剣の境界
西に向かう馬車。
幌がついていて五、六人は中に座れるが、ただ一人、オーロラしかいない。
西は危険が多い、というのが今のこの地方の常識だった。西に向かうか死か、という物事が行き詰ったことを示すことわざさえできたほどだ。
馬車が急に止まった。
幌の切れ目から外を見るが、まだ町でもなんでもなく、草原の中にいる。
「どうした?」
それが、と申し訳なさそうな顔を向ける馭者。
「剣杭です」
オーロラは馬車を下りて確かめた。
道というほど舗装されていない、かろうじて他の馬車の轍がうすく残っているだけのところだが、通行を阻止しようという意志はなまなましく伝わる。
地に突き刺さった、一本の剣。
彼女の横にならんで同じものをながめた馭者が言った。「柄に刻まれたあの太陽のマーク……まちがいねぇ、サンタナ・ブラザーズですぜ」
「厄介だな」
「厄介どころじゃねぇでさ。騎士団相当の戦力だ。引き返しま」
子供の悲鳴。
「気の毒にな……」と、つぶやき、馬車に乗ろうとした男を背後から呼び止める。「はい?」
地面から木の枝をとり、垂直に刺す。
「この影が」指で土をこする。「この位置に来たら、帰っていい。それまでの時間、私を待っていてほしい」
「はあ……しかし、尼さん」
金貨を一枚、手渡した。馭者が目を丸くする。金貨一枚は銀貨五十枚の価値があり、この運行で彼女から事前にもらっている賃金は、銀貨五枚だったからだ。
「もどってきたらもう一枚渡す。悪い取り引きではあるまい」
そりゃあまあ、という返事に対して軽くうなずくと、オーロラは移動を開始した。
◆
林の中。
近ごろ、上流階級の間で〈ピクニック〉という趣味がはやっていると聞く。野山で食事などを楽しむという内容だが、おそらくは
(剣杭をしかけたタイミングで、運悪くその領域内にいてしまったんだ)
とオーロラはみる。
気配。
数が多い。三から五。
ばさばさ、と木の枝がゆれる音。
あそこだ。
成人の男と女が一人ずつ、血を流して死んでいる。身なりがいい。おそらくは貴族。
剣と胸当てで武装した男たちが、一つの木を、取り囲んでいる。
黒い肌と、屈強な肉体。
全員が上を見上げているところを見るに、どうやら先の悲鳴をあげた子供がそこにいるらしい。
「サンタナ・ブラザーズだな?」
「誰だ!」
「その子に手を出すな」
「これはこれは……抹香くせぇ聖女じゃないか。どうしてこんなとこに……」
斧を持った男が〈だまれ〉というように無言で手をあげた。
「女。頭巾を取れ」
オーロラは、指示にしたがった。
「深海のようなダークブルーの髪……おまえ、やはりオムニブレイドだな?」
「今はどうでもいいことだ。それより、その子から手を引くのか、引かないのか」
「兄貴。俺にやらせてくれよ」
だまってろ、と斧の男が低い声でたしなめる。「俺たちが殺した、その二人については?」
「剣杭について無知だった、ということで静観する。もとより、私とは何も縁がない」
「いいだろう」構えていた斧を、腰にひっかける。「おい、行くぞ!」
男たちは立ち去った。
セットされたテーブルの上にのる紅茶からは、まだほのかに湯気が出ている。他にあった荷物、および死んだ人間が身につけていた金目の物は、すべて持っていかれていた。
「飛べ」
木の上に、声をかけた。
軽い、と思った。わたが体にあたったようだ。
「ケガはないか?」
ない、と言葉でしっかり答えたのは、小さな女の子供だった。長い金髪を後ろで一本の三つ編みにし、水色と白色が複雑に折り重なる服を着て、下のスカートは足元にいくほどすそが広がっていて、いかにも瀟洒だ。
待っていろ、とはなれたところにつれていき、残っていたテーブルをうまく利用して地面を掘りぬき、二人の死者を土葬した。
「待ちな」
あと五分も歩けば馬車、というところで、ほとんどオーロラが予想したとおりになった。
少しちがっていたのは、追っ手が〈一人〉だけだったことだ。
「俺の名はガルトラ=サンタナだ。おまえを倒せば、一気に名があがる」
ひゅん、と空を裂く音。
かなりはなれているのに、風圧があった。
「ムチ……か」
黒い肌で短髪の男は白い歯をむき出した。
「もう〈カミーラ・クラスタ〉の時代じゃねぇっ!」
高速のムチが、オーロラの足にからみついた。
(勝った)
このままひきつけて、短刀でとどめだ。
胸当てに片手を入れ、中をまさぐる。まさぐる。しかし、手は何もつかまない。
「これか?」
胸当てのスキマから、あばらの左右を〈縫う〉ように短刀が刺しこまれる。
どうなってんだ……それがガルトラの最期の言葉だった。
「確かにおまえの言うとおりだ」あいたままの目を、そっと閉じさせた。「もう私やカミーラの時代ではない」




