ひかれ、ひかれて
(お父様……何をしてるの?)
教会の外周をまわり、立ち止まって上を見上げ、両手をいそがしく動かしている。
上には外壁に張り出したバルコニーがある。
(あそこに人がいる。でも二人とも声は出してないみたいだし……)
しかしコブラたちの会話は成立している。
手、指でさまざまな形や動きをつくるこれは、教会の中でも限られた人間しか使えないサイン・ランゲージだった。第三者に内容を伏せ、ひそかにやりとりするために開発された技術。のち、これをもとにしたものが、口や耳が不自由な人々のコミュニケーションの手段として世に広まることになる。
大きくうなずいた。どうやら話がまとまったようだ。
そーっ、と草むらから体を出してさらに接近しようとしたそのとき、
「ユードラ! そこにいるんだろ!」
名前を呼ばれた。あれ……いつからバレてたんだろ……と思いつつも、観念して姿をあらわす。
「へたくそな尾行されるぐらいなら、同伴したほうがマシだ。こい」
と、目線をこっちに向けたままであごを小さくふった。
その先には、
(ロープ?)
バルコニーからそれが垂れている。
先にユードラがそれをのぼり、コブラがあとからついて上がった。
「わりぃな……こっちとしても手段を選んでる場合じゃなくてよ」
「いいさ」僧服に身を包んだ中肉の男。コブラよりは年下に見える。「それより……」
ああ、と何かを手渡した。何枚かわからないが、たぶん金貨だ、とユードラは思った。
「生まれた子、〈双子〉だったんだってな。何かと物入りだろ。ま、これでカミさんとうまくやれ」ばん、と強めに肩をたたいた。
「いくぞ」
こく、とうなずくユードラ。父のその決意のこもった一言で彼女にもスイッチが入った。
そうだよ。ここはすでに、テロリストたちの巣窟。彼らだけじゃない、金目当てのあやしい連中もゴロゴロいるはず。気を、しっかり引きしめていかないと。
「コブラ!」
ふりかえらず、背後に向かって肩ごしに言う。「わかってる。もし俺をここに引き入れたのが誰かに知られちまったら、家族をネタに俺に脅迫されたって言え」
悪い、とかすれるような声がうしろで聞こえた。
少し歩いたところで、「おい」とふりむいた。
「何?」
「おまえ、あれは持ってきてるのか?」
すぐになんのことかわかったが「あれって?」と一応とぼけてみる。
指の形で、それを作った。「銃だ。持ってるな?」
見抜かれてるみたい。
すっ、と茶色い外套の内ポケットからそれを出した。
ブラックのボディの小型の拳銃。
「俺が持っててもしょうがねぇしな……」ばりばり、と頭をかく。部分的にきらきらと光る、真っ黒な髪だ。その色はユードラにも遺伝していた。「使うなよ。絶対に」
念を押すようにそう言って、持っている手の上から両手でにぎられた。
灰色のシャツの腕をまくって、自分が小さいころから目にしてきたヘビの入れ墨が露出している。
どんな敵も倒してきた父親だ。ずっと強かったし、今も強い。
なのに、
(なんだろう。ちょっと弱気な顔してる)
ユードラはそれを肌で感じとった。
コブラはコブラで、胸の中で舌打ちしていた。
(ちっ。伝わっちまったか。俺が奮闘して、武器なんか使わせずにこいつを守り切ればいいだけなんだが、そううまくもいかねぇ気がするんだよ。よくない予感がな……)
二階部分の、屋根のついた渡り廊下。
中庭と裏庭が左右に見下ろせるが、裏庭のほうがさわがしい。
頭をさげろ、と後方のユードラに手で示し、手すりからゆっくり顔をあげて様子をうかがう。
(ほう、これはめずらしい取り合わせだ)
斬撃の音が連続している。
(ザイネギア将軍と、ロスマリンが育てたっていう若ぇ剣士か)
連続……文字どおり、休む間もない。
そういう戦法でいくと決めたんだろう。
駆け引きなし、ただ力で押し切る剣。
と、いうことは体力が切れたとき、あるいはその一時的な切れ目がもっとも彼にとって危険となるが、
(はっ。いいスタミナもってやがる)
無尽蔵か、と思わせるほどその〈きざし〉すらない。
それもただ乱暴に攻撃しているわけではない。
リズムやパターンを微妙にずらす、高度な技。
ほんのすこしでも油断すれば、その瞬間にザイネギアが砂を噛むことになるだろう。
それにしても……
(似てやがる)
ぐい、とユードラにそでをひかれてコブラは我に帰った。いかんいかん、と両のほっぺをばちんとたたく。
昔、どこかの戦場で、一度だけ遠目に我が娘を見たことがあった。
そのときもこんな風だった。
鬼神のような猛攻ながら、どこか色気があって思わず心が惹かれるような、こんな表現が許されるなら、おそろしく魅力的な剣。
それを、眼下のリクールにも見た。
敵ながら……
(死んでほしくねぇ)
コブラはそう思った。
「お父様」
と、彼が腰にさげたボウガンに目をやる。
あの二人の戦いに、帝国の将軍に加勢しないのか、という無言のメッセージだった。
いや、と小声でつぶやき首をふる。
「どちらも強豪同士だ。俺が入ることはできん。邪魔になるだけだ」
先に進むぞ、と移動をはじめた。
父の背中を見ながらユードラはひそかに思った。
(これなら)
銃を、ぎゅっとにぎった。
(一瞬で決着がつく。こういう日のために、私は百発百中の命中精度を会得したのに)
手の中の黒いものが、オレンジ色に染まった。
夕焼けがユードラの背後に広がっている。裏庭からは、逆光になって彼女の姿は影絵のような輪郭にしか見えない。
負けられないんだ、という力強い声が、二人が交戦しているあたりから聞こえた。
◆
マグネット、という物質がある。
磁力という(この世界の人々にはまだ)不思議とされる性質をもった鉱石。
すでに方位磁針などは発明され、有益な利用がされているが、
(こんな使い方をするか)
アルシアスは眼前の敵をにらんだ。
「おぉ、こわい」
おどけて、肩をふるわせて見せた。底に黒味があるような金髪で、長く、ゆらゆらと波打っている。
肩当てと胸当てをつけた女の剣士。そして、下にはベージュ色の生地のロングスカートを巻くようにしてはいていた。
一方、アルシアスは男物のような黒いズボンに、えりつきの濃紺のシャツを着ていた。装備している防具は鉄の胸当てのみ。
「でも目つきだけではどうにもならない。視線で石化させるメドゥサでもない限りはね。私に〈これ〉がある以上、あんたに勝ち目はないのよ、アルシアス」
言葉とともに、自信に満ちた目を向けた。
教会内のせまい通路でこの二人が出くわしたところまで、少し時間をもどす。
「見たことがある顔だな」数メートル先から歩いてくる人間に、そう声をかけた。
「おかしいんですよ」と、最初から会話がくいちがう。「途中参加のくせにロスマリン様のおそばにおつきになるとか、いきなり〈光路〉の中枢に入るとか。かと思えばもう寝返り? まるで浮き草ね。あんたにはポリシーってものがないの?」
ふと、彼女から目をはずし、自分の肩を見た。
そこにはまだ完治していないケガがある。それより、
(あいつが好みそうな、ふっ、優雅なデザインだ)
両肩の部分が、ふわっ、と空気が入ったように丸みがあり、そこに複雑な蔓草が刺繍されていた。
この服は、カミーラの衣装戸棚から借りてきたものだった。ほのかに、彼女のにおいもある。
切っても切れない、とアルシアスは考える。
カミーラ、オーロラ、そして〈光路〉をひきいるロスマリンたちとは絶対的な〈縁〉がある。
他人にはわからないだろう。わかってもらおうとも思わない。
「私に文句があるのなら、その剣でかかってこい」
「そ、の、つ、も、りっ!」
風を切る音が五回。
ん? とわずかに不審そうな顔のアルシアス。
(拍子抜け……こいつは、この程度なのか?)
ハイレベルだが、平凡。
つまり雑兵ならこの程度でじゅうぶんだろうが、とうていオーロラには届かない。
ふん。なぜ今、あいつのことが頭に浮かぶか……とアルシアスは苦笑した。
まあいい。
もう終わりだ。
剣を……
(む!)
だめだ、という奇妙な予感がして、攻撃モーションに入る寸前で〈オリエンタル〉をとめた。
自信満々、という表情でこっちにつきだしているそれは、盾。
小型で円形。バックラーと呼ばれる防具だ。
変哲はない。そのへんの店で売っているようなものだ。
しかし何かおかしい。
周辺の空気をよどませているような違和感。
「なんだ、それは」
アルシアスの反応を楽しむように、または嘲るように、もの言わず微笑。
この女の名はマキュリス。長く、ロスマリンの片腕として活動していた革命の闘士だ。名家の出身で、潤沢な資金を〈光路〉のために投じている。
盾を前面に押し出したまま、強気に間合いをつめてきた。
仕方なく、アルシアスは一歩後退する。
不気味さの正体を確かめようと、ここに来るまでの道のりでひろった短剣を手にとった。
左手にかまえ、肩のうしろまで手を引いて、いきおいよく投げつける。
バックラーの近くを抜け、抜け……
(ばかな)
抜けない。
軌道がねじまがり、大きな音を立ててバックラーにくっついた。
もののたとえ、ではない。達人的な盾さばきでそう見えた、のでもない。
現実に〈接着〉している。
原理はわかる。あれはたぶん磁力でそうなっているのだ。マグネットのことぐらいは知っている。
マキュリスと視線が交わる。
「おぉ、こわい」
だが、その強力なものを盾の素材に用いて、戦闘に利用するとは。
こういう使い手の前例はない。
〈揺蕩(ようとう)〉のマキュリス。
見えない力で相手の剣がぐらぐらに揺れる点から、そう呼ばれはじめている。
「ふふ」短剣を己の背後に向かってほうり投げた。「早くきなさいよ。赤い光なんでしょ、あんたは」
演技ではない、とアルシアスは見た。
盾から短剣をひきはがしたときの、彼女の手や手首あたりの筋肉の動き。そうとうの力をかけたはずだ。つまり、それぐらいの強い力で〈くっついてしまう〉ということ。
小さな作用ならば、戦場ではよくある。
鋼鉄の大剣が、鋼鉄の盾とそうなってしまうことが。だが、およぶのは微々たる力で、それが勝敗を左右することなどまったくないといっていい。
大きな作用ならば、どうか。
アルシアスは考える。
盾にひきよせられ、接してしまえばもうだめだろう。
その状態から力任せに剣を分離したところで、この刀身の細さの〈オリエンタル〉が無傷ですむはずがない。曲がるか、折れるか。
いっそ武器を捨てて体術で戦うか? 〈無刃(むじん)〉と呼ばれたロスマリンのように。
どうすればいい?
カミーラ? オーロラ? いや……もっと経験が豊富な戦士の意見がほしい。
マザーならどうする。
「あなたは四人の中で一番まじめな子」
死の床の、最期の声。私にかけてもらったあのやさしい声が聞こえる。
マザー・マルシェルはなんでもお見通しだった。
そう。子供のころから自分は融通がきかず、愚直で……
くっ。
赤い髪が切られた。
思考に没頭したところを狙われ、マキュリスに攻められてしまった。
床に数本の髪がはらりと落ちる。
持っているのは青銅の剣。なるほど、磁力の影響を受けないようにか……。
愚直――磁力の影響――強大な作用――小型のバックラー――剣をひく材質と特性。
一本の線につながった。
いこう。
ふみだした足を見て、
「やっとくるのか。ずいぶん臆病じゃないか、〈赤光(しゃっこう)〉のアルシアス!」
「そうだな」少しまぶたを下げ、眠りに入るかのような、静かな眼をしている。「でも大丈夫だ。もう私は迷わない」
黒い雪がふった。
その正体は破片。粉々になったバックラーの破片だ。
横一閃、剣をふりきった姿勢のアルシアス。
棒立ちしている場合じゃない。
マキュリスはすぐに攻撃に移行した。
剣を両手で持って突進する、捨て身のアタック。
当然、そんな攻撃が通じるはずもない。
腹部を斬られ、地面に崩れ落ちた。かろうじてまだ息はあるが、すでに気を失っている。
(うまくいくとは限らなかったが、不安は塵ほどもなかった。きっと、マザーが背中を押してくれたんだな)
磁力で引かれる力を逆に〈加速〉として利用し、一気にふりぬく。
磁石の強度は知らない。ただ、精錬した鋼鉄ほどではないはずだ、それに厚みもなくサイズも小さいバックラー。光のはやさで斬れば、破壊可能だと踏んだ。
かたかたかた、と微動している。
床に落ちた小さな破片が四つ。お互いの力で、再びくっつこうとしているらしい。
(まるで……)
アルシアスは〈オリエンタル〉をゆっくり鞘に入れる。
そして見えない力にひかれるように、まっすぐ前へ、歩いて行った。




