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聖女のオムニブレイド  作者: 嵯峨野広秋


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深いところへ

 佯撃(ようげき)、という技術がある。

 突くと見せかけて引く、左からと見せかけて右から、斬るかと思えば不動、さがるかと思えば前に出る。

 つまりフェイントと呼ばれる剣技。

 まばらに、静かに落ちる雪。

 オーロラは、汗をかいていた。


(今、やっとわかった)


 その理解に、一時間近くもかかったのは、一種の不覚といえるだろう。

 ロスマリンが単独でさしむけた刺客しかく

 彼女がなぜ一人でいかせたのか。

 届く、とみたにちがいない。

 この腕ならば、


(オムニブレイドなど、相手ではない)


 と、そんな目算もくさんが、すくなくともパトリシアのがわにはある。 

 オーロラの胸を徐々に満たしている感覚。

 負けるかもしれない、という思い。

 負けられるかもしれない、という思い。

 ずっと続いた、誰一人として自分に勝ってくれなかった戦い。

 そこに、この若い女剣士が終止符を打ってくれるというのなら、


(それもいい)


 パトリシアに短い恐怖が走った。

 相手が、いきなり微笑を浮かべたからだ。

 足元に雪がつもってきた。

 両者の間にしかれた〈白いもの〉は、まったくよごれていない。すなわち足が動いていない、どちらも、一度も剣をふっていないからだ。

 ふろうとしたモーションなら無数にあった。

 己の異名にまでなった、高等なテクニック。

 剣先を微動させて、あえて反応、反射させる。卓越した戦士ほど、この対応がさとい。そして正確。そのために、ブレーキの負荷ふかも大きい。とめる、という行動は予想以上にスタミナを消耗する。

 斬るか? 斬らない。

 出るか? 出ない。

 その駆け引きだけの、もの静かな戦闘。

 オーロラの右手には〈バラトーレ〉。ともに、いくつもの死線をくぐり抜けた愛剣だ。

 いっそ一息ひといきに斬りかかっては、どうか。


(それこそ負ける)


 じらしにじらし、ひたすら待つタイプの戦法。

 精度の高い迎撃にこそ、この佯撃ようげきの真価がある。

 顔を見た。

 花をながめるかのようなおだやかな表情。

 ただしそれは、


(みごと……)


 オーロラも同じだった。思わず感心する。自分の剣にここまでねばりづよく立ち会った者は、かつていない。

 パトリシアは剣の先を二ミリあげた。

 しかし動じない顔つきのオーロラ。

 瞬時に、さまざまな攻撃の軌道が予測されたはずだが、何も表に出さない。

 顔の汗も、いつしかひいていた。


(これは、まずいですね)


 今、見たもの。

 剣がうごいた。


(目には目を……というわけですか)


 攻守がいれかわるように、パトリシアにフェイントがかけられた。

 嫌な予感が、二重におそう。

 ストレートの髪が、切られた。光沢のある金の糸がはらりと地面に落ちる。確実に、オーロラ以外の人間がいる。そしてその〈何か〉は、波が引くように闇の中に姿を消した。

 短い助走から跳躍し、急いで白馬に乗った。 


「この勝負はあずける!」


 夜の静寂にひびく声。


「おぼえておけ! 私はパトリシア。〈佯撃(ようげき)〉のパトリシアだ!」


 馬が駆け去る。

 オーロラは人の気配のする位置へ、ゆっくり接近した。

 自分と同じ、ダークブルーの髪の色が、夜陰やいんをとおしてはっきり見えた。


 ◆


 ぬっ、とあらわれたのは長槍ながやりの先端。

 夜警やけいをしていた者は度肝を抜かれた。


「どうか手あつく……お願いします」


 と、バイドゥムの遺体をおろす。

 長かった地下道の出口。

 遠巻きに見てくる警備たちも気にせず、リクールは階段をあがる。


「わぁ……」


 つい子どものような声が出てしまった。

 高いドーム。壮大なステンドグラス。両サイドの壁にかかる宗教画。


「なんということじゃ」


 側面のドアから、えりの高い赤紫色の僧服を着た男が出る。


「なかば断食の状態で地下におこもりになられているのを懸命にとめたのじゃが、あの槍神そうしんどのの予断よだんはあたっておったか……」


 入り口の両開きの扉がひらき、武装した戦士が多数はいってくる。


「大司教様、おけがはございませんか!」

「やめい……神のみもとを血でけがすでない」


 はっ、と剣をおさめ、横にならんで整列する。


「〈光路こうろ〉じゃな……そなた」

「そうです」

「ロスマリンは、どこにいる」

「じきに、来られます」

「なぜここに来た……そんなに帝国と全面戦争がしたいのか、おまえたちは……」

「わかりません。ただ、あの人は言いました」


 ◆


「あの〈要塞教会〉に、我らが光明こうみょうはあるのです」


 大柄な男はそれを聞いて「ふむ」と言った。

 夜の暗い森の中。

「それがあんたらの行き先か」かみ煙草をくちゃくちゃとやり、ぺっ、と地面に吐き捨てる。「言っていいのか?」

「天国からこの世に連絡をつける方法を、お持ちなのかしら」

 その遠回しの表現は、彼には伝わらなかった。 

 帝国軍、ザイネギアの部下。副将軍をつとめている。

 ぶるるっ、とそばでいた生き物。

 赤黒い肌をしたそれは、巨大な牛だった。

 彼は、騎牛きぎゅうの騎士として知られている。帝国、いや世界ひろしとはいえ、牛に騎乗して戦う者はこの男ただ一人だ。


「じゃあ、やるかい」


 とゲームでもはじめるかのように気楽に言う。

 ばふっ、と返事のように牛が音を出した。二本のツノがゆれる。

 男の後方を横切るようにして、牛が森の中に消えた。


「俺はランバイン」


 この名を天国までもってってくれや、と先ほどの意趣返いしゅがえしをする。

 右手、左手、どちらにも大剣をにぎっている。二刀流。

 大ぶりで、木の枝についた葉が一気に落ちた。

「気をつけな。そろそろくるぜ」

 このような忠告をするあたり、最低限の騎士のプライドは持っているようだ、とロスマリンが思ったそのとき、


 がはぁ


 と声をあげながら、後方から牛が突進してきた。

 高い宙返りでそれをかわす。

 あんたなら軽業師かるわざしでメシがくえるな、とランバインが冷やかした。余裕のある態度。一兵卒から実力だけで出世したこの男は、経験豊富。戦闘回数だけでいえば、ロスマリンとはけたがちがう。

 主人のもとへ、近寄る牛。

「ロスマリン=ミスフ。過去〈カミーラ・クラスタ〉に所属して連戦。そのかたわら、何人もの神父どもと寝て、女じゃあ異例の司祭職にまでのしあがった……ってな。まちがえてねぇよな?」

 安い挑発。

 この手のやりかたには、ロスマリンは耳元に空気のふたをつくるようにして聞かず、受け流すことができた。

「うまく森の中に潜伏してたようだが、俺の牛はバツグンに鼻がきく。ここに仲間をひきつれてくることもできたが、手柄は独り占めよ」

 あんたのおいしそうなカラダもな、と、よだれが……牛のそれと同時に地面に落ちた。


「おらっ!」


 大剣を回避して、彼女の黒い服がはためく。いくつものひだが〈オーロラ(極光)〉のようにゆらゆら動いていた。

 それに反応したのか、ふたたび牛が来る。

 猛スピード。


(斬る。いえ)


 一瞬でその判断をした。

 高速でランバインの背後に回る。


「それは、ムダさ」


 ふりかえりざまに剣。カラスのように上に跳ねてかわすロスマリン。


「こいつは、俺にはぜったいに突進チャージしねぇ。そういうふうに調教してる」


 そうかしら、その不気味な声がランバインの体温をさげた。


(うっ)


 まうしろ。

 体の背にくっつくように、ぴたりと密着している。


(落ち着け。鎧でおおわれてないところを短剣でさされたとしても、たいしたことはない。それにこいつの身長じゃ、俺の首筋までは届かないだろうしな。だが)


 邪魔だ。

 ランバインは、自分のしっぽを追いかける犬のように、ぶざまに回転していた。

 牛が、前足で土をかいている。


(おいおい)


 獣の本能について、ランバインは熟知しているとはいえなかった。

 荒々しく、たえまなく動く布切れ。目前もくぜんの未知の脅威に対し、とうとう自制がきかなくなって攻撃に出てしまう。

 完璧なアタックだった。

 エモノに、ずぶりと深く入り込んだ突起。

 断崖から突き落とすかのような、接触直前のロスマリンのひと押しも、大きい。

 むじん、むじん、とうわごとのようにつぶやく。


(〈無刃(むじん)〉……ここまでとはな……やられちまったよ、ザイネギアさん)


 剣も抜かない相手に。

 自分の心臓につきささったツノを見ながら、それでも、彼は牛の頭をなでている。

 地に横たわるランバインのそばをはなれず、その大きな獣は夜明けまでずっと寄り添っていた。



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