戦いの哲学
こんな光景はなかった。
三百ほどの騎馬が中心に頭を向けるようにして広大な円をつくっている。
真ん中に、わずかばかりのスペースがあった。
そこに、あぐらをかいて地面に座る男が、一人。
「俺は将軍と話がしたいんだ」
と強弁するのはリクールだった。
まわりは草原。午前中の時間で、空はくもっていて、少し霧が出ている。
司令官は部下に円形で取り巻かせることなどしない。上下の命令系統がわかりづらくなるし、何よりちょっとしたきっかけで暴動でも起きたらどこにも逃げ場がない。
少数の敵を円形で取り巻くこともない。同士討ちの危険が生じるし、逃げ道をつくっておいたほうが敵をさばきやすいからだ。
つまり、世界のいかなる戦場でも騎馬がこういう〈ならび〉になることはありえない。
稀有な眺めといえる。
「俺は〈光路〉の使いだ。逃げもかくれもしない。伝えたいことがある。将軍を……」
ぬっ、と無言で現れた長身の男。馬をおりている。
「聞こう」
短い、ダークブルーの髪。すでに若くはないはずだが、青年のように若々しい見た目。
(これが将軍か……たしかこの人は〈孤剣(こけん)〉とあだ名されていたように思うが)
その由来も、先日、酒場で耳にした。
「いつのまにか一人で立っているからだ」という。十人ほどの軍勢に単独で斬りこみ、しばらくするとそこにぽつんと立つ人影。それが彼。しかも、直前まで殺し合いなどなかったかのようなおだやかな顔を浮かべるらしい。
ザイネギアとは、そういう男だった。
「爆弾をしかけた」
はっきりリクールはそう言った。まだあぐらで座っていて、腕を組んでいる。
「あの街に一歩でも入れば、すべての爆弾を起爆する。それが、〈光路〉からのメッセージです」
「帝国の要衝たる都……我らとしては、そうなることは避けたい」剣を抜いた。「しかし『了解した』と言っておめおめと退却することもできぬ」
立つ。「三日。三日後には、俺たちは一人残らずあそこからどこかに移動してます。爆弾に火をつける人間も、そのときにはもういません」
「それだけの時間をよこせ、ということか」
将軍、と同じく馬をおりた戦士が横から声をかける。私がこの者を始末しましょう、と言わんばかりの鬼気。
「やる気なら、俺もただでは死にませんよ」
リクールが両手で剣をにぎった。持っているのは、国宝の〈白聖剣〉。
「いや……貴公の勇気に免じて、私は攻撃の命令は出さない」そして静かな声で「道をあけろ」と言った。
円の中心から外周へ向かう、一本の直線ができた。
どこが、と挙げることはできない。
顔のつくりに限れば、まったく似ていない。
体格も異なるし、年齢の差もある。そもそも性別がちがう。
それでも、
(似ている)
とリクールは思った。
(オーロラさんに、似ている……)
◆
教会領の町を歩いている。
基本的に、ここに住んでいる人間は信心深い者が多いので、犯罪は極端にすくない。
散策していると、それがよくわかった。
(こんな暗い路地裏も、帝都では女一人で入るなんて、とても考えられないことだ)
と、オーロラは感想する。
野良猫が目の前を横切った。
日のさしこまない、建物と建物の間の狭い道。
その入り口に人影があらわれ、誰かをさがすようにきょろきょろと顔を動かしている。
(あれ?)
先を歩いていた、修道女を見失った。
あわてて女が前進する。
「うごくな」
と、背後から首に手を回し、町を歩いていた自分を執拗に尾行していた人間を拘束した。
「わ、降参。降参です」
オーロラは、すぐに手をはなした。
「ディーじゃないか」
「ごぶさたしてます」
赤と茶を均等にまぜたような色の髪の、小柄な女。ベージュの外套と、肩から胸にかけて垂れている茶と黒のチェック模様が入ったケープ。
前置きもせず、
「ザイネギアが進軍をとめました」
と報告した。
べつにオーロラはおどろかない。
「市民を人質にでも、とったか」
「ご明察です。そのとおりでして」指を三本たてる。「三日。それだけの、いわば〈光路〉にとってあの街を退却する時間が確保されたというわけです」
オーロラがその将軍の容貌を思い浮かべていると、さらに、とディーが言う。
「ここからが緊急性のあることでして……」
「なんだ」
「やっと判明したんです。あの将軍の本当の名前が」
ザイネギア=ワルトナスト。
事情を知らない人間が聞いても、無価値といっていい情報。
だがオーロラには強い衝撃を与えた。まちがいないのか、と念を押す。
「確かです」と力強いディーの返答。「ワルトナスト……この名前が意味するところは、おわかりかと思いますが」
わかっている。
集団そのものは消え、世界中にわずかに末裔を残すのみ、という古代の民族。
ナスティの民、と呼ばれていた。
だまりこんでしまった。ディーも、声をかけられない。通りから、人の笑い声が届いた。
一分後、あまりここで長く時間をすごせない多忙なディーは、次の報告に入った。
「これは、蛇足かもしれませんが」
という前置き。
オーロラは、いったんザイネギアのことは棚にあげた。
「もしかしたら、オーロラさんに誤解があるのかなと思って。けっして、カミーラ様からの指示ではないのですが」
もどかしい。
いいから話せ、と先をうながす。
「カミーラ様の隊に所属しているかどうかはともかく、帝国軍のルールでは無断で軍からぬけ出すことは重罪です。良心的兵役拒否ですら、何年もの禁錮を強いられます」
それはわかっている、というふうにオーロラは小さくうなずいた。
「そこで……カミーラ様は一計を案じたのです。自分のチームに属している人間に『離反は死罪』と言い渡すことにしました。ほかの騎士団などにもそうふれまわり、軍の重役も彼女がやることならばと信用してその点を一任しました。実際は……〈死んだことにしていた〉だけなのです」
何人かの顔が浮かぶ。
命がけの連戦で心を病んだもの、体を病んだもの、とくに人を殺すことの罪悪感に押しつぶされたものの数は、決して少なくない。
そういう連中は(幸か不幸か)おおむね戦場で死んだが、脱走という一種の賭けに出るものもいた。
たとえば、ナルデもその一人だが……
(手紙?)
ディーがオーロラに手渡す。
「これは私が書いた写しです。オリジナルは、カミーラ様にお渡ししました」
(そんな。そうだったのか……)
あの湖で目撃したこと。
二つの命、すなわちナルデが身に宿していた子もろとも殺害したかに自分には見えたが、そうではなかった。
文面の最後のアルファベット三文字の意味は、しっかりオーロラにも伝わっている。
「なぜ、こんな大事なことをかくすんだ……」
ディーにそれを答えてほしかったわけではないが、せりあがってくる感情を声にせざるをえなかった。
「それだけ、仲間を助けたいという思いが、強かったのでしょう」
そう。
機密、秘密、内密は、いつどこからどうもれるかわからない。
知っているのは自分だけ、理想はそれだ。ただ、脱走後のケアということを考えると、最低一人は協力者が必要だった。
「?」
声もなく、オーロラの目を見ながら首をかしげる彼女。
ディーと名乗った、ハイドランジアの構成員。
カミーラの信頼がそうとう厚いと見ていい。
心を読み取ったのか、
「あ。私なんかでは、かないませんよ。〈四聖女〉の絆には」
あ。という顔になった。
その四人は、現在、二つに分裂している最中だ。
バツが悪くなり、それでは、と言ってあわただしく立ち去った。
「ディーは気づいていたぞ」
頭をかきながら木箱の陰から現れる筋肉質の男。
「気配の消し方は、剣やボウガンの腕ほどではないな、コブラ」
「うるせぇ」
「ずっと、後ろにいるおまえのことを気にしていた。殺気をかくしてもいなかったからな。彼女は、いつ背中を斬られるか、気が気ではなかっただろう」
バカ、とコブラは言う。「俺は、背中だけは斬らねぇ。たとえ戦場でだって、そうだ。それが俺の、数すくねぇ戦いにおける流儀の一つよ」
(背中、か)
ゴンドラの上で、その無防備な箇所を斬られたカミーラと、斬ったロスマリン。
もともと、ロスマリンもコブラに似たポリシーを持っていたはずだ。いったい、氷山で失踪したあとの彼女に、何があったというのか……。
路地裏から見える、大通りにさす光は、もう日没前で赤くなっていた。
◆
酒場に入ったが、席はいっぱいだ。
唯一、カウンターだけに空席があった。
「ご婦人。となりに座っても?」
どうぞどうぞ、と明るい声。
最初は一人で静かに飲むオーロラにかまわなかったが、やがて天気や気候などの軽い話題で話しかけてきて、徐々に口数もふえてきた。
自分は花売りをしているの、という。
枯れ葉のような髪の色をした、中年、と断じることはできないが、若い、ともいえない年齢の女性。
よくいる、話し好きの手合いか、とうんざりしかけたが、言っていることの内容が実に豊富で、オーロラは内心おどろいた。
神学、天文学、文学、そして最近の政治や国際情勢の話。
いつしか、高度に哲学的な内容にまでおよんでいた。
こんな話だった。
目の前にからっぽのグラスがある。そこに液体がそそがれて中が満たされる。やがて人に飲まれたりこぼれたりして、中はふたたびからになる。だが、それはこうも言える、グラスが〈空〉で満たされたのだと。液体で満たされているとき、一方で、この〈空〉のほうは欠乏してしまう。
満ち欠けは、表裏一体。
「この酒場を容器に見立てるとね」と話を続けた。「座席は客でいっぱい。でも同時に〈客がいない〉が欠けている。両方を同時に満たすことはできない。完全には不完全が欠ける。満足には不満足が欠ける……おわかりになります?」
口元だけの笑みで返事した。
実際、しっかり理解できた自信はない。
だが、オーロラはこの時間が心地よかった。久しぶりに、知性と教養のある人間と会話ができたという気がする。
思えば、
(ロスマリンとも、よくこんな話をした)
と、戦場の宿営地で火を囲んで語り合ったことをなつかしむ。
しかしそんな甘美な時間も、長くは続かなかった。
「ご婦人。とても興味深い話を聞けた。できればまたお会いしたい」
「あら? もうお帰りに?」
自分に向けられる殺気のようなもの、それを感じた。
こういうときは、当たる当たらないではなく、さっさとその場を切り上げることにしている。
銀貨一枚をテーブルの上に置いた。釣りはいい、と近くにきたマスターに言う。
出るまぎわ、ふりかえった。
笑顔で手をふる婦人。それにこたえてオーロラは小さく頭を下げる。
(あれは……)
紫色の衣服の中、腰のあたりに突起する何かが見えた。
(剣?)
まさかな、とオーロラは自分のそんな考えを否定した。
おおかた、花売りの商売道具だろう。ハサミか、ものさしか、針金か、およそそんなようなものだろう。
す、とオーロラは姿を消した。
おい今の、えらい美人だったなぁ、そんな評価が店の中に多く出る。彼女がいなくなった入り口のところを、まだぼーっとながめている者もいた。
酔った男の客の中には、誰もオーロラの〈正体〉を知る人間はいなかった。何年にもわたり戦線をはなれていたからだ。もしここに現れたのがカミーラだったら、全員、ただちに酒を飲むのをやめて店を出て行ったにちがいない。
「ものども、動くな!」
入り口に立つ人間が、いきなりそう怒鳴った。
「くそっ……一足、おそかったか」
少し髪を長くした青年の剣士。ひたいに手をあてる。
「おいおいあんちゃん、人が気持ちよく酒をのんでるところに」
剣を、天に垂直にあげるようにしてふった。
致命傷ではない。しかし、男の顔に、半分に分けるような赤い線が走った。悲鳴。逃げるように店を出る。つられてほかの客も出た。危機を察したのか、飲み食いの代金をとるためか、マスターまで店を出て行った。いびきを立てて寝る男が一人と、カウンター席でオーロラと会話をかわした女だけが、店に残る。
「おい!」
花売りの婦人が、なんでしょう、という顔つきになった。
「いたはずだ。この店に……オムニブレイドが。教えろ! いつ店を出た!」
野蛮ねぇ、と落ちついてつぶやいて、グラスに口をつける。
それが、割れた。
剣士が、剣で斬ったのだ。
「私は今夜のうちに、我が組織にとって脅威たる女を殺すつもりだ。さあ!」
椅子の足を、斬った。
そこで青年はやっと違和感をおぼえる。
後ろに倒れるスツール(※ 背もたれのない椅子)。そして何事もなかったように立ち上がる女。
(いつのまに)
どこから取ったのか、手元には新しいグラスさえ持っている。酒も入っている。
汗が、流れた。
主語ははっきりしないが、「もうおそい」という意識がよぎる。
「わ、私は〈光路〉の」
自分に何が起きている?
どうして、こんなみずぼらしいナリの、若くはない女が剣なんかを持っている?
どうして、組織でも屈指の実力と名高い自分が、攻撃を見きわめられなかった?
どうして、応戦することも、それどころか名乗ることすらできずに、敗北する?
あお向けに倒れる。
もう、指一本、動かない。
(あの……天井の……キズ……)
青年はうすれゆく意識で考えていた。
(位置と……自分の体の刀傷から判断して、この店に以前からあったものじゃない……まちがいなく、今、この女がつけたものだ)
天井にふれることにもかまわず、大きく上にふりかぶって斬ったのだろう。
それはいい。
剣が天井にひっかからなかったのか、とかそういう問題ではない。
(どうして……〈三つ〉もあるんだ……?)
目の焦点を、立っている女に合わせる。
(おまえは、誰だ)
両目を見開いたまま、青年は死んだ。
女は銀貨を一枚、カウンターの上におく。
「まちがえてなかったのよ」
死体の横を、通りすぎる。
「確かにオムニブレイドはいたし」
入り口で、立ち止まる。
「今もいる」
オーロラが座っていた場所に視線をさだめ、まるでそこに、まだ彼女がいるかのように語りかける。
「そう……私は最初にその名前を背負った者。唯一、不完全だけが欠けている完璧な〈悉皆刃〉なの」




