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聖女のオムニブレイド  作者: 嵯峨野広秋


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32/61

秘密の記号学

 気持ちのいい風がふいた。

 陽光のあたたかい、午後の時間。

 帝都の中心に高くそびえるキャッスル、そこの空中庭園にいる。

 

「パンジーが咲いていますね」


 こと、と紅茶をテーブルの上においた、カミーラ。

 庭園の中の、四阿あずまや(※ 四方に柱と屋根のある休息所)の椅子に座っている。

 はい、と相槌をうった女は、近くの柱のそばに立っていた。


「パンジーは、自由な思想を象徴する花です。カミーラ様」

「あなたはデートのときにも、そんな不粋ぶすいなことをおっしゃるのかしら?」


 そう指摘されたことに苦笑し、目にかけているものを直す。

 ふちのないレンズを二つ、細い金属でつないだものを。

「かわったアクセサリーをつけるようになったのね」と、その様子を見てカミーラが言った。

 よく見えるんです、と女の返事。「シスカさんのおかげですね。すごい発見です。こんなおうレンズで視力を矯正できるなんて……いずれ、世界中で流行するかもしれません」

「それは、ハイドランジアとしての予見?」

 帝国全土、いや外の世界さえ動き回っている彼らの、社会観察と市場しじょうの分析力による未来予想か、という意味で言ったのだが、彼女は皮肉だと受け取った。

 むだばなしをせず、早く報告せよ、と言われているように思ったのだ。

「そうかたくならないで、ディー」ティーポットから、カップに紅茶をそそぐ。「一杯、いかが?」

 いただきます、彼女はそう言って着席した。ベージュ色の外套がいとうを着て、その上から茶と黒のチェック模様が入ったケープをつけている。小柄なこともあって、座って彼女の上半身だけ見ているとまるで〈マント〉を装着しているようでもある。

「何からご報告するべきか……」

 ディーはカミーラ専属の情報収集要員だった。付き合いも長い。

 決まっています、とカミーラは言う。


 アルシアスのこと。


 ディーが簡潔にまとめた報告を聞く。

 ロスマリンとの関係はいつからか、くわしく調べたが、これはまだわからない。

 次の内容にカミーラは「やはり」という表情になった。

〈カミーラ・クラスタ〉および後継の〈レディ・エリーツ〉。彼女たちには確かに〈オーロラ追跡〉の命令を出した。だが、次々と返り討ちにされたという結果になっている。追え、つかまえよ、とは命じたが、殺せ、などと命じたおぼえはない。剣をとらない追っ手に対し自分から攻撃するなど、あのオーロラには考えられないことでもあった。

「カミーラ様からアルシアス、そして彼女から部下に下知げちする過程で、かなりの改変があったようです」

「つまり?」


「オーロラを殺さなければ、カミーラ様がおまえ(※ 追跡者)を殺す、それまでは決して軍にもどってくるな、というような脅迫的なもの言いでしょう」 


 はあ、と深いため息をつく。

 風が、カミーラの灰色の髪をなびかせた。


兆候ちょうこうはあったのです」


 そう。

 オーロラが軍に合流した際、早急さっきゅうに彼女の〈バラトーレ〉を返すように言ったが、従わなかった。今思えば、もう少しその点を追及しておくべきだった。

「次に」とディーは続ける。「黒騎士団の団長、シルドアがとうとう帝国軍をはなれました。正確な所在はつかめていませんが、大聖堂……そうです、あのロスマリンたちがいる大きな街の、どこか近くにいるとか……」

「オーロラへのうらみ、でしょうか」

 ディーはうなずく。「部下を失ったことの復讐でしょう」

「ザイネギアは」と、同じくらいの将軍職にある男の名を口にする。「いつ、あの街に?」

「おそらく明日みょうにち。おそくとも夜までには」

「不安の種は、つきませんね……」

 そしてカミーラはあそこに残してきたマリーという少女のことを考えていた。

 帝位継承権のある彼女。

 今年に入って、帝位を継げる権利のある者が、三人も暗殺されていた。

 ここに、何者かの意図があるのか……

 マリーもその標的となるのか……


「カミーラ様。どうなされたのですか」


 ディーが立ち上がった。茶と赤がまじったような長い髪がゆれる。

 カミーラは頭をおさえていた。「大丈夫。少し、頭痛がするだけ」

「すみません。一度にご報告をしすぎてしまったようです」

 首をふる。「あなたのせいではないのよ、ディー。まだ体調が万全じゃないから」

 片手を胸にあて、安心、という表情をつくる。それが、あっ、という顔になった。

「忘れていました。これを」


 テーブルの上に、封のあいた手紙。


「これは?」

 お読みになってください、と静かな声でカミーラにこたえた。


 遠いところで、私は元気にやっています、という文面。

 おそらく意図的だろう、地名や人名といった固有名詞がいっさいそこにはない。

 カミーラは筆跡ですでに気づいていたが、末尾の記載でいよいよ確信した。


(OSB……)


 はっ、と顔をあげると、ディーはもうそこにはいなかった。

 カップをとり、あたたかい紅茶を飲む。

 仲間にしかわからない、たった三文字の記号。

 オールド(※ 元)・シルドブレイド。


(幸せになりなさい、ナルデ……)


 青い空を見た。

 彼女もこの世のどこかで、きっと同じものを見ているだろう。


 ◆


 ガニュメデスは不幸だった。

 注文したパンケーキが、テーブルの下に落ちてしまったからだ。

 目の前に、コブラの胸倉むなぐらをつかむオーロラ。


「どうしてとめなかった!」


 苦痛にたえるように目をつむる。

 オーロラはなおも責め立てた。


「知っていただろ! 自分の娘がどこに行くかを、誰と会うかを!」


 あいつは言い出したら聞かねぇヤツなんだよ……とコブラの返事は暗い。


「言うことを聞かせるのが父親ではないのか! 娘を危険に」


 コブラが椅子から立ち上がった。

 カフェの外のオープンテラス。道ゆく人々が何事かと立ち止まる。


「じゃあ、どーしろっつーんだよっ!」


 通りの何人かが、耳をふさいだ。それほどの大声。


「娘と娘が斬り合いになって、俺ぁ、そのどっちを助けたらいいんだよ!」


 オーロラの手がゆるんだ。コブラの服から手をはなす。

「ロスマリンは……おまえの娘なのか?」

 ああ、とも言わず、うなずきもせず、だまって目を見つめる。その目が、そうだ、と語っていた。

 そして瞳の奥にある悲しみ。

「母親はマリアンゼ……マリアンゼ=ミスフ。当時、聖堂騎士として名をはせていた俺に嫉妬した、頭のおかしいやつに殺されちまったよ」

「ロスマリンは?」

「さらわれたんだよ。まだ赤子だった。さらわれた、っていうのは想像にすぎねぇ。家の中にはいなかったし、付近をさがしても見つからなかった。ただ、死んだとは思いたくねぇから、そう思おうとしただけだ。マリアンゼをったやつの口を割ろうにも、山ん中で首をつっていたしな……」椅子に、ゆっくりした動きで座る。「絶望した。何もかもに。それで、教会に願い出たんだ、もう、俺を死んだことにしてくれってな」

 目をつむり、顔をやや下に向けてオーロラは言った。

「すまない。少し……私に思慮しりょが足りなかったようだ」

 いいさ、とぎこちない笑顔を浮かべるコブラ。「それより、ユードラはどうした?」

「町の入り口でわかれたとき、『友だちのところへ行く』と言っていたが」

「そうか」飲みかけのビールに口をつける。

 オーロラ、コブラと順に顔を見て、両者が和解したらしいことを察したガニュメデスは、近くを歩く給仕きゅうじをつかまえ、床に落ちたものを指さして、同じものをちょうだい、とあどけない声で言った。


 ◆


 夕方。

 ある貴族の館。しかし家の主人をふくめ本来の住人である彼らは全員、狭い一室に追いやられていた。


「この家を使わせろ」


 と午前中に押し入ってきたのは、アルシアス。

 広い居間。

 暖炉には火がついている。

 ゆうに六人は座れる長いソファーでくつろいでいる彼女。くつろぐ、いや、その顔つきはけわしい。


(ザイネギアがくるか)


 手元に、剣を引き寄せる。


(問題ない。こちらには〈レディ・エリーツ〉の精鋭、および〈光路こうろ〉の猛者もさがいる)


 悲鳴。

 ぐわっ、がっ、ぐっ、とちがう人間の声が連続する。いずれも男。

 ここには部下はおいていない。仲間もいない。

 一人でじゅうぶんだからだ。護衛の必要はない。むしろ、護衛に足をすくわれる危険のほうがうとましい。

 両開きの扉を、アルシアスは見つめていた。部屋の入り口は、そこしかない。

 その片側だけが、ゆっくりく。

 そこには、誰もいない。廊下が見えるだけだ。


「誰だ!」


 反応はない。

 だが誰もいないわけがない。

 アルシアスは立ち上がる。手には〈バラトーレ〉。すでにさやから抜かれている。

 入り口に、近づく。

 ぬっ、とそれは現れた。

 背の高い男。なぜか、上半身が裸だ。かなりの筋肉。


(何者だ……)


 と頭によぎった思考のはやさ、それと同等といっても言いすぎではないスピード。

 神速。

 首をはねた。

 これが、悲鳴の原因の犯人か?

 それにしては、手ごたえが……

 だらりと垂れた手の向こう、何か光るものが。

 剣だ。

 着ている紺のシャツの胸のあたりが、斬られた。とっさに体を引いていなければ、致命傷だっただろう。


「命を狙われる立場にありながら、警備の一人もおかないという大胆不敵ぶり。ある意味、尊敬にあたいする」


(オーロラ……?)


 一瞬、そう錯覚した。

 相手は、シスターの服装をしていからだ。


「私は〈ホワイトハンド〉の暗殺班。名はガレーシャ。死んでいただきます」


 ははは、とアルシアスが豪快に笑う。 


「おまえもなかなか大胆じゃないか。まだ日も沈みきっていない時間に敵地に正面突破で襲ってきて、さらに所属と名前までさらけ出すとはな」

「愚かな……これこそ、死にゆく者の虚勢きょせい


 右手に剣。ほかに、武器を仕込んでいる様子はない。

 きわめてオーソドックスな剣士。

 軌道を見きわめ、二度、三度とかわす。特別、はやくもない。カミーラやオーロラとくらべると、あきらかにおとる。


(この程度なのか)


 謎のベールに包まれた教会の闇の粛清機関〈ホワイトハンド〉とは。

 ふん。

 相手ではない。

 と、自分の手に目をやったとき、信じられないものを見た。

 血。

 返り血ではない。まだこっちから攻撃をしかけていないのだから。先ほど、おとりの男を斬ったときのものでもない。


(どういうことだ)


 剣で、受ける。

 相手がすぐに剣を引いたとき、今度は腰のあたりを斬られた。布一枚で、体には達していないが。

 ガレーシャが目を細める。


「〈赤光(しゃっこう)〉おそれるに足りず」


 また剣撃。顔の近くにくる。ガードはしっかりできている。

 だが、


(ちっ)


 目の近くが、切れた。片目をつむるアルシアス。


「私の異名は〈追剣(ついけん)〉……。さあ、そろそろ、おわかれの時間ですかね」


 夕刻を告げる、教会の鐘が鳴った。


(なるほど)


 ガレーシャは冷静だった。

 音にきこえたあだ名、光のようだというのは確かに誇張ではない。

 しかし、いくらはやくても剣の攻撃範囲には限界がある。

 モーションに気づき、すばやく後方に身をひけば、は届かない。

 攻撃することで、スキも生じる。

 この、今のように。


「死ねっ! アルシアス!」


 ぎりぎりでガードしたか。

 しかし、身をもって味わうがいい、私の〈追剣(ついけん)〉を。

 ガレーシャは剣を引いた。


「そこがおまえのスキだ」


 う。

 右腕が、落ちた。

 地面に落ちた剣をあらためるアルシアス。

「思ったとおりだ。剣の中に〈剣〉があり、高速で引くことでそのが逆向きに押し出されるしかけか。これが〈見えない追撃〉の正体。ふん、奇抜きばつな剣だ。アデレードも、顔をしかめるだろう」

 剣を、ふんだ。

「おまえはこのしかけで攻撃することに固執こしつしすぎた。だから、あんなぶざまなスキも生まれたんだ」

 ガレーシャが床にうつ伏せに倒れたままで、見上げる。


「アルシアス……確信したぞ、おまえは、あのおかたより……弱い」


 鐘が、鳴りやんだ。

「〈ホワイトハンド〉の仲間か。誰のことを言っている。コブラのことか?」

 ちがう、とこの目は言っているように見えた。

 口から血を吐く。

 残った左手で短剣をつかみ、ガレーシャは自分の身を突いていた。

 アルシアスはもう一度、誰だ、と問いかけた。


「ふ……名前など、ただの記号……」


 そう言い残して死んだ。

 館を出て、死体の処理をさせようとリクールをさがす。


「いってぇ!」


 酒場の席で泥酔していた彼の横腹を、蹴った。


「愚か者! これから大義たいぎをなそうとする者が酒などに飲まれてどうする!」


 さらに一発、と蹴ろうとしたところで、深くフードをかぶった人間が割り込んだ。

「アルシアス様、リクール様、緊急の伝令でございます」機械のような声で続ける。「これから、〈光路こうろ〉の臨時集会をとり行うとのことです」



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