破壊されるもの
(これは仮説だけど)
地下書庫の通路を駆けながらヨアンナは考えていた。
(あれが全部、私に負傷の程度を見誤らせるための〈演技〉だったのだとしたら)
ぐらり、と大きく足元がゆれた。
両サイドの書架が、倒れてくる。
体に触れる寸前でヨアンナは一気にそこを走り抜けた。
(心底おそろしい。ロスマリンという女は……)
攻撃を受けてしまった不利を、次なる自分の攻撃のための布石にするその機転。頭の回転のはやさ。
今日が彼女の、いえ、彼女たちの裁きの日と心に決めていたけれど、こうなった以上は予定を変更することも視野に入れないと。
どうせなら〈四人〉でこの地下に踏み込んでほしかった。そのほうが対処がしやすい。でも、戦力を分散して配置したようね。
このあたりは、
(オーロラの知恵かしら)
と、ヨアンナは微笑した。
人影。
もうあとは階段をのぼるだけだが、その先に立ちはだかる人間がいる。
堂々としたシルエット。
「ネズミが出てきたか」
「ええ……光が恋しくなって」
アルシアスが一段、下におりる。
(階段直前まで聞こえた足音のはやさ……。それに)
視線をヨアンナの持つ剣、〈タイム〉に向けた。
(あの刃についている返り血は微量で、とても二人分ではない。この二つを考え合わせると)
こいつは逃げてきたな、と結論する。
オーロラとロスマリンを殺して、あがってきたのではない。だが、もしかしたら〈どちらか〉をすでに仕留めているという可能性は残るが……。
まあいい。
どのみち、無事にとおすつもりはない、と剣をかまえた。
位置的な有利はアルシアスにある。
ヨアンナは不敵な表情を浮かべながら、考えていた。
(まともに勝負するのは、ちょっと得策ではないようね。私は階段の下……せいぜい、彼女の〈つま先〉あたりまでしか確実に斬れない。それより上の部位を狙うと、おそらく向こうのほうが先に)
私の首を落とす、とヨアンナは想像する。
「どうした? こないのか? それとも、私の足にキスでもしようというのか?」
わかりやすい挑発。
じゃあ、少し相手をしてあげようかしら。
精神面でゆさぶりを……
「カミーラたちとはちがって」
なぜ今その名前を出す、とアルシアスの眉間にしわが寄った。
「あなただけが唯一、名前に〈姓〉を持たない正真正銘の孤児……。そう。〈四聖女〉の中でもあなただけが別」
階段をひとつあがった。
アルシアスに対応する様子はない。
おそらく、この一段か二段上からが〈赤光(しゃっこう)〉の攻撃エリア。
ヨアンナはつづける。
「古代語に精通していたマルシェル女史が、あなたに〈つなぐもの〉という意味の名前をさずけたのも、今となっては意味深長ね。いいえ、こういうのを〈皮肉〉というのかしら?」
「だまれ」
冷静な声だが、剣をにぎる手に力が入ったのが、手首近くの微妙な筋肉の動きでわかった。
(少しは動揺させられたようね。でも、やはり〈四聖女〉は全員、鋼の精神をお持ちみたい。ふふ、いい瞳を向けること……)
もたもたしていては、オーロラたちに追いつかれる。
たぶん、あのちょっとした〈力み〉がわずかな遅れをもたらしてくれるだろう。
私は神の代理人。
追いつめられるなどということは、あってはならない。
(なにっ!)
突進の本体が接触するよりも先に、風圧を感じた。とっさに〈オリエンタル〉をふるが、もうおそい。
ふところに、入られている。
そのまま、ヨアンナは両手をアルシアスの腰のあたりに〈はさむ〉ように回し、かつぎ上げた。
(これが女の腕力だというのか)
空の桶でも持ち上げるように、ふわっと持ち上げられた自分の体。
視界が回る。
空中に投げ捨てられたようだ。
着地の寸前に体を横にひねり、アルシアスはダメージを最小限にした。
が、すぐには立てない。
「くそっ……」
衝撃で、〈オリエンタル〉も手ばなしてしまった。
殺されるか、とヨアンナを見るが、
(あの鉄扉の向こう)
彼女はアルシアスにはかまわず、一点を見つめていた。図書館の、唯一の出口だ。
(いる。この威圧感と、空気中にただようかすかなにおい)
カミーラ=ウィルスグレイ。あの女だ。
ヨアンナは目をつむった。
扉をあければ、当然、彼女との戦闘になる。そうなったら一瞬で決着をつけないかぎり、背後をアルシアスにとられて、あやうい。そろそろオーロラたちも追いつくだろう。
となると、
(何をする気だ)
ロスマリンに報告したのち、ヨアンナに殺された〈光路〉のメンバーの男。
その死体のそばに移動し、床から何かをひろった。
剣。
(くっ)
アルシアスは手をかざして顔をかばった。
天井から落ちてくる、大量のガラスの破片。
上に、青黒い夜空が見えている。
円形の広大な明かり取りを、いきおいよく剣をほうり投げてヨアンナが破壊した。
目測であそこまで五メートルはある。
軽やかな足音を立て、まず本棚がならぶところまで飛んだ。天井まで届く高さの棚。
それを、
(馬鹿力め)
移動させる。
やっと体を起こせて、アルシアスは剣をひろった。
ずず、とひきずる音。
本棚の一つを片手でつかんで引き、それを倒し、真横の棚に斜めにかたむける。
あれを足場にする気か、と急いでヨアンナのあとを追う。
「不遜ね。あまり調子にのらないでちょうだい」
かたむいた棚に足をかけた状態で、剣をふる。
ガードしたが、アルシアスの腕が斬られた。
「私は神意の体現者。あなたごときは、相手ではないのよ」
「逃げるなっ!」
ヨアンナの体が動く。
その姿は、建物の外に消えた。
◆
「オーロラ……」
地面が振動する間隔が、小さくなっている。
「これは確かに、外部からの砲撃によるものでしょう。今のところは……」
オーロラは彼女の肩にふれ、首をふった。
言葉は必要ない。
それよりも時間がおしい。
いくぞ、と小さな声で言い、ヨアンナを追いかける。
(そうか。最初から、要塞教会は〈壊す〉つもりだったんだな)
おそらく、もうロスマリンは目的を達成したのだろう。あとはこの建物に爆薬をしかけ、その混乱に乗じて脱出する……そんな手筈か。
しかしオーロラの推理では、その詳細までわからない。
確かに、もう〈光路〉がやるべきことはなされた。
大司教デジデリウスの暗殺、いかなる罪をも赦免する無罪符を発案した彼に罰を与える、というのが最優先事項だった。
それを知るのは、ロスマリンの胸のうちだけ。
〈光路〉の中には自分の計画や未来の予定を話せるほどに、心をゆるした人間はいない。
孤独なリーダーだといえる。
「ロスマリン?」
うしろをふりかえった。彼女が、ついてきていない。
手にしているのは、
(〈ピエリオネット〉……)
刀身が伸縮自在の剣。
〈無刃(むじん)〉とあだ名されるロスマリン。特徴のない普通の剣ならば、かえって持たないほうが強さを発揮できる。それほどに、すぐれた体術の持ち主。そんな彼女が長年、使用し続けた剣だ。
熟練の度合いがちがう。
左のわきをかすめた。黒いローブの、その部分が切れる。
よける動作をしなければ、
(あの剣が、私の心臓を撃ち抜いていた)
見つめ合う二人。両サイドには、高い書棚。
オーロラの歩幅で、十三歩の距離があいている。
当然、〈バラトーレ〉では届かない。一方的に攻撃されるだけの、不利な間合い。
「どういうつもりだ」
「あなたもそう」
「何」
「〈光路〉にとっては敵だということです。私はこれからあの女を追いますが」
いない。
ひとつ横の通路に移動したか。
棚の、本の背表紙のスキマから、たなびく彼女の黒髪が見えた。
そして、
「その次は、あなた……」
上からせまってくる棚と無数の本。このままでは押しつぶされてしまう。
身を低くして走り、ロスマリンと同じ方向へ。
どん、と重い音がひびいた。もはや、外からの大砲によるものか、倒された本の棚によるものかの区別がつかない。
そんな騒音が連続する。
先手を打たれたか、と、オーロラは急いで地上への階段をめざしたが、
(まるでバリケードだ)
山のようにいくつもの書架が折り重なっていて、容易に近づけない。
障害物ごしに、階段にいるロスマリンの足だけが見える。
すると、とん、とん、と階段をおりてきた。
オーロラを、遠くから静かに見つめる。
声をだしたのか、どうか。地響きの音のせいで聞こえなかったのか、そもそも小さすぎて聞こえなかったのか。
昔、よく見た笑顔。唇をまるくカーブさせ、少しだけ目を細める、幼少時からかわらないそのほほえみかた。
さようなら
ロスマリンの口は、そう動いた。
◆
(こんなの無理だって)
コブラの娘、ユードラは絶望した。
目の前に、ほぼ直角の壁。
見上げると、父はもうあんなところまでのぼっている。ほとんど手足をひっかけるところがないっていうのに……。
(えっと)
この教会の見取り図を思い出す。
(確かこの上は、空中庭園だっけ。お父様ったら、そんなところになんの用が……だめ! ほんとにおいてかれちゃう)
ユードラも登攀をはじめた。
空はもう暗い。気温も下がっている。
彼女の服の胸元におさまる黒い拳銃が、近くの篝火の光を反射して光った。
(空中庭園に、いったい誰がいるの?)
ユードラはまだ知らない。
このあと、この自分の銃から発射された弾丸が、血をわけた姉であるロスマリンをめがけることを。




