神聖
あざやかな色の植物が、ゆれている。
まわりは黄色く、中心のあたりに蝶が羽をひろげたような形の黒色が配された二色咲きのパンジー。
少し青みのある白色の花を咲かせたローズマリー。
紫の花を咲かせたクレマチス。
純白のスノードロップ。
(風が出てきたようね)
と、ヨアンナは空を見上げた。
要塞教会の上部にある空中庭園。
たくさんの花々が咲き、樹木もわずかに生えている。
縦に一本、横に一本の小さな水路がはしって、中央で交差していた。上空から見たら、この水の道が〈十字〉に見えるだろう。
(華美すぎず、広さもほどほどで、非常に抑制がきいているみたい。ほんとに、みごとな庭園……)
しかし目的は散策ではない。
やむをえず高所に出たが、はやく下におりるルートを見つけなければ。
爆音。空気がゆれた。
獰猛な生きものの鳴き声のような音とともに、砲弾が飛んでくる。
(どこを狙っているのかしら)
それは放物線をえがいて、敷地内の建物のない部分に落ちた。白煙の向こうに、地面に大きな穴があいているのが見える。
(おそらく誤射ではない……。大司教の生死がわからない以上、ああいうなかば〈威嚇〉じみた骨抜きの攻撃しかできないということね)
あがってくる煙から顔をそむけ、ふりむいた途端、
「あら。あなたは、花の精?」
と言いながら余裕の顔をつくるが、ヨアンナの心中にはかすかな動揺が生じていた。
突然、目の前にあらわれた新手。
「ボクは妖精じゃないよ」両手に持ったダガーを回す。「そんなことより、どこに行くつもり?」
「また、おしおきをしてほしいの?」
火花が散った。
一秒未満のフラッシュがヨアンナとガニュメデスの姿を照らす。
(堅い防御)
二度、三度と斬りつけるが、剣がとおらない。
(あのときのような〈甘さ〉がない。短時間のうちにこんなに腕をあげて……)
末おそろしい。
いずれ、カミーラのように将軍になる逸材かもしれない。
と、いうことは彼女と同じくらい〈人を殺める〉可能性があるということ。
じゃあ、その前に、
「ここで死んでおく?」
ガニュメデスはその言葉と、微笑に、ぞっとした。
(こわいよ、オーロラ……)
◆
「待て!」
強い声で、呼び止めた。
「オーロラは、どうした?」
と、剣をつきつける。
自分の近くに立ったその女が、ゆっくりとふりかえった。その動きで流れた黒い髪には、底光りのする宝石のような光沢がある。
「アルシアス……やはり、あなたは最終的にはオーロラに味方するのですね」
はやい。
右肩を狙った剣。地に対して四十五度に刃をかたむけ、ガード。
それを受けて、
(これは)
アルシアスは、今のロスマリンの〈体力〉が落ちているのがわかった。
それだけ、地下での戦いで消耗したということか。
「べつに、責めているわけではないのです」
剣を合わせたまま、じり、と向こうが近づいてきた。
私の体を直接襲うか、と警戒したが、そうではなかった。
ささやいた。
たった一言を。
「オーロラを、たのみます」
どういう意味だ、と反問したときには、もう彼女の体は空にあった。
ヨアンナがつくった〈逃げ道〉の縁に手をかけ、ぐっと身を上昇させる。
背景の夜に溶けるように、ロスマリンはいなくなってしまった。
くそっ、とアルシアスは入り口にむかう。
「カミーラ! あいつに逃げられ……」
いないのか、と最初は思った。
扉のわきで、壁に背をつけ、片方のひざを立てて座っている。
息は、あらい。顔も、少し紅潮しているようだ。
ひたいに手をあてた。
「この高熱……カミーラ、やはり背中の傷がまだ癒えていなかったのだな」
「それは、あなたの〈右肩〉だって同じでしょう? 私たちは、ともに手負いの身。それでも、オーロラの役に立ちたくて、この要塞教会にやってきたのです。そう……たとえ死んだって本望……」
「ふん。そんな自己犠牲、きっとオーロラは喜ばない」
図書館の中にもどり、地下書庫への階段をおりる。
途中で、左右から幾重にも倒れた書架。
ずん、と重い音が地下から聞こえた。
煙のようにほこりが立ち、その奥にいるのは、
「オーロラか?」
そうだ、とは思ったが確認のために声をかけた。
彼女の現在の体調を知るためでもある。しかし、よほどのことがない限り、重傷ということはまずないだろう。過去、〈カミーラ・クラスタ〉での戦闘でもほぼ無傷だったのだから。
「いってくれ」
という、聞きなれた声がとどく。
いつでもこうだ。
言葉はすくなく、弱音は吐かない。
アルシアスはうなずき、階段をあとにした。
治りきっていない体と、教会内での連戦の疲労で万全ではないが、不思議な、心性の高揚がある。
自分が誰かの役に立っているという充実感と、自分は一人ではないという連帯感によるものだろう。
天井から風がふきこんでくる。
彼女の足元に落ちている本のページがひらき、ばさばさと乾いた音を立てた。
◆
切り刻まれる。
思わぬ劣勢に、ガニュメデスのあせりはつのっていた。
おそらく、
(この人は、下から逃げてきたんだ。オーロラが負けるわけなんて、ないからね)
と、見抜いていた。
そして、
(だったらボクの役目は一つ)
完全防御の〈牙城〉を展開して、足止めをする。
ヨアンナの剣の軌道は見えている。
なのに、おかしい。
二本のダガーですべての攻撃を防いでも、いつしか、ぴっ、ぴっ、と自分が着ている服が切られる回数が多くなって、とうとう、
「あっ!」
胸、いや、横の肋骨のあたりが斬られた。
「痛かった?」
不気味な声。
気づかうような物言いに反し、その手はゆるめない。
肩、腰、もも、とたてつづけに斬られた。
最初……ここよりも前の、あの町の路地裏のときよりも、はやくなっている。
力を、温存していたのだろうか。
どこかで、こんな話を聞いた。
ナスティの民の女は、いくら年をとろうが、どこまでも身体能力があがりつづけるって……。
とにかく、このまま防戦では押し負ける。
やるしかない。
〈突撃の牙〉だ。守りをすてて、勝負しないと。
両方のダガーの刃先を向け、
「いくよっ!」
突進した。
「それを待っていたのよ」
同じく、正面から相手が直進で飛んできた。
伸ばされる手。
剣を持つ右ではなく、徒手の左。
予想外。
門を閉じるように両サイドから急ぐダガーの刃も、追いつかない。
入った。
「つかまえた」
首の近くの服をにぎり、そのまま、神に生贄をささげるかのように天高くあげる。
移動。
空中庭園が終わる、その端の部分まで歩く。
どうする気だ、とガニュメデスが思っていると、
(あ)
空。地上。建物。その三点が目に入って、自分がどこにいるのかがわかる。
もう……助からない高さだ。
目に、涙が浮かぶのを感じる。
気がとおくなった。
ガニュメデスの意識がとだえる。
「ちょっと残酷だったかしらね」
耳に、枯れ葉色の髪をかきあげた。
あと一秒か二秒後、不快な音がきこえてくるだろう。
可憐な少女の、骨と肉をつぶす音が。
ヨアンナは目をつむり、小さく首をふった。
「いいえ、私は神の代理人。憂わしい未来の予感にしたがって、こうしたまで。私は、つねに正しいのです」
本当に、そう?
この声。
幻聴だ。
神のような威厳に、無限の母性をもそなえた甘い声。
人の身で、このような声が出せるわけがない。
きっと私の中の声だ。私が、私の行為をたしなめたのにちがいない……。
ヨアンナ=エヴァンナスト。あなたは、神では
「ありません」
心をうばわれた。
なんということ。我が主たる神以外に、ほんのつかのまとはいえ、心酔してしまうなんて。
背に翼があるかのような、神々しい姿。聖なるものの姿。
どういう跳躍のしかたか、ゆっくり、下から浮き上がってきたように見えた。
その手に、ガニュメデスの小さな体をかかえて。
「私は」すっ、と地面に彼女の体を寝かせた。そして、体に多くの傷を負ったガニュメデスに〈慈悲〉のまなざしを向ける。〈ピエリオネット〉を持つ手に力が入った。「これまで、多くの者を天国へ送ってきました」
「へえ」間合いの取り方に、迷う。あの武器は伸縮自在。あまり、はなれないほうがいいようね、とヨアンナは一歩近づいた。「私も、そうするつもり?」
見えなかった。
手元で何かがきらめいた、光の一点だけの残像。
この攻撃動作のすばやさ。まだここまでの余力があったのか……それとも、ロスマリンのうちに潜在する何かが新生してしまったのか。
右のほほを、左手でぬぐう。
べっとりとつく赤い血。
「あなただけは、地獄へ堕とします」




