まぼろし
いつかは、こんな日がくると思っていた。
オーロラは、とうとう負けてしまった。
母親がわりのマルシェルから託され、長年つかってきた彼女の剣が地面に落ちている。
そのすぐそばに、倒れている人間が一人。
その目には、もう生気がなかった……。
◆
思っていたよりも、そこは静かだった。
本当に帝国をふるえあがらせるテロリストたちが占拠しているのか、と疑問に感じるほどに。
長かった地下通路から上にあがると、木材や着古した衣服などが雑多に置かれている倉庫のような部屋に出た。
ふう、とガニュメデスは息をはく。
(ボクの役目は、オーロラのサポートだ。とにかく、さっさと合流しないとね)
鉄のドアをあけ、外の様子をうかがう。
誰もいない。
等間隔で壁に燭台がかけらられていて、もう火がつけられている。ひょっとして夜が近いのかな、とそれを見て彼女は現在の時間を推測した。わずかに左に曲がっている一本道。
「あなたはいろいろ〈隠しすぎ〉なのだから」
あの日から、ずっとその言葉が頭をはなれない。
きっと図星だったからだろう。
この国に自分と血のつながった妹がいると知って、みずから志願した諜報の任務。情報を集める仕事をしていれば、そのうち行き当たると考えたからだ。うまくいった。でも、まさか実の妹にあんな〈悲劇〉がふりかかるなんて。そのあとも、予想外のことがたて続けに起こって、どうしたらいいかわからなくなった。
でも、
(あのおばさんが言ったことは、たぶん正しいよ。そうだな……。この要塞教会での戦いが終わったら、妹に……マリーに本当のことを)
「血のにおいがしない」
すんすん、と肩のあたりを音を立てて嗅がれた。
「ただ、手練れのオーラはあるね……。何者かな? このキュートな男の子クンは?」
ちゅっ、と背後から肩ごしに頬にキス。
ん? という顔。
ガニュメデスの胸に片手をあてた。
「女!」
上半身に衝撃。
剣などの攻撃ではない。
腕力で、肩甲骨のあたりをぐいと押された。
大きくバランスをくずしたものの、ここで倒れこむほどヤワな脚ではない。軽快にターンして、対峙する。
「誰?」もうガニュメデスは両手にダガーをかまえていた。
「それはオレのセリフだぜ」ヘビ皮のような質感の黒い外套。それが足元まである。中に着ている服、ズボンも黒い。「こっちは女アレルギーなんだ。まぎらわしい見た目はやめろ」
「そっちも女でしょ?」
外套のポケットに両手をつっこみ、肩幅に足をひらいて仁王立ちという姿勢だが、ふわっとふくらんで肩にとどく茶色い髪、ほそいあごと首、まったくひげのない口元、まるみのある目の形、などを総合すると〈女性〉にしか見えない。
「ま」声も女のもの。「そんなことはどーでもいいんだよ。〈光路〉のリーダーさんからは、とにかく見敵必殺で、って話なんでな。悪く思うな」
金でやとった暗殺者か。
なら、さっきの気配の消し方も納得だ。考え事をしている人間のふいをつくぐらい、彼らには朝飯前だろう。
どうする。
逃げてもいい。
勝っても得られるものは、ないんだから。
「へえ、なんか、顔つき変わりやがった」
逃げない。ボクは戦う。前に出て攻める。もう、そう決めたんだ。隠し事も、しない。
「きなよ」
斬ってこい、とガニュメデスは言葉で挑発した。
「それはいいが……予告する。オレの武器を目にしたら、おまえはビビるだろう」
戦闘の緊張感がなければ笑ってしまいそうなことを言う。
このひとバカなのかな、とガニュメデスは思った。
それとも、高価な剣でも出すつもり……とポケットから出てくる男の手に注視する。
(えっ)
確かに、おどろいた。
刃がない。
持ち手の柄だけの剣。そもそも、それって剣と呼べる代物なのか。
「オレは〈幻剣(げんけん)〉のドルナ。いくぜっ!」
そんなはずはない。
実は透明の刃がそこにあるなんてこともない。
背景と同化する色だったということもない。
見えないほど細い剣だということでもない。
(やっぱり、てごたえなしだ)
敵が剣をふるモーションでせまってくる。一応、(通常の剣での)攻撃範囲となる部分をガードはしたが、当然、感じるのはわずかな風圧だけ。
「あのさ、これってボクをバカにしてるの?」
不気味な笑顔を返しただけで、質問は黙殺された。
(よくわからない……けど、身のこなしは本物だ。ここはガードにてっして勝機をうかがうより)
先に打って出よう。
右のダガーで斬りつける。
まさに、このタイミングにおいて先の予告どおりガニュメデスは〈ビビっ〉た。
ダガーが空中でとまった。
少し視線を落とすと、そこにはドルナの右手がにぎる柄だけの剣。
いけない。
身をまもるタイミングがおくれた。
首をつかまれる。柄を捨て、さっきまでポケットに入れていた左手も出して、両手で一気にしめあげてくる。
息が。
苦しい。
「人間ってのは……ビビったときが一番ガードがさがるんだ……」
気が、とおくなりそうだ。
「オレは剣の才能がこれっぽっちもなくてよぉ……こんな小細工でもしねーと、自分より上のヤツらには勝てないわけさ」
まずい。このままじゃ本当に。
ダガーが、からん、と床に落ちた。
「ガニメデ! 待っていろ、いま助けるぞ!」
それ……ボクがちょっと前につかってた偽名だよ。
オーロラだ。きてくれたんだね。
果敢にドルナに斬りかかる、そんな映像が一瞬で消えた。
この窮地を助けてくれるオーロラの、幻影だったのか。
あの人は、ほんと強かったな。
あの人だったら、どうする? あの人は自由なんだ。だから強い。
残っているのは左のダガー。
しかし攻撃できるほど力が入らない。ただ手を上にあげることさえ、すでにむずかしい。
落とす。
それを、
(蹴った?)
ドルナの視線が下にいき、ガニュメデスのその下半身の動きを見た。
ふたたび視線を上げたときには、
「うわっ!」
ダガーが顔に飛んできた。こめかみのあたりが切れる。
蹴り上げたダガーを口でキャッチし、それを思いっきり吹きつけたのが成功した。
首にかかっていた手から力が抜け、ようやく解放された。
ここからの制圧ははやい。床のダガーをひろい、それをつきつけつつ、相手の自由をうばう。
黒い外套を脱がせて、それで両手を縛った。
拘束を終えると、ぱんぱん、と手についたほこりを落とすように二回たたいた。
「当たってたね。たしかにビビったらガードが下がるみたいだ」壁にかかる燭台を見上げ、指で何かをつまみとった。「さっきの〈幻剣(げんけん)〉の正体はこれか。とても細い鋼線……あらかじめこれを仕込んで、ポケットに入れたままの左手で引き、ボクのダガーをとめたんだ。あたかもそこに〈剣〉があるかのような演出のためにね。それとさ」
やっぱり女なんでしょ? と言った。
「だって顔は〈女〉の命だもんね」
相手をしとめることよりも、ダガーで傷がついてしまうことに、すばやく反応してしまったその心が証拠だ。
少し赤みの残る首をさすりながら、ガニュメデスはドルナに背中を向けた。
◆
待っていたかのように、彼女は現れた。
オーロラが要塞教会に入ってしばらく内部を探索しているうち、〈Y〉の字に通路が分かれる箇所にさしかかった。その分岐点の真ん中に、
「この日を待ちわびました」
あの夜、勝負の決着がつかないままでわかれた、元〈レディ・エリーツ〉の〈佯撃(ようげき)〉のパトリシアが立っていた。
オーロラは剣を抜いた。
このときはまだ、自分が彼女に負けるとは思っていない。




