みきり
さようなら
そんな声が聞こえた気がして、思わずオーロラは足を止めた。
ここは要塞教会に通じるかくし通路。くしくも、リクールが〈神〉と戦った地下の道だった。
一時間近く、ずっと単調な景色の中を歩いていた。
そして暗く、せまい。
こういう条件がそろうと知らないうちに精神が疲弊してしまい、幻聴があることも稀ではない。
しかし、
(脳裡に姿が見えた)
それは確かだった。
(だが顔がぼやけていた……髪の色も……あれはカミーラ、いやロスマリンだったのか? それとも……)
考え事をしながら、正面に目を向けた。
目は、とっくに暗さになれている。足元、壁、天井、と何かしら異物があればすぐにわかる。
それが前方に、あった。
「オムニブレイドとお見受けした」
毅然とした声。
地面に片ひざをついたような姿勢で、顔をオーロラに向けている。
まだ距離があって、どういう表情なのかまではわからない。
「そうだ」
と、返すも、相手からは一言も返ってこない。
沈黙の中、歩いて距離をつめる。
ふと、地面にたまる水たまりに赤いものが混じっているのを見つける。光が足りないせいか、化学的な作用のせいか、かなりどす黒くなった赤色だ。
「俺の師匠が、ここで死んだ」
唐突にそう打ち明けられたが、オーロラとしては返す言葉もない。
はたして、どちらの人間か。〈光路〉なのか、そうでないのか。
だまって話をきく。
「あのおかたは槍の名手で、右に出るものがいなかった。それがよもや……俺の半分ほどの年にも達していない、未熟な若い剣士にやぶれてしまうとは……」
即座にリクールだと思った。そのとおり、オーロラの想像は的中している。
この場所で、彼が槍神バイドゥムを打ち破ったのだ。
「かくなる上はすみやかに師匠の仇を、と思ったが、その前に」
槍の刃先が向く。
きら、と闇の中でかすかに光った。
「貴様を始末してからのようだな。きっとこれも師匠のお導きだ……」
クリーム色のよごれた弊衣。紺色のズボンも、ひざやもものあたりがすり切れている。
両手を頭のうしろに回し、頭につけている黒っぽいバンダナの結び目をきゅっとしめた。
中年にさしかかろうかという年齢に見えるが、瞳は青年のように鋭い。
「我が名はディホッグ。それでは、お相手していただこう」
オーロラは首をふった。ダークブルーの髪がゆれる。
「待て。私たちには戦う理由がない」
おまえは教会側の人間で、私は目下要塞教会を占拠している〈光路〉と争うつもりでいる、という内容を整然と説明するも、
「ちがうな」
今度は、男が首をふった。
「教会に身を置く師匠をたよって、確かに俺もあそこで起居はしていたが、どこにも所属しているつもりはない。槍の道を極める、それだけが我が人生の目標。すなわち、俺が戦いたいのではない、おまえが……無敵のオムニブレイドが、俺の心をゆさぶり、戦わせるのだ!」
槍がつかれた。
オーロラの瞳が男の目から刃のほうへ移って、そこに〈虎〉の彫刻がほどこされているのを確認した。
リーチの長い武器。
一撃目はかわしたが、息つくヒマもなく、連撃してくる。
(話のわからない男だ)
だが、武芸に自己実現をはかるその気持ちはわかる。
純粋だとも思う。
オーロラは剣を抜いた。
(つきのはやさに緩急があり、攻撃範囲は広角かつ正確)
手を抜けるような相手ではなさそうだ。
冷静に、槍の猛攻を受け流す。
槍神の弟子だけあって、容易にふところには入れない。
辛抱づよく、ただ攻撃にたえる。
あの戦闘とこの戦闘で、勝敗の要は近い。
つまり、リクールがはるかに格上の相手に対し短期決戦をいどんだように、彼もまたそうするべきだった。
(ここまでとは……)
ディホッグはつばを飲んだ。
(まるで幻術をかけられているようだ)
ふーっ、と息をはきつつ、己の足元を見る。
まざりもののない澄んだ水たまりで、地下道の底が見える。
そしてオーロラの背後に、恩師の血液が残留する水たまりが……。
(なぜこっちが後退している? 一方的について攻めていたのは、この俺のほうなのに)
経験、分析、体力の配分など、これでは長期戦になればどちらが有利なのかははっきりしている。
高い音が鳴った。耳に痛いほどの高音。
(この女は)
槍の先端が、剣の先端にとめられている。
(剣術の神だ……)
これは防御ではない。
おまえの槍は見切った、というこれ以上ないメッセージ。
冷や汗が流れた。というより、全身からふいて出た。
戦意を喪失したのをみとって、オーロラが彼の横を通り抜ける。
彼女が地下通路の奥に消えてしばらくたったころ、ちん、という剣を鞘におさめる音が、ひかえめに鳴った。
◆
「とおせ!」
「なりません」
この問答が、さっきからずっと続いている。
「何度も申し上げておりますように」
要塞教会に通じる高い門の前。
聖職者が、帽子を直しながら言った。
「何人もここを通さぬように、と、厳命が出ております。あなたとて例外ではないのです、ミスター・コブラ」
「おまえなぁ……俺は〈ホワイトハンド〉だぞ! れっきとした教会の人間だろうが。どうしてそういう話になるんだよ!」
「何事も、秩序は例外を認めることからほろびるのです」
「知ったようなことを……」
これは無理だ。
コブラはもう、なかばあきらめている。
およそ教会ほど頭の固い組織はない。そして〈ホワイトハンド〉は、内部の序列とは無関係の独立したチームで、あまり政治力や発言力がない。
「ちなみに、どいつだ? その〈厳命〉とやらを出したヤツは」
ヨーゼフ司教
と答えた。
顔だけは知っている。とりたてて特徴のない、出世欲や野心のなさそうな平凡な中年の男だった。
じゃあよぉ、と念のためにこんな質問をした。
「俺のほかに、実はこっそり誰かを通してたりってことも、ないんだよな?」
法服の男はうなずく。
「この二十四時間でここの敷地内に入られたのは、総本山よりまいられたヨーゼフ司教とそのお連れのかたがただけです。あ」
「どうした?」
「いえ……いつ出て行かれたのか存じませんが、つい先ほど、もう一度お姿がお見えになられたな……と思っただけです」
「この状況下で外に出ていたっていうのか? 供の人間もつけずに一人で? それってよぉ、なんかおかしくねぇか」
さあ、という顔を浮かべ、背を向けて行ってしまう。
右と左に立つ武装した二人の門番が手に持っている槍で〈X〉をつくり、コブラの前方をさえぎった。
肩をすくめる。
(うさんくせぇな……どうもイヤな感じがするぜ。こん中にいるのは〈光路〉で、それを倒そうとしてるのがオーロラたちなんだが、何かもう一つ、見えない〈勢力〉が裏にひそんでいる気がしてならねぇ)
ふりかえると赤い夕陽が正面からあたり、コブラは目をほそめた。
◆
髪の毛一本。
たったそれだけの長さ、剣が〈前〉に出ていれば。
やはり治療がまだじゅうぶんではないな……と、アルシアスは自分の右腕を見つめる。
「私を斬ろうとした……」
片手で、灰色の髪を耳の上からおさえつけながら言う。
「アルシアス! やはりあなたは〈光路〉の肩をもつのですね!」
「猿芝居はやめろ」
剣で斬りつける。
とっさに後ろにひいたが、おでこのあたりが切れた。
が、
「おやおや」
血が出ていない。
「お見とおし、というわけですか」
ばっ、と灰色の髪を肩のうしろにはらった。
「どこが、いけませんでした?」と、カミーラそっくりの声で言う。
「におい」
「そんな……ちゃんと彼女の体から発されるものに似せていたのに」
「私が、ずっとあの女の側近をやっていたことを忘れたか……何年もの間、この鼻孔をくすぐった香りだ。ニセのものと区別するのは、いとも」
たやすい! と斬りつけた。
今度はより深く彼女の顔面を傷つけた。
しかしやはり出血しない。
目のあたりが崩れ、ありえないほどにまぶたが斜め下に落ちている。
ばっ、と顔につけていた〈何か〉をとり、アルシアスの足元の地面に投げ捨てた。
片ひざをつき、指でさわる。
「これは本物の人肉か……腐敗しない技術も驚きだが、成形して他人の顔までつくれるとはな」すっ、と立ち上がって背筋をのばす。「巷間で耳にした、さまざまな人間に化けられる暗殺者がいるらしい、という人を喰ったような噂……くだらないおとぎ話だと一笑に付していたが」
「ふふ。事実は物語よりも奇なり、でございますよ」
まったくだ。
光が体を通り抜けた。突き抜けた、といってもいい。
カミーラに化けた女の胸に、穴があいている。
灰色の髪のカツラが、ぽとりと床に落ちた。
「奇怪にして、みにくい〈素顔〉だ。おまえのように狡猾な者には、ぴったりだな」
あまたの人間を暗殺してきたこの女は、〈模造(もぞう)〉のシシリアという。
殺す対象が愛する人、にくむ人、または警戒をさせないような家族や親類。千変万化で、顔をつくった。
その本当の顔は……
「ふん」
文字では表現できない。おそらくアルシアスが評したとおりなのだろう。
〈オリエンタル〉が小さな音をたてて鞘にもどった。
廊下のひし形の明かり取りから入る光の、赤みが強くなった。
じきに、日が沈む。




