたが、間に合わなかった。
あれが命中しなかったのは、ただの偶然か幸運だろう。
オーロラの腕をもってしても、こうして三本のうちの一つを打ちもらしてしまう。
「長生きがしたい? そんなに人を殺しておいて……」
ずいぶん身勝手ね、と攻撃。
このはやさ。
受け切れたのは、三つのうちの一つだけだ。
とうとう体をやられてしまった。
全力をつくしても、ヨアンナに、とどかなかったか。
負ける。
「オーロラ」
なつかしい声。
「心から愛した人間は、死してなおオムニプレゼンス(※ 遍在、どこにでも存在すること)なのです。だから、多くの人を愛しなさい。私が、あなたを愛したように」
にこっ、とやわらかく微笑んだその姿。
母親のように自分を育ててくれたマルシェル。
白い頭巾に僧侶の服を着て、剣……オーロラと同じ剣、〈バラトーレ〉をにぎっている。
そして彼女の刀身が〈タイム〉の凶刃をとめていた。
(おかしい)
立ちこめる煙でよく見えないが、今、確かに手ごたえはあった。
それなのに、オーロラの体に到達したのとほぼ同時に、剣が押しもどされた感覚が。
間一髪で防いだとでも?
神業ね……まあ、いいでしょう。
本当の神は私。
高邁な使命のために、こんなところじゃ死ねないのよ。
そう。世に蔓延する、訂正されない誤りを刈りつくすまでは……。
「死になさい」
静かな動きでふりあげた右腕。
グレーの煙幕がかかり、影法師のように全身が黒いヨアンナ。
だがオーロラがそこに見たのは、
(オムニブレイド)
カミーラたちと戦場をかけまわっていたころの自分。
塵で汚れた顔。防具に付着した返り血。
殺意を秘めた目。
みなぎる気迫。
見えない力に圧倒され、たった一歩、前に出ることすらかなわない。
そんな自分を、自分で押す。
オーロラはふみこんだ。
「あら……」
光の線が三つ。
そのうちの一つに狙いをさだめ、〈バラトーレ〉で撃った。
それは過去の自分の心臓をまっぷたつにする軌道。
「一点の破壊に、力を集中したのね」
私は過去の、私を斬った。
金属がへし折れる音。
鋭い刃が高速で回転しながら、空に高くあがって放物線をえがく。
刃先を下に、墓標のようにヨアンナとの間にまっすぐ突き刺さったとき、
「オーロラ!」
戦闘する二人をかくしていた煙が晴れた。
声をあげたカミーラがすかさず剣をかまえる。
「待て」
アルシアスが、肩に手をおいて制止した。
「もう、私たちの出る幕ではない……」
上から糸でつられたように、浮いている剣がある。
カミーラにはすぐにわかった。あれはシスカが愛用していた〈オリーヴ〉。
一対になった剣と槍。あれはテザリアのものだ。
アデレードの〈節剣〉も、イバンカが使っていたハンマーも……。
バドゥーヌの剣も、グレイスの剣も、パトリシアの剣まで。
空をうめつくすほどの無数の刃。それがオーロラの背後に。
「あの、おびただしい剣の束は、何?」
「ヨアンナのほうにも、あるぞ」
思い思いの方向を向いた剣。
それが一つ一つ、軍隊の整列のように向きをそろえてゆく。
全部の剣先が、オーロラの体に向いた。
「これは……幻覚ですか、アルシアス」
「心配するなカミーラ。私も同じものを見ている……」
ヨアンナが斬りかかった。
オーロラがそれを受ける。
二人のうしろにあるすべての刃も交差した。
交わったのは、ほんの一瞬だった。
「なんという……これは、神の奇跡なのでしょうか」
ロスマリンは自問のようにそう言った。
彼女の目からひとすじの涙が流れる。
オーロラの剣がヨアンナの剣を、こなごなに砕いていた。
連動するように、オーロラのそばに浮遊する剣も、ヨアンナがかかえる剣の亡霊を一つ残らず粉砕した。
雪だ。
この光景を目撃した彼女たちは全員、そう思った。
白く、小さな、光を帯びたものがたくさん地上にふりそそいでくる。夜空を背景にして。
ゆるやかに、まっすぐ、あるいは右に左に、小さくゆれながら。
あまりの美しさに見とれてしまったのだろうか。
誰もその瞬間を見ていない。
とどめがさされたところを。
胸から腹部にかけて斜めに入ったライン。
オーロラは、彼女に背を向けた。
三歩、前へすすむ。その時点で、ようやくヨアンナの身から赤い血がふきだした。




