暗殺の美学
少し前。
外で、ノーマが自分の名前をなのった時点。
見張り塔の中のらせん階段をのぼる女がいた。
手には剣をにぎっている。
「時間厳守ができるかたは、信用できます」
「そうよ。今ごろ、大聖堂の時計の針は〈Ⅱ〉の位置をさしているはず。でもあなたにはもう関係ない。あなたがふたたび大聖堂の時計を目にすることは、ないんだから」
下から見上げる彼女の姿は、逆光。
しかし、微笑んでいるのがかろうじてわかる。
(この人が……)
やっと会えた。
ぴったり十段上に、いる。
ロスマリン。テロ組織〈光路〉のリーダー。
「どうして剣を向けますか?」
さとすような声。
「あの手紙に書いてあることが真実ならば、あなたは私の妹のはずです」
「そう……妹よ」
下。オーロラと、もう一人が入ってきた。
時間がない。
ユードラは階段をあがる。
「さっそくですが、姉上……生まれてはじめての、おねだりをさせてください」
この期に及んでも武器すらかまえず、悠長にほほに手などをあてている。
これが帝国を震撼させているテロリストか?
「死んで」
ユードラの剣が、階段の上にいる〈姉〉に向かって、突撃した。
手には何も持っていない。
このまま、斜めに斬りおろせば……
「ふふ」
口づけするような距離。
こんなに近ければ、どうやっても剣をふれない。
(命がおしくないの)
ユードラは困惑する。自分から、斬ってくる人間のふところに入るなんて、正気じゃない。
とっさに、手をひねって、刃をロスマリンに向けた。
ひねったところまでは自分の意志、そこからさらに角度をつけて、押される。手が、かぶせるように上からにぎられていた。
頭がまっしろになった。
一瞬の判断で剣から手をはなしていなければ、あの剣先は私の心臓をとらえていただろう。
ユードラの手をにぎったままで言う。
「もうわかりました。あなたは、いりません」
え。
微笑している、血をわけた私の姉。
その顔が小さくなる。
塔の上から、つき落とされた。
◆
(おそろしいほどの腕前)
オーロラは、下からそれを見ていた。
(徒手だが、まったく不利になっていない)
ユードラの剣をかわし、さらにその剣を利用して攻撃にまで転じた、あの一連の流れ。
ブレイドフリーだ。
あれこそ、〈無刃(むじん)〉のロスマリンの真価。
「あの……オーロラさん」
ノーマが心配そうな顔を向ける。
助けに行かなくても、まで言ったところで、オーロラは首をふった。
「あの足場のせまさでは、邪魔になるだけだ」
それより、と上を見る。
(この吹き抜けを落ちてくる、ということが心配だ)
そして、おそらくそうなるのはユードラ。
そのとおりに、なった。
「ノーマ! 盾をかせ!」
受け取るとオーロラはそれをひっくり返した。
内側、つまり持ち手があるほうを天へ向ける。
(無茶です)
多少、カーブしているとはいえ、なんのクッション性もない。
何より、この高さ。
二階建ての家の屋根……いや、もっと高い。
逃げる、ということも頭をよぎった。しかし同時に、自分を叱咤する母バルマの顔も頭に浮かび、ふみとどまった。
「オーロラさん、私もささえます!」
盾を肩でかつぐようにして、下に身を入れる。
ユードラが、そこに落ちた。
衝撃で、ノーマは転倒。
(信じられない)
オーロラの足はしっかり地についていた。
(本当に人間なの? オーロラさんは〈ある特殊な民族〉の末裔という噂があるけれど……ここまで身体能力にちがいがあるなんて)
土ぼこりが舞った。
白い頭巾がずれて、オーロラの深い青色をした髪が露出している。
大丈夫か、とたずねたが、ユードラの意識は〈上〉に向かっていた。
「ロスマリン! 聞け!」
盾の上で、半身を起こしざまに、大声を張り上げた。
「私か、私のお父様のコブラが、必ず……必ずあなたを殺すから!」
オーロラは上を見る。
よく見えない。視線も、表情も。
黒い髪が、窓からさす光で輝いている。
その光のつぶがしっぽのような軌跡をえがいたかと思うと、ロスマリンは窓の向こうへ姿を消した。
◆
テロ組織のリーダーとして、さまざまな場所を暗躍し、帝国の目をあざむいてきた彼女。
当然、逃走経路の確保にはつねに余念がなかった。
見張り塔の、窓からたれる一本のロープ。
オーロラたちがそれを発見するころ、ロスマリンはすでに森の深いところにいた。
木々の枝葉で日光が入らず、暗い。
(へへ……)
遠くからロスマリンをながめる男。
(ちょいと不用心がすぎるんじゃねーかなぁ~)
位置的に、ロスマリンの後方にいる。
足音を殺し、呼吸の音さえ殺しているため、彼にはまったく存在感がない。鳥や、リスなどの小動物のほうが、立てている音は大きい。
ベテランの暗殺者。
(記念すべき百人目だ……楽しませてもらおうじゃねぇか)
ロスマリンの背中を視界に入れながら追跡する男は、過去の自分の〈仕事〉を思い出していた。
(同業者にはいろんなヤツがいる……ただな、オレは即死させるってヤツだけはちょっと理解できねぇ。この暗殺稼業で一番いいのはよぉ、標的に命ごいをさせる瞬間さ)
そろそろ、罠を大量にしかけたエリアに入る。
ワイヤー、落とし穴、ネット、トラバサミ(※ 足にかみつく罠)。
もう時間の問題だ、と彼はすでに勝った気でいた。
男の名前は、スヌート。
(男でも女でも、若かろうが年寄りだろうが、オレみたいな下衆な人間をさげすんで、お高くとまっていた顔がひるがえってよぉ、『どうか命だけは』ってなるんだよなぁ。そんとき……へへ……オレのよぉ、どこがとはいわねぇが、〈たつ〉んだよ……)
興奮し、自分の息が乱れていたことに気づいて、すぐ修正する。
(あの女にもさせてやるぜっ! 命ごいを、だ。命ごい命ごい命ごいぃぃ~)
数分後、スヌートもようやく異変に気づいた。
鳥のさえずりぐらいしか聞こえない静かな森。
そこを、ゆうゆうと散歩するように歩く彼女。
目をこらす。
右手に、何かを持っているようだった。
(木の枝……?)
ばかな。
あんなもので、オレがはりめぐらせたワイヤーを切断できるのか? そんなヤワなものじゃねぇぞ……。
ばけものだ。
スヌートもただの暗殺者ではない。あきらめる、ましてや逃げるなどという選択肢はない。もう設置ずみの罠は使えない。ではどうするか。すぐに、次の手を打つ。
「ふざけやがってっ! 誰だ、こんなもんをしかけやがったのはっ!」
目の前のトラバサミに、思いっきり足をつっこんだ。
すねとふくらはぎに、食い込む刃。
スヌートの服は、どうみても農民のもの。
大丈夫だ。暗殺者としての〈面〉だって割れていない。オレのことを知る人間は、もはやオレ以外にはいない。家族もいない。
だましきれる。
指にひっかけたワイヤー。これをちょっとひっぱれば、あの女の足の付け根あたりに切れ味バツグンのセンが走る。
セットされてる罠は無理でも、まだセットされていない、スキをついて発動する罠だったらいけるはずだ。
いてぇいてぇ、と顔を伏せながら、指のワイヤーを微調整。
「どうかされましたか」
来てる。
十二歩、十一……五、四……
相手に顔は向けない。見えなくても距離感はわかっている、
あと三歩……、
そこだっ。
ワイヤーを力の限り引き、頭をあげる。
タイミングは完璧。
しかし、
(浮いた?)
スヌートには、そう見えた。
実際は、ただ背筋を伸ばしたまま、両のつま先で地面を押して飛び上がっただけだ。
ロスマリンの表情、物腰、雰囲気などが、彼に魔術的に作用して〈浮遊〉というまぼろしを見せた。
「気づかないとでも?」
森全体、というふうに後ろに視線を向けた。
「あなたが設置した、これらの罠に」
ふるえあがった。
顔は笑っている。だがその瞳には殺意しかない。そんな表情。
「ま、待ってくれ! たのむ、このとおりだ!」地面に頭をこすりつける。「帝国からもらった前金も返す。もう暗殺なんかもせず、まっとうに生きる。このオレに罪をほろぼすチャンスを、くれ!」顔をあげた。「お願いだ! 命だけは助けてくれっ!」
ロスマリンはやわらかい顔つきになった。
天使、まぎれもなく、スヌートはそう思った。同時に、
(ちょろいもんだ。へへ……ちょっと良心にうったえりゃあ、しょせんは女、こんなもんよ。ほとぼりがさめたら、また、ころ)
ひどく近くに顔がきた。それに気をとられ、スヌートの邪悪な考えがとまる。
おお、すげぇ美人だな。
オレに説教するのか、それとも、やさしい言葉でもくれるのか? いいにおいだ……ん? 腕がオレの首に……
ぐるっ、と視界が回る。
スヌートはにやけた顔のまま、死んだ。背骨に対して直角に曲がった頭部。
「喜びなさい……あなたのような悪逆非道の者ですら、天国へ行けるのですから」
森の中を歩きながら、ロスマリンは塔で聞いたことを考えていた。
コブラが父……そして自分は〈妹〉だと打ち明けたユードラ。
心の中の、長く霧がかかっていた部分が晴れた。
(これで次の標的が決まりました)
あの男の、暗殺。
ロスマリンの頭には、カミーラの処刑が阻止された際に見かけた姿が浮かんでいた。
(私の手で、あの伝説の聖堂騎士を……)




