結ばれ
数秒後、また教会の扉がひらいた。
オーロラの緊迫した気配を感じ、思わず声をあげる。
「ど、どうしたの? そんな……にらまないでよ」
ユードラだった。ふわっとした素材の白い外套に身をつつんでいる。
「すまない」
とだけ言って、外に出た。
歩きながら、先ほどのことを心の中で整理する。
(生きているうちに、同じナスティの民に会うとはな)
しかも二人。
オーロラがまだ帝国軍の戦士だったころ、彼とは多少の親交があった。お互い、ほのかに〈同族〉ではないかと思っていたところ、ついに確証が得られて複雑な気持ちでザイネギアと酒を飲んだのが昨日の夜。
そして今日の夜。
あの教会での出来事。
(酔っていたわけではない)
軽く、頭をおさえた。
黒い僧服の中から、白い頭巾が落ちた。
ぱたぱた、と自分の足ほどの背しかない子供が駆け寄ってきて、それを拾ってくれる。
ありがとう、と髪をなでると、父親らしき人がいるほうへ元気よく走っていった。
通りにいる人の多さで、オーロラはやっと気づいた。
(そうか。聖誕祭だったのか)
神、と同格の人間がこの世に誕生したとされている日。
「神の代理人です」
まだその声が、耳元に残っている。
ヨアンナ、という名の女。年寄りというほどではないが、ある程度、高齢の女。剣を手に持って勇壮に戦う、というイメージからかなり遠い外見。
(理解できない)
あの動き。
あのはやさ。
あの場でもし、彼女と戦っていたら、
(死んでいる)
とオーロラは思った。豊富な経験と自身の身体能力を考慮した上での結論だ。
はっ、と思わず自分の体をたしかめた。
急に血の匂いがしたからだ。
人通りの少ない道。向こうから、コブラが歩いてくる。
「よぉ」
と気さくに片手をあげた。
すぐに、彼が〈誰か〉を背中にせおっていることに気づく。
「ただの酔っぱらいよ」
言葉もすくなく、じゃあな、とだけ言って立ち去った、
(あれは〈レディ・エリーツ〉の……)
顔に見おぼえがある。
瞬時にオーロラは事情を察した。彼女とコブラが戦った。そしてコブラが勝った。
「このように」
ダークブルーの髪が遠心力でムチのようにしなる。それほどはやく、首を左右にふった。
どこだ、と声の主をさがす。
「殺さない、という方法もちゃんとおありなのよ。あの男は、襲いかかってきた凶手を殺さずに、命をすくったみたいじゃない」
「ヨアンナ! どこだ!」
叫ぶようなその声に、何人かの市民がふりかえる。
「もう一度、胸に手をあてて考えてごらんなさいな。あなたが死へみちびいた命、そのすべてが、はたして〈悪〉だったのか、どうかを」
奇妙だ。
移動しているのか、彼女が発声するたびに、位置がかわっている。それも、一歩二歩ですむような距離ではない。
「遠からず、あなたは選ぶことになる。三つの道を」
木の枝をはなれた枯れた葉が、オーロラの目の近くをひらひらと落ちてゆく。
「生存か」
無意識に、左手でペンダントの十字架をにぎっていた。
「昇天か」
右手は、剣の柄をにぎっている。
「堕獄か」
◆
カミーラの自邸。
夕食を終え、長いテーブルの一番奥の席で紅茶を飲んでいた。
出ていく給仕といれちがいに、入ってきた小柄な女。
そんなにあわてて、と言いながらカップを置く。
「どうしたのです、ディー」
「ル、ルブルック様が……」
「あの野卑な男に、何か?」
「襲撃されました」
カミーラが指で送った合図を見て、入り口のそばに立つ使用人が小さく頭をさげて部屋を出、扉をしめる。
「それで?」
「襲ったのはかなりの手練れで、ルブルック様の左腕を落としています。その切断面のなめらかさから推して、オーロラさんか、もしくは」
すぐに思い当たったのは、一人しかいない。
やはり、その名前がディーの口からあがる。
「アルシアスなみの」〈光路〉は帝国にとっては犯罪組織のため、名前に敬称はつけられない。「剣のはやさだと想像されます」
「そこまで言うということは、もう裏はとれているのね」
「彼女がやった、とは、まだ確定ではありませんが、犯行時刻に〈光路〉が占拠するあの商都にはいなかったことがわかっています」
「今はどこに?」
「それが……」
オーロラが滞在する、教会領の町。
「それなら心配はないでしょう」カミーラはすぐに言った。「むしろ、〈バラトーレ〉を取り返せる好機です。ディー。すぐにこのことを、オーロラに伝えて」
わかりました、とディーは応答した。
「しかし……おしい男をなくしました。礼節は欠きましたが、人として好ましい部分もあったのに……」
「あ。お言葉ですが、カミーラ様」
「何?」
「生きています」
◆
「足りねぇ! もっとじゃんじゃん精のつくもん、持ってきやがれ!」
入り口から彼のそんな様子を見て、カミーラはひたいに手をあててため息をついた。
「おう、カミーラ!」
「まったく……」
いつもなら、ここで敬称をつけず呼び捨てたことをきびしく指摘する。今、それをしなかったことが、ある意味ではルブルックへの親しみをあらわしているともいえるだろう。
(信じられない生命力ね)
事前にディーからは〈昏睡状態〉だと聞いていた。それが、短い間にここまでの回復ぶり。
落とされた、と報告を受けた左腕も、つながっている。
部屋に入ると、ベッドのわきにすえられた椅子からあわてて女が起立した。
「ノーマ……」
「カミーラ様! 本当にもうしわけ」
横から、ルブルックが口を出す。
「こんなガキなんだ。なあ、一時的に〈光路〉に入ったのは、気の迷いってことにしてやってくれよ」
若気のいたりってモンじゃねぇか、と言って、大口をあけて豪快に笑う。
(あら)
自分を助けるようなことを言ってくれた男に流したノーマの視線。そこに浮かんだ〈色〉。
カミーラは、人の心のこういう部分に、とくに敏感だった。すぐに事情を理解する。
(もう、男を見る目がないんだから)
ルブルックの女癖の悪さは、帝都では有名だ。実際、〈カミーラ・クラスタ〉の中にも彼に泣かされた女がいた。
(恋して近づけば、いずれつらい思いをすることになる……。でも、あの子の人生です。私が口を出すことではないでしょう)
部屋を出ながら、そんなことを考えていた。
だがカミーラの予想は、完全にはずれる。
体に重傷を負ったことで人生観がかわったのか、または自分を死のきわまで追いつめたのが〈女〉ということが影響したのか、以後、一切の男女関係の放埓はなくなった。
一人の女を、心から愛したという。
「ほら、おまえもそろそろ帰れ」
「いえ……もう少しだけ……」
数年後、教会であげられた結婚式の祭壇の前には、新婦の体をおおうほどに大きな〈盾〉が飾られていた。
◆
ヨアンナは去った。コブラもどこかへ行った。
オーロラは祭りの喧騒をきらって、町のはずれの客の少ない酒場で飲んでいた。
奥のテーブルの席にいると、
「ねぇ、飲みすぎだってば」
「いや~もっといけるぜ、俺は」
恋人同士らしい若い男女が入ってきた。マスターが無愛想に対応する。
カウンターの席に座った。
客が一人、会計をして出て行った。これで店内にいる客はオーロラとこの二人づれだけ。
がたん、と大きな音がした。
男のほうが、転倒している。
(あいつを思い出す)
男は髪をきれいに剃っていた。オーロラはどうしても、あの巨漢を想像せざるをえない。フードがついたぶあつい生地の黄色い服を着ている。女のほうは真紅のワンピース。
「あの……助けていただけませんか?」
体を起こすのを、という意味だろう。アルコールが過度にまわって重体、というのではない。
「わかった」
懇願を受けて、オーロラは立ち上がる。
ルブルックより一回り以上体は小さい。だが筋肉はしまっているようだ。大工か石工、そんな職人的な力仕事に従事しているのだろうな、と推測する。
床に片ひざをつき、男の上半身を抱き起こそうと、首元に手を伸ばす。
「あんたっ!」
マスターの野太い声。
とっさに右手を床につけ、両足をいきおいよく空中にはねあげて体を回転させ、着地。
僧衣の、腰から足にかけて裂けるように切れた。
「さすがオーロラ。我々の脅威とみなされているだけはある」女の声。
「うむ。敵ながら、見事な反応だ」男の声。
ひぃ、と武器をかまえた〈恋人たち〉の姿を見て、マスターはさっさと逃げてしまった。
(男はダガーの両手持ち。女は剣か)
いやちがう、とオーロラは訂正する。
(ソードブレイカー……)
男のほうは短剣の峰に二、三センチの幅のへこみがいくつかある。
女のほうは剣の峰が髪をととのえる櫛のようになっている。
(なるほど)
この場所も周到にえらんだということか。
狭い室内。天井も低い。
ソードブレイカーを機能させるにあたって、〈突き〉の攻撃が一番さばきやすい。刃をからめとる部分を上にして、あげればいいだけ。相手が刃を横に寝かせていても、あげながら角度を調節すればいいし、たとえできなくても防御には成功する。
ほぼリスクなしの、狡猾な戦術。
(しかも、二人で組むとはな)
聞いたことがない。
ソードブレイカー使いのコンビなど。
男がやや前に出てゆっくり動き、圧力をかけてくる。
オーロラは剣を抜いた。
横方向に、なぐ。
かちん、と金属音が鳴った。
女が斬りつけてくる。
剣で対応。
接触、というタイミングで、剣の刃と峰が一瞬でいれかわった。
(よし)
入る。そう思った。この〈スキマ〉に入ったら最後、こまかい返しもついているから、その刃は抜け出ることはできない。
(へし折れろっ!)
かちん、と音。
女は舌打ちして、後退した。
(運よく、スキマではない部分にあたったか)
運ではない。
ここに過小評価があった。
数分後、
「うおっ!」
「そんな!」
二人が持つソードブレイカーは、ことごとく破壊された。
まず、短剣型のほうは、
「峰に凹凸があるぶん、剣自体の強度がもろい」
刃の同じ部分に衝撃を与えることで、たやすく折れた。
女が使う剣のほうは、
「間隙を拡大させれば、それはもう用をなさない」
峰の同じ部分に衝撃を与えることで、たやすく〈櫛〉をぼろぼろにできた。
いや、四十八本、という凸部の数を考慮すると、少しもたやすくはない。
限られたひとにぎりの人間にしかできない、妙技。
二人は目を合わせた。
そして、破損した武器を手に、オーロラに突撃する。
天井ぎりぎりを、かすめて舞う剣。倒れた衝撃で、棚に飾られた酒のボトルが何本か落下した。
「悪かったな……こうなったのは、俺の実力不足のせいだ……」
「いいえ、二人で組んで戦おうと提案したのは私です。本当に、ごめんなさい」
ソードブレイカーをあえて破壊したのは、彼らの命を助けたいという意思表示でもあった。
しかし二人が選んだのは決死の〈玉砕〉。
手加減など、できるだろうか?
できただろうか?
「迷ってはいけません。剣をとる者は、剣によってほろびるのです」
目をつむったら、育ての親のマルシェルの姿が、その言葉とともにあらわれた。
いつになく、近く感じる。
彼女がオーロラに接近しているのか、または
(私が、マルシェルに接近しているのか……だな)
死者のほうへ、気づかぬうちに引き寄せられているのかもしれない。
顔を向け合って倒れている二人のために。
そして、自分のために。
オーロラは十字を切った。




