破格
「いやっ」あわてて、彼女の手をはらう。「なんです? いきなり私の顔をさわって……」
一階の大広間をとりまくように広がる、二階の回廊部分。ふき抜けになっていて下が見渡せる。
こつ、こつ、と階段をのぼってくる足音。
赤い髪がそこからのぞくと、二人は安心した。
その数秒後のことだ。
アルシアスが、カミーラの顔を、何かを確かめるようにぺたぺたとさわった。
「気になっただけだ。他意はない」
なるほどな、とおおよそのことを横で見ていたオーロラは推測した。酒場でときどき耳にした、他人の顔そっくりに化ける暗殺者がいるということ。それがたぶんこの中に〈いた〉んだろう。
手すりに手をつく。
今、一階には誰もいない。一面に赤い絨毯が敷かれ、入り口の重厚な両開きの扉の正面には大きな宗教画がかけられていて、聖母像がえがかれている。
口をかくすように片手をあてているカミーラ。「もう……急に……」
「まさか照れているのか?」アルシアスが言う。
「いいえ。ちがいます」カミーラは胸をはった。「アルシアス、今のようなことは、もうしないように。そういうことを私が許すのは、オーロラだけですから」と、本人がそばにいるのもかまわず、堂々と口にする。「それとも……私に対して特別な感情でも芽生えましたか?」
「馬鹿な」ふっ、と冷笑っぽく息をはいた。「私は伴侶には、男をえらぶ」
「あら。ひょっとして、もう意中のかたがいらっしゃるのかしら」
応答なし。無言ですたすたと回廊を歩いていくアルシアス。
オーロラと目が合い、カミーラは小さく肩をすくめた。
そのとき、
(あっ)
と、アルシアスとカミーラがほぼ同時に大広間に入ってきた人間に気づいた。
(すごい……)
帝国の女将軍は、思わずその迅速さと美しさに見とれてしまった。
オーロラが、飛んだ。
手すりを乗り越え、一気に一階におりる。
背に、翼があるかのような飛翔。
着地の足音さえ、ほとんど聞こえない。
「動くな」
首に腕を回してとらえているのは、黒いフードをかぶったあやしい人物。
この部屋に入るやいなや、といっていいほどあっというまにオーロラにつかまってしまった。
「はなせ……さもなくば、殺せ……」静かな声で言う。おそれや恐怖のない、機械的な声。
「教えてくれ。ロスマリンはどこだ?」
「教えると、思うのか……」
「私は彼女に会わなければいけない。もう一度聞く、ロスマリンはどこだ?」
わずかな変化。
それを、オーロラは見逃さなかった。
気づかないフリをし、
「わかった。行け」
と、おそらく〈光路〉らしきその者を解放した。
すばやく逃げて行ったその逆方向から、カミーラとロスマリンが駆け寄る。
「急ごう」
二人に声をかけた。
二度目の『どこだ?』とたずねた直後の、あの瞳の微妙な動き、その方向。この要塞教会の内部構造は、諜報機関の協力をえて事前にすみずみまで把握していた。
オーロラの声が、大広間に鋭く響く。
「図書館だ」
◆
ここは楽園だな、と心のたかぶりをおさえられない。
彼は興奮していた。
(死ぬことは……おそれない。ただし、暗殺が未遂に終わることには……恐怖する)
あえなく取り逃がしてしまった、いくつかの獲物。
それを、
「おい! 聞いてねぇぞっ!」
「どうしてここに〈あいつ〉がいるんだよ!」
こんな場所で見つけるとはな……と考えている男が、今、暗がりで息をひそめている。
地下の一室。
〈光路〉らしき黒いフードの人間が、二人の男に詰め寄られていた。
「この仕事はナシだ! それと、俺をだましやがった慰謝料をよこしやがれ」
「そうだ。あの、不気味な黒髪の女はどこだ。あいつと話をさせろ」
何を言うか、と反論しようとしたとき、彼らのうしろに異変を見た。
ずず、と地面から盛り上がる影。
うすく黄色い粗末な衣服で首筋から足元までおおわれている。
かなりの巨体。ゆうに二メートルはある。そして横幅もあって、がっしりしている。もし、この男が兵士に志願することがあったら、重装歩兵にされるのはまちがいないだろう。
そして妙な装身具が一つ。
枠に嵌まっている左右の目がつながった形のガラス、それを頭に回して固定している。後世、ゴーグルと呼ばれるものだ。
なぜこんなものをつけるのか、と彼に質問すれば、身をまもるためだ、と答えるだろう。
その部分は、粘膜が無防備にさらされた人体の弱点であることはまちがいない。
同じ理由で、首から胴にかけて、服の下には〈鎖〉をしのばせている。
防御、もっと言って自己の救命ということにかけて、まったく余念がない。
つきさした。
両手に持った剣で、一瞬で二人を仕留める。
右、左、と順番に剣を抜いた。
背中からどっと血があふれる。
その光景を目撃した〈光路〉のメンバーの、足はがたがたとふるえていた。
剣を鞘に入れる。男の腰元には、五本もの鞘が垂れさがっていた。それぞれ、長さがちがう。
(この要塞教会は、行方をくらまされた標的の宝庫……我が汚名をそそぐ絶好の機会)
部屋を出た。
道中、さらに三人の〈標的だった存在〉を斬り捨てた。
このふるまいだけを見れば、〈光路〉にとっては敵か味方かわからないだろう。
(外に出たか)
夕凪が顔に吹いた。
西の空だけが赤く、それ以外は青黒い。そろそろ夜になる。
(今回の仕事は、破格の仕事だ)
逆にこっちが金を払ってもいい、とさえ思う。
彼は、暗殺者の暗殺者。
その筋では、カウンターアサシンと呼ばれている。絶対数が少なく、また、彼らと〈取り引き〉できる立場の者も少ない。
(いや……しっかり金はもらわなければな。そして本命は、やはりオムニブレイドの首よ……)
手袋のはしを引っ張り、調整するように手をひろげたりとじたりする。
鋼の肉体と運動能力をあわせもつ〈才〉能と、殺人術の該博な〈知〉識。
〈才知(さいち)〉のボルボリオ。暗殺者たちの間では、そう呼ばれている。
「動かないで」
とまった。呼吸も、まばたきも。
それぐらいの衝撃を、この一言は与えた。
教会を囲む外壁の屋上。背中に気を配らなかった自分が悪いといえばそのとおりだが、
(みごとな気配の消し方)
同業者か? と瞬間的に思った。
顔が見たい。
だが、ダガーらしきものを首につきつけられていて動かすことができない。
うしろにいる。
(信じがたいな)
斜め前に伸びる自分の影と相手の影の比率から、即座に身長をわりだした。
低すぎる。声も高い。女か、あるいは少年。
身長差は木箱で埋め合わせたか。これを足元にセットされたことにさえ気づけなかったとは、まったくもって迂闊。
「わ、私は……ただの信者ですが……」
「えっ」
あごをあてて、刃先を強引にさげる。
服の中に鎖を仕込んだ部分までさげた。
あわせて肘で撃つ。
(身軽だな)
かわし、そのまま後方宙返り。
たん、と地面に立ったその顔を見た。
女。両手にダガーを持っている。
記憶と照合したが、どうやら〈殺し屋〉ではないようだ。では、なぜこんな少女がこんな場所にいる?
「おまえは……あの黒髪の女の、仲間か?」
「そうだよ」
そうか、と一旦抜いた剣をおさめた。
「なんてね」
間合いは、あいていた。
いいスピードだ。まばたき一回のうちにふところに入られ、ふとももに刃が走った。
「浅かったか」くるくると、両手のダガーを回している。「そっちは、裏稼業の人でしょ?」
「そうだ」
「そこはウソつかないんだ?」
ぶん、と鞘から抜きざまに斬りかかった。
小柄な女。しかも武器は短剣。
むずかしく考えることはない。パワーだけで勝てる。
剣はガードされた。二本のダガーで。
(最小の力で止められる二点をおさえた?)
ダガーが接しているのは剣先のほうと、根元の近く。
(たまたまだ)
と、たて続けに攻撃したが、同じように防がれて通用しない。
剣をあてがったまま腕力で押そうとしても、力が逃げていく。そういうポイントを把握しているのか。
これは、たとえるなら岩。
巨大な岩石に向かって剣をうっているようだ。
「すさまじい……まぎれもなく……Sクラス……いや」
破格だ、と思う。
「何をぶつぶつ言ってるの?」
「何者だ……貴様」
「ボク?」
「いったい誰に、この剣を教わった?」
この間も、ボルボリオは手を休めないが、ガニュメデスの〈牙城〉を攻略することができない。
向こうには余裕さえある。
この年少の娘は、スポーツを楽しんでいるかのような笑顔を見せている。
巨漢ゆえ、エネルギーの消耗もはやい。
むしろ、そこを見すえて、ガニュメデスはあえて防戦に回っていたといえる。
(ぐっ)
とうとう、ひざが落ちた。
すばしっこく、うしろに回りこむ。
「何をする!」
両手をロープでしばった。
外壁から身を乗り出し、下を見る。
大きな外堀がめぐらされていて、救難信号を見てかけつけたのか、帝国兵らしき者が数人、堀の向こうに立っていた。
「うん、じょうぶそうな体してるし、きっと平気だよね」
「え?」
青い水面に向かって落ちていく。
あーっ、という声が遠ざかるにつれて小さくなる。
大きな水しぶきがあがった。
帝国兵が飛び込み、急いでその男を(教会の人間の可能性があるから)助けにかかっている。
あとで彼の素性を調べたら、とてもおどろくだろう。
一生遊んで暮らせるだけの賞金がかけられた暗殺者という正体に。
それを、ボクはただで引き渡したんだよ。
ガニュメデスは片目をつむって、つぶやいた。
「破格でしょ?」




