救難信号
晴天の正午。
リクールが〈槍神〉を打ち破り、夜間に要塞教会に侵入。その翌日にあたる。
これは、オーロラとザイネギアが教会領の町のカフェでコーヒーを飲んでいて、帝都にいるカミーラはネイとの対戦を終えて治療中のアルシアスと面会していた時間。
「ん~っ!」
大きく背伸びをした。
地下のせまい通路、そこを出てもどこかさびしい雰囲気がただよう教会内。やっと屋外に出られて澄んだ外の空気を胸いっぱいにすいこんだら、気持ちが少し晴れた。
広大な教会の、屋上にいる。
すると、
(銃声? いや……)
上を見た。
赤い煙が青空に広がっている。
(救難信号か)
そのとおりだった。
あわててロスマリンのところに駆け戻る。
礼拝堂に、彼女と、上級の聖職者らしき男が一人いる。
「これでもう、そなたらもおしまいじゃよ」
「おしまい? いいえ……教会の不正をただす変革はこれからはじまるのです」数本の指で自分の片目をかくすようにしてロスマリンは言った。「デジデリウス大司教」
ととのえられた白髪と、首の中ほどあたりまで伸びた白いひげ。
片手で胸をおさえていて、赤紫色の僧服にしわが寄っている。
もう片方の手の、人差し指をすっと立てた。
「一万はくだるまい」
小さな声でリクールが、えっ、と言った。
「今しがた天にあがったあの合図によって、帝国にいるすべての聖堂騎士、義勇兵、教会直属の戦士たちがこぞってこの地に集まってくる。最初は千人程度じゃろうが……やがて一万をこす大軍となろうぞ。さだめし、これほどに大がかりな争いは教皇聖下ののぞむところではないじゃろうが、やむなしじゃ。すべては、おぬしらの軽率な行動のせいよ」
「そうですか」
驚かせる、いやほとんど脅迫のつもりだったが、逆に驚いたのはデジデリウスのほうだった。
(この平然とした態度……底の知れぬ、不気味な女じゃ……)
「今は、そんなことはどうでもよいのです」
背中を向けた。
女の、丸みをおびた、やさしいシルエット。
そんなこと、と言ったか、この女は。
一万の軍勢に囲まれることがどういうことなのかわからんのか。その程度の想像力もないのか。
「今は、あなたの罪過を審判するときなのです」
「罪過じゃと?」
「忘れましたか」ロスマリンが黒衣のふところに手を入れ、何かをとりだした。
だいたい縦横十センチで正方形、幅は一センチもないうすい大理石。中央に細かい文字がいくつも彫刻されている。
無罪符(むざいふ)。
「これを考案したのは、あなたでしょう?」
大理石の向こうにある、二つの冷たい瞳にデジデリウスはふるえあがった。人を呼ぼうとしたが、かすれて声が出ない。
数秒後「し、知らん!」とどうにか反論するも、
「こんなもののために、どれだけの人間が血の涙を流したとお思いに?」
「う……」
困惑する大司教に背を向け、近くに立つリクールに小声でなにごとかをつぶやいた。
わかりました、とどこか覇気のない返事が聞こえる。
ばたん、と扉を閉めて礼拝堂から出て行ったロスマリン。
直後、扉の向こうで、男の悲鳴があがった。
◆
作戦はすでに実行されていた。
オーロラ、カミーラ、アルシアス、ザイネギア、ガニュメデスの五人が、それぞれ要塞教会へ通じる五つのかくし通路を使って、内部に侵入をこころみている。
道中で、全員が考えていたことがあった。
いったい〈光路〉の残党はどのくらいなのか?
長らく正体不明だったリーダーはもとより、組織そのものも蜃気楼のように杳とした集団。
ある者は残り二十程度と見、ある者は百人以上はいると見ている。
さらに、この中の二人は、
ヨアンナ=エヴァンナスト
のことが、どうしても頭に浮かぶ。
想像を絶する強さの女剣士。
だが怖じているわけではない。
むしろ再会を希望していた。
(〈赤光(しゃっこう)〉を愚弄したこと、たっぷりと後悔させてやる!)
アルシアスがそう思う一方、
(私と同じナスティの民……特筆すべきはあのスピード)
オーロラは、あの女が名前をなのった教会でのことを思い出していた。
(一瞬で背後に回られた……と思ってふりかえれば姿が消え、元の場所に〈座って〉いた……。人間に、あんなことが可能なのか? あるいは)
何か〈なぞ〉があるのかもしれない。
暗い道を慎重にすすむオーロラ。
要塞教会からもっとも遠く、もっとも長い道のりをすすんでいるのは帝国の将軍、ザイネギアだった。
反対に、もっとも短かったのは、
「陰気くさい場所だ」
アルシアスだった。
朽ちかけた木の扉を押し開け、地下から地上に出る。
そこは納骨堂のようだった。棚にならぶ、おそらく内部に人骨が入っているであろう容器を見つめながら、顔をしかめてそう言った。
もう日没が近いはずだが、まだ陽光がある。
天井にはくもりガラスがはられていて、白い光が斜めに差し込み、部屋の上のほうだけを照らしている。
(気配……!)
ふん。
さすがはテロリストたちの巣窟。ずいぶんとはやい歓迎だ。
鋼鉄の扉の向こう。足音がきこえる。
立ち止まった。
がが、とかんぬきをスライドさせている。
アルシアスは剣をかまえた。いくつもの戦場でこれを手に死線をくぐりぬけてきた、〈オリエンタル〉という名の細身の剣。
(入室と同時に、八つ裂きにしてくれる)
不敵な微笑を浮かべた。顔の横にたれる、赤く長い髪。
扉が、ひらいた。逆光になって、短い間、顔がよく見えなかったが、
「あら。あなただったの」
「カミーラ……」様、と思わず続けそうになった。彼女が〈将軍〉になった、またはその少し前の時点からそういう尊称をつけていたので、体にしみついてしまっている。こほん、と咳払いでごまかした。「無事に到着したんだな。私が一番かと思ったが、おまえのほうがはやかったか」
「まあ……〈おまえ〉だなんて」ふふ、と笑う。
「何が悪い」
「いえ、昔のようだなと思っただけです。なつかしいわ。あなたはもともとそういう態度だったのに、いつから変わってしまったのかしらね」
はっ、と返答がわりに短く息をはき、彼女のあとを追って部屋を出た。
長い廊下。一定間隔でひし形の明かり取りが左右両方にならんでいる。
「カミーラ」
何かしら、と斜めにかたむけた顔をこちらに向けた。
「おまえの〈毒血(どっけつ)〉は、いったいどうしている。今は薬でおさえているのか?」
「そうです。迷ったのですが、万が一にも仲間に影響がおよんではいけないと思って、おさえています」
「しかしバラの香りがする」
「微量は出てしまうのです。それが私の体質……不愉快なら、おはなれになって」
そうとも、と静かにつぶやく。
その態度を不審に思い、アルシアスに警戒のまなざしを向けた。
〈オリエンタル〉が、鞘から抜かれる。
「実に不愉快だ」
灰色の髪の間にのぞく彼女の白い首をねらって、赤い光が飛んだ。
◆
教会の内部にある広大な図書館。
棚が円形に配置されていて、蔵書もじつに多い。
棚の前で一冊の本を手にとると、そのまま十段の階段をおり、書籍をぐるりと見わたせる中心のスペースに移動した。
静かにページをめくって、つかのま、ロスマリンは読書を楽しんだ。
(こうやって、本を読みながら、ささやかな生活を送る……もう私の人生ではそれがかないませんが、平和が実現された後世ならば、そのような暮らしも望めることでしょう。そういう人たちが、本当にうらやましい)
「ロスマリン様!」
男の部下が一人、入ってきた。黒い服で、頭にはフードをかぶっている。声の質はみずみずしく、若い。
「し、侵入者です!」
「驚くことはありません。あわてることも」
そっと部下の手をとった。細く、しっとりとした、女の手。その者は顔を赤らめた。
「あ、あの……」
「おおかた、かくし通路を通って、〈彼女たち〉がやってきたのでしょう。あるいは〈あの男〉が……」ロスマリンはこう言いながら、ザイネギアではなく、自分の父親のことをイメージしていた。「自由にさせなさい。あなたたちの手にあまるようなら、私が直接」
お、という口の形でかたまっている。少し背中を丸め、体の全体をふるわせて。
そこから、大量の血をはいた。
男が倒れ、そのうしろに立つ何者かがあらわれる。
「かくし通路? いいえ、正面から入らせていただいたのよ」
手にもっていた書物が斬られ、白い紙が粉微塵になり、ロスマリンの周囲を雪のように舞った。
「まあ綺麗」
本……だったものの破片が、まだロスマリンの手にのっている。
ここまで茫然となったことは、ない。
突然出現した、この人物は誰か。
いやそれよりも、目に映るもの。
この紫の服を着た中年の女の背後に、
(オーロラと同じ、いえ、それ以上の)
天を衝く、大量のブレイド。
そのうちの数本は、はなれた位置にある本棚にまで達し、書物をくしざしにしていた。
偶然風がふいたのか、大地がゆれたのか、剣がささっていた一冊の本がばさりと床に落ちた。
その音で立ち直った。
そうだ。
呆気にとられている場合ではない。
私はロスマリン=ミスフ。平和の実現のために、己の命を投じた革命者だ。
不気味な笑いを向けるあやしい女に向かって、
「天国へ送ってさしあげましょう」
冷たい微笑を返した。




