セット
日没を、ながめていた。
山の間にしずむ赤い太陽を。
(どうしてこんなことになったの……)
ユードラは今の状況が信じられない。
しばられた手。しばられた足。少しがんばってみたが、自力では抜けられそうにない。
それに何、この場所は。
川の中州。五メートル四方ぐらいで、地面の砂利は白い。そのだいたい中心にある、一本だけ生えている幹の細い木に、うしろに腕を回されて拘束されている。そんなに大きい川じゃない。もし体を動かせたら、靴を濡らすぐらいで簡単に対岸にたどりつける。
小さな鳥が足元にやってきた。
「ねぇ、助けをよんできてよ」
ぱたぱた、と羽ばたいて飛んで行ってしまう。
ため息。
茶色い外套は着ているが、寒さで体がふるえる。
目の前の水面は、新鮮なオレンジの実のような色。
夕食時だけど、家庭からもれる料理のにおいや談笑の声などは、ここまで届かない。
当然、大声をあげても、
(無理だよね……)
誰の耳にも入らないだろう。散歩をするには遠すぎ、収穫できるような食べものもない。こんなところに近寄るような人間がいるとしたら……
(オーロラさん)
まず、彼女の顔が浮かんだ。
百戦錬磨の剣士。
ふだんのふるまいにもまったくスキがなく、あやしい気配にも敏感。
あの人なら、思いっきり叫べば気づいてくれるかもしれない。そんな期待感はある。
(だめっ!)
ぶん、と首をふった。
(そんな依存してどーすんのよ。こうなったのは自分のせい。私が、なんとかしなきゃ)
町を歩いていたら、急に背後から目かくしをされ、何かを鼻にあてられた。それで気を失ったんだと思う。目をあけたら、ここにこういう状態でいた。
誰だろう……。
〈光路〉の可能性が高い。テロリストの彼らか、それとも彼らが雇った殺し屋か。
そしてすぐ、自分は〈エサ〉なんだと自覚した。
教会の闇の執行機関〈ホワイトハンド〉最高の戦士、コブラをおびきよせるための。
ということは、
「ユードラ!」
やっぱり。
これはコブラの声。親愛なる父親の声。
旅人のような色あせたマントを風になびかせ、中はそでをまくった黒いシャツに黒いズボン。腰のあたりにボウガンと剣がのぞいている。
(どうしたらいいの)
どんどん接近している。もう川に足をふみ入れてしまった。
来ないで、と懇願したところで、おとなしく聞くはずがない。
どん、と何か低い音が鳴った。
上流のほうからだ。
と、すさまじい轟音とともに押し寄せてくる流れ。
見る間に、コブラの体が腰までつかった。
「ちっ。なんだこの濁流は」
「お父様。ここから少し上流に、確か堰が」
言葉が途中で終わって、あわを吹くような音になった。
いかん、と手足をしばられたままの娘のもとに近づく。
ほほを何かがかすめた。
とっさに手の甲でぬぐうと、血。
(ボウガン……どこから撃ってやがる)
すくなくとも、射手は三人いる。発射地点を小刻みに変えて、
「くそったれ!」
容赦なく、川の中のコブラを攻撃する。
水位が、ユードラのあごのところまできていた。
(狙いはこれか)
すぐに意図を読み取った。
コブラとユードラがボウガンの射線上に重なること。それを待っている。そういう装置だ。現時点の射撃は、つまりまだ〈前菜〉にすぎない。
水を見た。
(さっきはユードラの口をさえぎった……それが、今は首の近くまでさがって……)
おと、う、さま、とユードラの声は切れ切れになっていて、か弱い。
やるしかねえな、とコブラは背筋を伸ばし、
(お父様! 何を……)
いきおいよく、我が娘ともどもおさえこむようにして、水中に沈んだ。
「よし! 一斉射撃!」
どどど、と何本もの矢が、濁った液体ごしに映るコブラの体をおそう。
「おぼれたんじゃねぇか?」
川辺に、三人の暗殺者が集まった。全員、一見、ふつうの市民のような恰好をしている。
まだターゲットの姿ははっきり見えない。
もうすでにじゅうぶんな数の矢は撃っている。
「これで死んでなきゃ、化け物よ」
「案外たいしたことなかったな」
「そうだな。あとはこいつらの首を持っていって、後金をたんまりもらうだけさ」
水が、ひいた。
中州の様子を、三人は確認する。
想像通りの光景が、そこにはあった。
いくつもの矢でつらぬかれた、男の体。
「女のほうは、どうだ?」一人が歩み寄る。「あれだけ水ん中にさらされてりゃあ、さすがに死んでるか」
「そりゃそうよ」
「かりに生きてたって、瀕死さ」
もし、正確な測定機器がここにあれば、コブラが川に身を入れ、再び顔を出すまでの時間は〈四分〉だったとわかっただろう。常人では、とても息が続かない長さだ。
「ふう……」
濡れたあごをさすった。
足元には、胴を斬られてまっぷたつになった死体が三体。
彼らの死因は、コブラの肺活量および息をとめられる長さを予知できなかったことだ。
「しまった。雇い主を聞き忘れた」
ひざが垂直に立っていた足が一つあったが、それがごろりところがって、砂利から砂ぼこりが立つ。
「どうせ〈あいつら〉だろうがな」
ユードラの肩をささえる。
「大丈夫か」
「あ……うん」頭がくらっとする。あの〈四分〉の間、ユードラは上から包みこんだ彼の胸から下腹部にかけて溜まっていたわずかな空気を吸って持ちこたえていた。「平気……」
父の体を見る。
ボウガンが突き刺さっていた、と、思ったのはすべて細工だった。服を裂いているだけ。しかもよく見れば、敵が撃ったそれではなく、どれもコブラ自前の矢だ。
あれだけ追いつめられていたのに、ことごとく射撃を回避して、かつ刺さったように偽装までする余裕。機転。度胸。
激流がすぎさった川を見る。
たまたま呼吸が続くうちに水がひいたのではない。
おそらく、どれだけの時間でどれだけ水位がさがるのか、というのを限られたデータからはじきだしていたにちがいない。
(まったく、どーなってんだか。お父様も、オーロラさんも)
世界がちがう。
少し前を歩く、たくましい父親の背中を見ながら、ユードラの心はさびしい。
同じステージで、いっしょに戦いたいのに。
あとどれだけ、努力したらいいんだろう。
いつかは、こんな私でも……認めてくれるのかな?
「ユードラ!」
いきなりコブラがふりかえった。
ネガティブな感情を見破られないよう、とっさに平然とした表情をつくる。「何?」
親子で向かい合った。
「また、今日みたいなことがあると思うなよ。命があぶないときに、都合よく助けにきてくれるヤツなんていねぇんだ」
「うん。わかった……」
やっぱり、私って足手まといなんだ。
これってたぶん、遠回しにおこられてるんだよ。
そうだよね。私のせいで、お父様があぶない目にあったんだから。
「だがな」ユードラの頭にやさしく手をおくコブラ。「おまえがピンチのときは、俺はたとえ死んだってかけつける。何度でもだ」
顔が、うつむいていてよく見えない。
ほら顔をあげろ、と言おうとした瞬間、
「お父様!」
力いっぱいに抱きつかれ、少しよろめいた。
とくに腰のあたりに、年齢的にどうしようもない、かすかな痛みが走る。
(俺も……年をとったな……)
いや、とコブラは思う。
(ふん。まだまだいけるさ。天国から見ててくれよ、マリアンゼ……)
◆
夜中。
アルシアスは病室を出て、その広大な敷地内にある庭にいた。
剣を手に持っている。
〈オリエンタル〉という名の、長年使用してきた愛用品。柄に飾り気はなく、鍔は小さく、刀身はやや細い。速度を出すということにひたすら特化した剣。
木から葉が一枚、はがれる。
アルシアスの腕が、高速で左右に流れた。
地に落ちた葉っぱの形を見下ろして、確かめる。
(横斬りで七往復か……まだまだ全快とはいかないが、これなら)
「戦えそう?」
病院の人間ではない。
言葉の内容よりも、ゆったりとした世間話のような雰囲気が奇怪。
抜き身の剣を前にして、そんな態度でいられるものではない。一般的な人間ならば。
切っ先を自分のもっとも得意とする高さに調整し、声の主をあらためる。
「今の声は、おまえか」
「誰と戦うの? 〈ホワイトハンド〉それとも〈〈光路〉〉?」
相手もすでに剣をかまえている。右手に持ち、先端を斜め下に垂らしていた。
「おまえは誰だ」
「あなたは、もっと人を殺すというのかしら」
枯れ葉色の髪が風にゆられ、彼女の片目をかくしている。
紫の服を着ている……という以外には特徴のない、どこの町にもいるような平凡な女。若くもない。
「何者か!」
アルシアスはいらだっていた。
相手の正体がわからない。
狙われる理由はある。いくつもある。
ただ、こんな異様なオーラをまとった刺客ははじめてだ。
この静かな威圧感は自分がよく知っている〈あいつ〉に近いものがあるが……
「まあ……そう怒鳴らずとも」
風が、ふいた。
アルシアスの赤く長い髪が浮き上がる。
「せめて安らかに葬ってさしあげましょう。この……過去と、現在と、未来をひとそろえで斬る剣……〈タイム〉で」
闇を背にして斬殺を宣言した女と目が合うと、その視線が体を貫通し、胸の奥の奥まで看破されてしまったように感じた。
「裁きの日はきたのよ。〈赤光(しゃっこう)〉のアルシアス」




