きず(傷、瑕)
ほろ酔いの男が通りかかり、扉があいたままの家の中をのぞきこんだ。
せまい室内で剣と剣が交差している異様な光景。
飲みすぎてまぼろしでも見ているのか、と自分のほほをたたくと、ふらふらとした足取りで去っていった。
「どういうつもりなのか、って聞いてんだよ!」
口調のはげしさとは裏腹に、コブラは冷静に今の状況を分析していた。
(ここにオーロラがあらわれたのは偶然じゃねぇ。どこかからアルシアスがこの町にいるってことを聞いて俺をマークし、ここまで尾行してきたってとこか……)
先に剣をひく。「こいつをかばうってのは、テロリストをかばうってのと同じだぞ」
オーロラも、続いて剣をおさめた。「そうかもしれないな」
コブラのまなざしが鋭くなる。一旦は鞘におさめたものの、再度、手がそこへ向かう。
「よせよ……俺は、おまえを斬りたくねぇ」
「剣をとっていない」
「あぁ?」
「戦う姿勢になっていない。コブラ、以前『背中だけは斬らない』と言っていたな。武器をにぎっていない人間は、背中を向けているのとほとんど同じではないのか」
剣をとるものは剣によってほろびる、という意味の古代語をコブラはつぶやいた。そして渋い顔をつくり、
(へ理屈だぜ)
ばりばりと後ろ頭をかく。
(しかし……俺もここにいるのが戦友なら、きっと同じことをするさ)
生死をかけた時間をともにした人間には、特別な感情がわく。これは実際に経験しないとわからない。
かばった理由を説明させようとしたのが、そもそもヤボだったな、とコブラは苦笑する。
「ふざけるなっ!」
低い姿勢で突進し、アルシアスがオーロラに馬乗りになった。
「おまえはどこまで私をバカにすれば気がすむんだ! マザー・マルシェルの愛、カミーラの愛、それどころかロスマリン様の友愛まで、一人ですべてをもっていってしまった。私には……その一つもないんだぞ!」
左手でこぶしをつくっている。
オーロラは抵抗もせず、地面からだまって見上げていた。
「私は、おまえをバカにしたことは一度もない」
左手が静止した。
そして、ふるえながらゆっくりさがる。髪が両目にかかっていて、アルシアスの表情は読めない。ただ、口元は歯を食いしばっているかのようにきゅっと結ばれている。
はあ、とため息を出したコブラ。後方に移動して羽交い絞めのように両腕を回し、無理やりアルシアスを立たせた。そのとき、
「くっ!」
かみ殺したような悲鳴があがった。
おっと、と負傷のことを忘れていたコブラがあわてて手をはなす。
立ち上がって、肩の具合をみるオーロラ。一見してすぐに、
「帝都へもどれ」
と言った。
「骨がくだけている。手術の必要があるだろう。帝都でなければ、それができる医者はいない」
簡潔な内容。反論やくちごたえができる余地はどこにもない。
コブラが言う。「まあ、治療のあとは、それなりの刑罰を受けることにはなるだろうがな。ここで命を捨てるよりは」
ぼーっとしていたわけではない。
しかし、いつそれがそこにきたのか、認識できなかった。時が飛んだようだった。
コブラの口先からほんのわずかはなれたところに、アルシアスの左手。言うな、とばかりに手のひらを彼のほうへ向けていた。
「わかっている。つれてゆけ」
目の前にあるのは華奢な女の手。
少し乱れている、長く赤い髪。
(なるほど……光のはやさだな)
もしナイフを隠し持ち、それが左手ににぎられていたら、と考えずにはいられない。コブラはひそかに戦慄した。
家を出ていくとき、ふりかえってアルシアスは一点を見つめた。
「あの大男は即死させるべきだった。だが……奇妙な力に引かれ、剣が腕のほうにそれてしまったことで思わぬ手傷を負った。いまわしい剣だ。もう見たくもない」
喪服のふところに入れていたものを鞘ごと投げ捨てる。
オーロラに目線。
侮蔑ともとれるような、唇のはしのかすかなカーブ。そのまま目をつむり、小さく首をふったアルシアス。
家の外に待機していた〈ホワイトハンド〉のメンバーに連行され、静かに姿を消す。
(あいつ、笑っていたな)
オーロラにはそう伝わった。
小雪がダークブルーの髪に点々とついている。
長く奪われていた、己の半身ともいえる愛剣。
「いいえシスター……どうぞご遠慮なきよう、ただの安物でございますので」
自分を育ててくれたマルシェルが、世界的な名工からこんな言葉とともにさずけられたという至高の剣。
それをたくされた自分。
ひろう。
(気のせいか)
右手と剣が、共鳴するように白く発光した。
ただ、雪の結晶の乱反射でそう見えただけかもしれない。
(時機だな)
オーロラはそう思った。
この小さな町に、ずっと滞在していてもしかたがない。自分は〈ホワイトハンド〉ではないし、ここで待っていても事態は良くならないだろう。
ロスマリンを止める。
それはテロ組織〈光路〉に戦いをいどむことと同義だが、この世で彼女をすくえるのは自分しかいない、と確信している。
親友のために。
まず足取りをつかむため、今日まで彼らが滞在していた大聖堂のある都市を目指す。
◆
雪のふる夜道。
暗がりから急に、白馬があらわれた。
「ごきげんよう」
と優雅にあいさつをする。
「待ち伏せか」
「そう……近く、オーロラが教会領を出て移動するでしょう、とロスマリン様はあなたの軌跡を予知されました。私はただ指示にしたがって、待っていただけです」
月のあかりはない。ただ、雪のあかりというものはあるのか、二人の周囲はライトが当たっているように明るい。
「どういう指示だ?」
「あなたを組織に引き入れよ。さもなくば殺せ」
明快。思わず、オーロラは微笑しそうになった。
町で借りた馬からおりる。
「名前を教えてくれ」
相手も、足音もなく地面におり立った。
「パトリシアです」
「〈レディ・エリーツ〉か?」
「そうです。いえ、そうだった、と言うべきでしょうか。今は〈光路〉に属する身ですので」
「ロスマリンはどこへ行った?」
「教えられません」
「メンバーは全員、どこかに集まっているのか?」
無言で首をふるパトリシア。「知って、どうします?」
「そこへおもむいて、説得する」
「お花が咲いているのかしら」とんとん、と自分の頭に人差し指をあてる。「そもそも、あのおかたがどうしてテロリズムという強引なやりかたに手を染めなければならなかったのか、考えてみては? 話し合いで世界は変わらないのよ、オーロラ」と、いくぶん年少に見える女剣士が名前を呼び捨てる。まっすぐな金色の髪。ウェディングドレスにも見える華麗な純白の服装。「シスカさんの仇、今こそ討ちとりましょう」
「やめろ」
剣に手をかけようとしたポーズで、急にパトリシアの動きがとまった。
左右に視線をふり、何かをさがすような仕草。そして「おつれではないようね」と口にする。
誰のことを言っているのかわからない。
コブラやユードラ、そしてガニュメデスといった教会がわの連中のことか、と予想したがちがっていた。
やれやれ、と額に手をかざすパトリシア。
「いったいどこへ行ったのでしょうね、未来の皇帝陛下は……」
◆
(ああ、すてき)
もちろん今はそんな場合ではない。
わかっていながら、マリーの胸はときめいていた。
夜の雑踏。
網の目のように入り組んだ市街を右往左往し、手をひかれながら、逃げている。
ひかれているのは、少女のマリー。
ひいているのは、ガニュメデスだった。
(こんなの聞いてないよ、コブラさん)
楽な任務だと彼は言っていた。
〈光路〉が滞在する(現時点では撤退ずみ)街にいる、皇位継承権のあるマリー。
「助けてやれ」
と言い、ガニュメデスの目の前で酒に口をつけていたのが昨日の夕方。
「なんで?」と反論。「帝国軍が入るのを待ってさ、彼らに保護してもらおーよ」
「おまえ、皇位をもつ人間が近ごろあいついで暗殺されてんの、知らねぇのか?」
「でも、それって〈光路〉のしわざでしょ?」
まだそうだと決まったわけじゃない、とコブラは言う。「大人の世界ってのはよ……いろいろ、血なまぐさいモンがあるんだよ」
「じゃ、オーロラにたのめば?」
「だめだ」すぐに否定。「無駄な血が流れる。やっぱり適任はおまえさ、ガニュメデス。商店の御用聞きでもよそおって屋敷ん中に入り、手ぇひっぱってここにつれてくるだけだ」
楽な任務だろ、そう言ってコブラは酒をあおった。
(どこがだよ!)
後ろから剣。二人から二方向で。
前を向いたまま右手のダガーを背中に回し、短い刃渡りの一本で、たやすく二つの攻撃をさばいた。
その様子を目の前で見たマリー。
走ってゆれる金髪。
前を見つめるりりしいまなざし。
(ガニメデ、あなたってすごく)
かっこいい、とキラキラした瞳を向ける。
まだマリーの中では彼の名前は「ガニメデ」で、その性別は「男」である。
はからずも初恋の相手となってしまった少女が立ち止まる。
(ざつで、連携もとれてない。〈光路〉じゃないね。おおかた、賞金稼ぎとか盗賊とか、そういう人間の寄せ集めってとこかな)
少し前のことを思い出す。
この街に到着してすぐ、ガニュメデスはマリーのいる大邸宅に向かった。まだ昼間の時間帯。
その途中、
(え)
各所で爆発が起こり、すぐにあたりは大騒ぎになった。
マリーの家も例外ではない。人の出入りも把握できないほどの混乱ぶり。
救出ははやかった。あっ、という顔をしたマリーが自分から走って近寄ってきてくれたこともいいほうに作用した。
だがそのあとが、悪い。
大都市に閉じ込められた。
夜まで待ったが、おそらく〈光路〉が雇ったと思われる輩が市中に大勢いて、追ってくる。見つかって逃げて潜伏して、また逃げて潜伏して、のくり返し。その過程でできあがった副産物が、マリーの恋心といえるだろう。
ぎゅっ、と手をにぎる。
「ねぇガニメデ、私たち、助かる?」
「あたりまえだよ」
さらりと言ってのける。また少し、マリーのほほの赤みが強くなった。
建物と建物の間のスペース。
そのさらに木箱と木箱の間に、二人はいた。
(ん?)
誰かくる。
着古したような紫の服。丸みのあるシルエット。
(なんだ、ただのおばさんか)
目が合い、にこっ、と柔和な表情。
「かくれんぼかしら」
「はは……」ガニュメデスは苦笑いする。「ま、そんなとこ」
通りすぎる、という予想に反し、その〈おばさん〉は片手を腰にあてて立ち止まった。
「夜遊びは、あまり感心しないけど」す、と耳元の髪をかきあげる。枯れ葉みたいな色してる、とマリーは思った。「いかに、あなたが〈隠密〉だといってもねぇ」
すばやくかまえるダガー。
すばやく剣を抜く女。
「おば……さん……?」
完璧な防御の〈牙城〉。
いかなる攻撃に対しても〈無傷〉、ずっとそうだった。
ロスマリンの剣技をもってしても打ち破れなかった鉄壁。それが今、壊れる。
ガニュメデスの体から飛びはねたものが、木箱に小さな赤い円をつくった。




