レディ
あたたかい日ざしが地面につもった雪をゆっくり溶かしている。
教会領の小さな町。
そこにあるカフェで二人はコーヒーを飲んでいた。
(おそろしい……)
その様子を、遠くはなれ、普通の市民になりすまして風景にとけこんで見張っている者が数人。〈ホワイトハンド〉と呼ばれる教会の隠された執行機関に所属し、いずれも戦闘には自信のある面々だったが、
(あいつらだけは別格だ)
と、まるで獰猛な獣がそこにいるかのように、全員がもうこれ以上一歩たりとも近づきたくないと思っていた。
オムニブレイドのオーロラと、常勝の将軍〈孤剣〉のザイネギア。
口元のカップをおろす。
「厄介なところへ入った」
真向かいに座るオーロラがやや顔をななめにかたむける。「どこだ?」
低い声で地名を告げる。そして、
「要塞教会だ」
とつけ加えた。
前夜、あの場にザイネギアがあらわれた。そしてオーロラを奇襲した〈光路〉の戦士パトリシアのあとを、直接に追うというよりは各所に潜伏させていた隊員に〈どこをどう通ったか〉を報告させ、行き先を推して割り出すことに成功する。「ゆくえを知りたければ一晩まて」と言われたときは半信半疑だったが、結果的にはこれでよかったんだろう。
ロスマリンの現在地がわかった。
彼が言った名称のとおり、守備の堅牢な施設。金城湯池。
さらに、
「強引に打ってでれば、最悪、皇帝の破門までありうる」
つまり政治・宗教の両面において、攻撃のためらわれる難所。
ザイネギアは頭をかかえた。
「これは……私が思っている以上に、事態が長期化するかもしれぬ」
そして今は戦局が落ち着いているとはいえ、他国と交戦中だ。
いつ爆発するともしれぬ火薬を体内にかかえたまま、戦争などできない。
「単騎」
彼の声に反応して、オーロラの眉がかすかにあがった。
「いや……少数精鋭での突撃をもってすれば」
口元に手をあてて言う。唇を読まれるのをふせぐためだ。が、まわりで監視する人間はすでにあきらめていた。ザイネギアは会話時、ほとんど口を動かさない。露骨に望遠鏡でのぞきこむぐらいのことをしなければ、話の内容の解析は不可能。
「何人だ?」
オーロラの質問に対し、手をぱっとひらく。
「五人。この数にはちゃんと根拠がある。あの要塞教会の内部へ通じる〈かくし通路〉のことは、知っているか?」
「存在だけは知っている」
「それが、ちょうど五つある。一人につき、道ひとつだ」
まず私たち二人だな、と彼の指が〈V〉の字をつくった。
「あとは……」
オーロラはそこで言葉をとめたが、つづきを先に回って読んだのか、ザイネギアは目をつむってゆっくりうなずいた。
◆
幸せな夢を見た。
まだ、剣の手ほどきを受けていない、ただの少女だったころ。
修道院の裏にあった花畑で、みんなが花をつみ、輪になってすわり、ほがらかに童謡をうたっている。
「ねぇ……」
幼きカミーラは、大木に背をつけて立っていた。遊んでいるみんなが豆つぶのように見えるほど、遠くはなれたところで。
「そういうの、やめて」
相手は、返事しない。
黒いフェンスのそばで、腕を組んで立っている。
「私のことは、ほっといて!」
石を投げた。そんなに大きくはない、小石だ。狙ったわけではないのだが、まずいことに顔にあたってしまった。
ほっぺのあたりが少し、赤くなる。
ごめんなさい、と心の中ではすぐにあやまった。
しかし、シスター・マルシェルがめんどうをみる孤児たちの中で日に日に孤立を深めていた彼女は、正直になれなかった。というより、
(もうここを出ていこう。私さえいなくなったら……)
カミーラの特殊な体質〈毒血(どっけつ)〉。
自身の血から発される毒は無差別で、自分ではコントロールできない。
当然、彼女に近寄る者はいなくなる。友だちなんか、できるはずがない。
それどころか、恐怖の対象ですらあった。
肩身がせまい、という言葉では言い表せないほどの重圧と孤独を、この時期のカミーラは感じている。
ただ、その状況をすくった人間がいた。
(えっ)
ほほに感触。
地面に何か、落ちた。石だ。私が投げたのと、同じくらいの大きさ。
「やりかえしたぞ」
子どもにしてはちょっと低めの声。顔は、ちょっと笑ってるみたいだった。
ここから、体が自然に動いた。
おこったわけじゃないし、にくいわけじゃない。
でも、つかみかかっていった。
あとは、上と下が何度もいれかわりながら、二人で草原をごろごろころがった。髪をひっぱったり、腕や足をつねったりしながら。
久しぶりに笑った。笑って、おなかもすいた。
「まあ、朝からごきげんがうるわしいようで」
と、いうのが起床してすぐのカミーラの様子を見たメイド長の感想だった。
ええ、とカミーラは微笑を返す。
(夢の中のあの子には……、そう、オーロラには恩があります。今の私があるのは、すべて彼女のおかげ……)
いつもは寝起きのよくない彼女だったが、この日はちがった。
気持ちよく朝食をすませ、外出のしたくをととのえる。
「お出かけでございますか」
メイド長が言う。家の主人はカミーラなので、「どちらへ」という聞き方はしない。しかし行き先は予想のとおりだった。
「ええ。アルシアスのところへ」
「それでしたら、馬車を」
「けっこう。少し、歩きたい気分ですから」
帝都の中央あたりにある病院。そこで治療を続けている彼女の具合をみにいく。
玄関の扉を開放したとき、やわらかい風がふきこんで、カミーラの灰色の髪と、黒いドレスのスカートがゆれた。
(お美しい)
誰もが、足をとめる。
胸をはった、堂々たる姿。りりしい目元。ひきしまり、かつ、誘惑的な丸みもある赤い唇。
これに、
(カミーラ様のあの瞳は、いったい〈誰〉を見ているんだろう)
恋という心情までがくわわる。
おおげさではなく、周囲の人間からは、カミーラの体がかがやいて見えるはずだ。
「裏切り者……」
黒いドレスの内側にある、白いブーツの動きがとまった。
「裏切り者に……死を……」
人がおおすぎる。
声の方向を、特定できない。
周囲を見わたす。
視界のすみで、正体不明の影が身をかくすように消えた。
体をくるりとターンさせるカミーラ。市民はそれを劇を見るようなうっとりとした目でながめていた。
(変ね)
追ってこい、とばかりに消えてあらわれてをくり返している。
(私を罠にかけようというの?)
髪を耳にかきあげた。
ならば、急ぐ必要もない。カミーラはたくさんの好奇の視線を受けながら、まるで地面に赤い絨毯がしかれているかのような足取りで、余裕をもって歩くことにした。
レディはいかなるときでも優雅であれ。
それがカミーラの信念だった。
(ここ……? ずいぶん妙な場所だけど)
目の前は、鍛冶屋だ。
だが確かに、あやしい影はこの店の中に入りこんだ。
「失礼」
日の光をしめだしたような暗さで、鉄くさい。
しかも、外の寒さとくらべると、室内は汗ばむほどの暑さ。壁際で、炉の内部がいきおいよく燃えている。
広くはない。天井はやや高い。
「あなた……お一人?」
炉の近くに、老人のように見える小男がいた。頭の毛はなく、あごに伸びるひげは白い。
剣の柄に手をかける。
男の足が動いた。
「あと一歩、足を出したら」剣を抜く。〈シャンゼリゼ〉の刀身が赤く光った。「敵意あり、とみなして攻撃します」
男の口から出ているのは、言葉にならない声。わぁ、とか、おぉ、という意味のない単音。
表情は、笑っているようにも、こまっているようにも見える。
(手には何も持っていない……剣の名手という鍛冶屋だったらめずらしくはないけれど、何かがちがう)
突然、男の顔が拡大した。と、とん、というよろけたような足音とともに。
迷っているひまはない。
迎え撃つ、という瞬間に、不可解なことが起こった。
胸から何か出る。噴水のような鮮血といっしょに。
ここで判断を急旋回させることができなければ、カミーラはこの〈出たもの〉に体をつらぬかれ、おそらく命を落とした。
撃たず、ひいた。飛んで遠ざかった。
ぐあ、とうめき、床に倒れた男。
誰かいる。
まず、なまめかしい脚が目に入った。
丈をつめた真紅のスカート。足の付け根まで露出しようかというほどに短い。上は、ぼろぎれのような茶色く汚れた布を、だらしなく、胸元をはだけるように着ている。
見おぼえがある。
「あなただったの……ネイ」
相手は返事をしない。
にらむような眼を返すだけ。
彼女は、元〈レディ・エリーツ〉の戦士。カミーラ直属の部下だった。
きん、と挑発的な音を出したのは、彼女が両手にはめている〈鉤爪〉。三十センチほどの四本の爪がこぶしのあたりからのびる武器。鋼鉄製で鋭利、殺傷能力はじゅうぶんにあるといえる。
〈獣爪(じゅうそう)〉のネイ。
それが彼女の異名だった。
「アルシアスの暗殺でも、命じられたのかしら。命じたのは誰? ロスマリン?」
絶命した鍛冶屋の男を一瞥し、視線をあげると、そこには誰もいない。
見失った……のではない。
天井と壁の角にクモのようにくっついて、こちらを見下ろしている。
「いくぞっ!」
自分の体を弾丸のように飛ばし、右と左からはさむように爪をふる。
剣を手にしたまま前転し、その攻撃をかわした。
スカートのすそが、切れた。
体勢をたてなおし、距離をとる。
「カミーラ……やはり貴様のもとについたのは失敗だった。望んだわけではないのに、女だからという理由で〈レディ・エリーツ〉などというチームに勝手に入れやがって」
「それは気の毒です。しかし、軍という組織は基本的に個人の希望など聞き入れません。あなたのそんな」
「わがまま、と言いたいのかっ!」
空気を切る音。
銀のネックレスが切断された。
装身具が破壊されたことより、
(強敵……)
急所に近いところまで一瞬で攻められてしまったことが驚異。
見ろ、とネイが声をあげた。
自分の武器、片方の〈獣爪(じゅうそう)〉を燃えさかる炉の中に入れている。
「戦場では〈女〉など、邪魔になるだけだ」
灼けて、赤くなる鋼鉄。
「貴様がやかましくとなえていたレディの優雅さなど、笑止」
爪を出した。体の前に、天に垂直にかまえる。
「想像しろ。この灼熱の爪が、己の美貌に深く食い込むところを。そのあと、いったいどういうことになるかを。どうだ? 恐怖で身がすくむだろう? 勇敢な男の戦士ならばひるまない。しょせん貴様は」
爪と爪の間から、人形のような女の顔。
すーっと前によってくる。そこに何もないかのように。
あっというまに皮膚をとかす高熱のものなど、どこにあるの?
涼風を正面から受けるような、そんな自然な表情で前へ、前へ。
馬鹿げたことだが、思わず、ネイは爪を引こうとしてしまった。この〈美しいもの〉を台無しにしてはいけない、という感情がとっさにはたらいたからだ。自発的だったのか、いや、そう思うように外から強制された。それが〈カリスマ〉と呼ばれる天性の力。
〈シャンゼリゼ〉が斜めに流れて、ネイを斬った。
「優雅とは覚悟。失うことをおそれない心。それは恐怖や不安の対極にある、明鏡止水の境地です。もし、私が〈男〉だったら……」
きっとあなたに殺されていたでしょう、と、カミーラは剣をおさめた。




