たった一度だけの
すごい、と思った。
自分もあんな女性になりたい、と
だから、カミーラの目にかなって、自分が〈レディ・エリーツ〉に抜擢されたときは夢のようだった。
彼女は、ある法服貴族(※ 官職を金で買って「貴族」の地位をえた者のこと)の家に生まれた。だから生活は裕福だった。だが実際は、身分の低い庶民からは嫉妬され、中流や上流の名門からは下に見られ、人の付き合いがほぼ皆無の孤独な家柄だった。
一生こうなのだろうか。彼女はなやんだ。
このまま、身分相応の男をあてがわれ、ただ〈不幸せではない〉だけの人生がつづくのか。
そんなときに〈四聖女(よんせいじょ)〉のことを知る。時期的に、オーロラとロスマリンはすでに軍にいなかったが、
「さすがカミーラ様だ。帝国の英雄だ」
「誰も勝てねえ……あのオムニブレイドには、誰もな」
「〈赤光(しゃっこう)〉が敵国の大将を討ち取ったらしいぞ」
「もしあの事故がなけりゃ、今ごろ将軍の椅子に座ってたのは彼女さ」
帝都ではその種のウワサが絶えなかった。そして彼女たちの話をするとき、その者は不思議と自分のことのように誇らしく、また、幸せそうに語る。
これが〈名声〉というものだ。
ここに、パトリシアは人生の成功を見た。絶対的な幸福を見た。
戦いだ。
そこに身を置き、勝ち続ければ、私もいずれ彼女たちのようになれる。
(そのはずです)
きっ、と強いまなざしでオーロラを見た。
首元やそでのあたりに白さが少しのぞいているだけの、黒い僧衣を着ている。こんなときにまでそんなシスターのような服装だなんて、敬虔なことだ、とパトリシアは冷笑した。
(だが私も人のことはいえない)
こんなときに、というのなら彼女のほうも同じかもしれない。
花を模した図が全体的に刺繍された白いドレス。防具はない。胸当てさえつけていない。
レディは常に優雅であれ、というカミーラの教えの実践だ。帝国側とテロリスト側で道はわかれてしまったが、パトリシアはその考えかたには強く賛同していた。
鏡のように反射する銀の柄がついた剣を抜く。
その動きをじっと見つめるオーロラ。
(くるか)
頭の中では、あの夜のことを思い出している。
佯撃。
おそろしく慎重で、おそろしく粘り強い戦法。
これからその相手と争わなければならないという緊張にくわえ、あせりのような感情もある。
ロスマリン。
(また長時間の戦闘になれば、あいつのところへ向かうのが遅れてしまう)
自分を足止めし、あえて時間かせぎを、と意図されれば厄介だ。
とにかくフェイントをかけている間は、こちらからは斬りこめない。
どうやって相手に攻撃させ、スキを出させるか、だな……。
一歩。
パトリシアが動いた。
あのときもこんな感じだった。
徐に運動し、ミリ単位で剣を動かす精密な剣術。さそわれては、負けだ。
そう。
さそわれる、つまり、相手がこう動くだろうという予想のとおりに行動することは死を意味する。
このときオーロラはすでにパトリシアの術中にあった。
大きな仕掛けに、まだ気がついていない。
二歩。
三歩。
ここで気がついた。
自分が斬ってきた数々の人間も、このような死のきわだったのか。あっというまにおとずれ、すっ、とあの世につれていかれる感覚。
パトリシアの長い金髪が浮き上がり、耳、あご、首、肩をおりてゆくさまがスローモーションで見えた。
異名のとおり、完璧な〈佯撃(ようげき)〉。
前回の戦闘をまるまる〈フェイント〉としてあつかうという大胆な発想。
腰が重く、あれだけもの静かな剣を向けた彼女が、二戦目の開始早々、いきなり斬ってくると思うだろうか。
負けた。
人生ではじめてだ。
ふふ、
(たいていの人間は、その〈はじめて〉が最後だ……)
流れてくる剣をながめながらオーロラは微笑していた。頭と体は別なのか、目はしっかりと攻撃の軌道をとらえているが、剣をにぎっている腕はそれに反応できない。
(悪いな)
心の中であやまった。
まだ道の半ばだが、これも一つの道。
はたして誰に、何に謝罪したのか。
わからない。ロスマリンやカミーラにかもしれない。もっと大きな存在、たとえば神や世界にかもしれない。
〈バラトーレ〉が手からはなれる。
だが、この剣が落ちる音が、ちがう音にかき消された。
駆ける音。
「よかった……」
はあ、はあ、と肩で息をする女。刀身の根元にバラの彫刻が入った剣を手にしている。
パトリシアのうしろにいる。〈Y〉字の通路の分岐点にいるオーロラたちを見て、全力で急いだのだろう。
結果、すくわれた。
「うっ!」
手で受け身もとれず、頭から倒れた。うつ伏せ。背中には斜めに走る大きな傷。
オーロラ! と心配そうに近づいたカミーラに手を向け、地面にひざをつく。
「今の戦いは私の負けだ。強かったぞ、パトリシア」
「必死で努力……したんですよ……私、あなたのように、なりたかったから……」
カミーラがそっと剣を鞘におさめ、かすかな金属音が鳴る。
手をにぎるオーロラ。
「あの人の甘美な説得で……正義は〈光路〉のほうにあると思って、それに殉じました……おわかりください。そこに、悔いはないのです」
「わかっている」
ありがとう、と言おうとして口が動きかけたそのとき、
胸に矢がつきささった。
どすどす、と体重の重そうな足音が通路の奥から聞こえる。
「あっれ~、敵じゃなかったんかい。へへ。暗くてよく見えなかったぜ。まあいい。そこの女二人を殺りゃあいいんだろ? ぼろい仕事だぜ」
ほのかに酒くさい。
大男。背中に弓をかついで、剣をにぎっている。
腰にさげているひょうたんを口に持っていった。のどが鳴る音が、はっきり聞こえる。
「へっ、酔えば酔うほど強くなる。傭兵中の傭兵、〈酔剣(すいけん)〉の」
カミーラは恐怖に近い感覚をあじわった。
一瞬で飛び、敵に向かっていった彼女が、両手に持ちきれないほどの刃をにぎっているように見えた。
もう息はない。
この男も、パトリシアも。
(こんなの見たことがない……)
死体を見下ろしながらカミーラはひたいの汗を手の甲でぬぐった。
(七回も斬っているなんて。オーロラは、ほとんど一撃でとどめをさすのに)
横顔に目を向ける。
ちょっと安心した。いつもの彼女だ。私が愛する、ふだんのオーロラの顔。
クールで無表情で……、
「カミーラ」
とっさに返事ができなかった。
凍りつくような声。
「行くぞ。ロスマリンのところへ」
目が合い、ええ、とうなずく。
大丈夫ですか? という言葉さえかけられなかった。
それほど深い哀しみが、オーロラの瞳にはあった。
◆
「誰かこの男をとめろっ!」
要塞教会、その本堂のうしろに広がる広大な裏庭。
そこが今、戦場の様相を呈していた。
横たわる何人もの屍。ほとんどは〈光路〉に金でやとわれた傭兵か暗殺者だった。
彼が誰かを知っている者は、すぐに後退した。そのまま逃げ去った者も少なくない。
また剣が動く。
「つ、強い」
どさっ、と土煙をあげて倒れた。
視界のはしでそれを見届けて、また前進をはじめる。
その速度は、おそい。
(ここで敵をひきつければ、それだけあいつらの負担が減る。情けないが、私はやはり女は斬れない。あとはまかせたぞ、オーロラ)
ときおり、〈光路〉の戦士なのか、若い女が勇敢に向かってくる。今のところ、首か腹を強打して戦闘不能にするにとどめているが、力の加減をまちがえることだってあるだろう。ザイネギアとしては
(くるな)
とただ願うだけだ。
「快進撃、ですね」
聞きおぼえのある声。
「でもここまでです」
にやり、と笑ったのはザイネギアのほうだった。
よかった。
あれは〈男〉だ。手を抜く必要はない。
人の集団が左右にわかれ、道ができた。そこを歩いてくるのは、テロリストのリーダーであるロスマリンが拾い上げて剣を教えこんだ戦士。
「漆黒の衣か……貴公は」一回だけの短い出会いだったが、彼は名前をおぼえていた。「リクールと言ったな。その色は、いかなる罪をも背負う覚悟があるゆえなのか、それとも、もういかなる悪事にも手を染めないという意思表示なのか」剣の先を向けた。「もし後者ならば、ゆるそう。帝国は投降を受け入れる」
「あー……」左手で頭をかるくかいた。「俺、学がないんで、そういうのよくわからないです。俺はっ!」
がん、と、柄と柄がぶつかった。
一度の跳躍でこれだけ間合いをつめた、驚異の身体能力。
「師匠のために、あなたを倒す!」




