地下と地上
大聖堂の地下墓所。
ろうそく一本のあかりしかない、暗く小さな部屋。
「やれ」
「でも……アルシアスさん、もうこの人、限界ですよ」
椅子にしばりつけられた男は肩から血を流し、そのほかにも負傷が多い。
しかし強いまなざしで、目の前にいるアルシアスとリクールをにらんでいる。
「自害されては話にならない」
カミーラの処刑未遂の際、ボウガンを射撃して救出を援護した男はつかまり、拷問を受けていた。
アルシアスが、下腹部に蹴りを入れる。
うっ、という男の声。口の中に入れられた詰め物は少し赤く染まっていた。
「それまでに、こいつの素性を……」
もう一発、と蹴ろうとした彼女と男の間に、リクールが両手を横に伸ばしてわりこんだ。
邪魔だ、と手で肩をつかむアルシアス。その手を握り返して、言う。
「それなら、もっと穏便なやりかたがあるはずです」
ぱん、と部屋にひびく音。
リクールは自分の顔をたたかれたことにもかまわず、続けた。
「アルシアスさん……、俺は師匠には恩がある。ここにはいないけど、オーロラさんにも恩がある。だがあなたには何もない。こういう高圧的な真似は、やめてもらえませんか?」
また、たたかれた。リクールの両頬がかすかに赤みをおびる。
アルシアスは冷たい目を数秒向け、無言で部屋を出ていった。
「大丈夫ですか」
リクールは男の口の中のものをとり、手足の束縛のうち、手だけを解いた。
近くのテーブルの水差しをとり、グラスについで男に渡す。
悪いな、とかすれた声が男から発された。
(あっ)
遅かった。
男は水といっしょに、ふところから出した何かを飲み込んだ。それが具体的に何かまではわからなかったが、体にどういう作用を及ぼすものなのかはリクールにもわかっている。
「心やさしい坊主……おまえのために、一つだけ教えてやるよ……いいか、俺たちの〈手は白い〉んだ……」
大聖堂の鐘の音が、この地下の奥深い部屋にも届いて、かすかに聞こえていた。
◆
(ここは……)
そこがどういう意味をもつ土地なのか、オーロラは知っている。
教会領。
帝国から独立している、一種の自治領だ。
四方に防壁がめぐる、小規模な都市。
コブラ、ガニュメデス、オーロラの三人は、手に持った十字架を高くかかげた。入ってよし、という高らかな門番の声。
空はよく晴れている。
ちょうど、昼食時だった。
「教会にも自浄作用がある」
カフェの外のオープンテラスの席で、コブラはいきなり言った。
ここまで、オーロラは自分から〈彼らが何者なのか〉という質問をしなかった。かりに質問をしたところで、ウソをつかれては意味がない。
(ようやく、しゃべってくれるか)
という期待をかくして、彼女はコーヒーカップに口をつけた。
「聖職者とはいえ、不正もありゃ違反もある。反社会的活動への加担だってあるんだ。そういう一切を監視する組織」
それがな、とぶあついステーキを食いちぎって言う。
「〈ホワイトハンド〉だ」
彼のとなりにすわるガニュメデスは、バターののったトーストにかじりついている。オーロラと目が合うと、にこっ、と笑った。
「まー、むずかしく考えなくていい」フォークを持ったまま、手をふった。「俺たちにとって〈光路〉は敵だ。で、おまえもそのリーダーであるロスマリンや、かつての仲間のアルシアスをどうにかしたい。だろ? じゃあ、俺たちの利害は一致してるってわけよ」
ワインを飲み、げふ、と息を吐きだした。
(とりあえずは、な)
利害の一致、それはそのとおりだ。
しかし、その生死、とりわけ親友のロスマリンについては、まだ〈殺す〉ことまでを決意していない。
〈ホワイトハンド〉は、決して彼女を許しはしないだろう。
組織がロスマリンを追いつめたそのとき、自分はどうするか……
もしかしたら、
「ははっ、やっぱりここのメシはうめーな」
「ね。おいしいよね」
この二人を相手どって戦う、ということにもなるかもしれない、とオーロラは考えている。
食事が終わって、おなかをさすっているガニュメデスに軽い質問をした。
「少し前の話だが……関所でなぜ、私を襲った?」
それはねぇ、といたずらっぽい笑いを浮かべる。「黒騎士の追っ手がきてたじゃん。それに、門番の人もさ」
「だが、最初に私に向かってきた男は、おまえのことを知らなかった」
「そこは〈隠密〉だからね」ガニュメデスはスプーンを手の中でくるくる回していた。「〈レディ・エリーツ〉以外じゃ、ボクのことは知らない人のほうが多いよ。でもね、どこにいるかわからない」
「何のことだ」
「ハイドランジアさ」
帝国のスパイ機関の名称。
「あいつらはほんと神出鬼没だからね。どこに〈まぎれて〉るかわからない。で、当然、あいつらはボクの正体も知ってる。それを思えば、あそこでボクはオーロラに剣を向けるよりほか、仕方なかったんだよ。おたずねもの、ってヤツになってたんだから」
「はっ。すぎたことはもういーじゃねぇか……そんなことより、これから」
コブラの言葉がとまった。
オーロラに緊張が走る。
強者。近くにいる。
(ロスマリンに似ている……まさかな)
黒く、長い髪の若い女。腰に剣。白いシャツに茶色いスカート。少しオーバーサイズのように見える外套も茶色。
駆け寄ってきた。
剣に、手をかける。
「お父様!」
ばっ、と座ったままのコブラに抱きついた。
「いつ、おもどりになったのですか」
ああ……さっきだ、と心なしか彼の元気がなくなっている。
「いっしょにつれていって、って、いつもお願いしてるのに」
ねーねー、と遠慮なくコブラのそでを引くガニュメデス。「このおねーさん、誰?」
入れ墨の入った腕を高くあげ、頭のうしろをかいた。
やや目を伏せて、
「娘だ」
と言う。
◆
帝都。
カミーラは、自身の屋敷にもどっていた。
(何年ぶりでしょう)
地下の宝物庫に入り、箱の中からそれを取り出す。
剣。
少し、鞘から出してみる。刀身の根元に、小さなバラの花の彫刻がある。
(〈シャンゼリゼ〉……)
処刑の騒動のとき、それまで使っていた剣、国宝の〈白聖剣(はくせいけん)〉をうばわれている。
やむなく、かつて使用していた武器を引っぱり出すことになったのだが……
(これのほうが、私には合っているのかもしれない)
皇帝より賜ったあの剣は確かによく斬れた、あつかいやすくもあった、が、どうも手になじむものがなかった。
きっと、使用者として〈男〉が前提されていたからだ、とカミーラは思う。
今後、あの剣はどこに行くのか。
たぶん、夜、寝室を襲撃したあの若い男のところに行くだろう、と見る。
完成されていながら、成長の可能性も同時に秘めた剣士。
さらに手ごわくなる、つまりそれは、〈光路〉の戦力が上がるということ。
「誰!」
カミーラはふり返る。
耳をかくす程度の長さしかない茶色い髪。飾り気のない白いカチューシャに、水色のシャツとスカート、その上に白いエプロン。
メイドだ。
も、申し訳ございません、とふるえる声で言う。
「お、おもどりが少し遅いようですので、何かおありでは、な、ないかと……。その、おケガもされているようですし……も、もしかして倒れられてはいないかと……」
ふう、と正体がメイドだとわかって細い息をはく。
カミーラは今日も、昨日、コブラが見立てた黒いドレスを着ていた。
「新しく入った子ね」
「はい、ティモアと申します」
「地下に、まさか自分の判断で来たのではないでしょうね」
「メイド長に……その、許可はいただいております」
そう、と剣を手に、新入りメイドの横を抜ける。
(スキだらけ!)
心の中で、ほくそ笑む。
医師の治療を受けるために、お得意のバラの瘴気とやらも薬で緩和されていて、ほとんど影響を感じない。
数歩前をいく、将軍とは思えないほど、か弱い背中。
スカートの中にかくした剣をにぎった。
ふりかぶる。
「そういえば」
とカミーラがこっちを向いた。急いで、剣を背中に回す。
「は、はい……?」
「私の負傷のことは、誰からお聞きに? もしかして、メイド長かしら?」
そうです、と即答。
「う」カミーラが、腹部をおさえている。
「だ、大丈夫ですか」
ええ……と返事。「少し、傷口がひらいたのかも」
「お背中では、なかったのですか」
まっすぐ、背筋を伸ばす。
うす暗い廊下には、一定間隔で固定された燭台がならんでいた。
その一つが、風圧で消えた。剣をふりきったモーションのカミーラ。
「あぶねー」
メイドがひたいに手をあてる。
「私、失言したの? いったい何がいけなかったわけ?」
カミーラに剣の先を向け、戦闘態勢をとる。そして挑戦的な目つき。おどおどした様子は、もうみじんもない。
「メイド長には、私が負傷した箇所をどのメイドにも言わないようにと、口どめしていました」
言い終わると、彼女は剣を鞘におさめた。
(やはりこの剣がいい)
切れ味がちがう。
この時間差が、何よりの証拠。
「あ、れ……?」
ティモアの上半身が横にすーっとすべり、そのまま地面に落ちた。
わずかな時間、斬られたことの自覚すらなく、普通にしゃべっていた彼女。
もちろん剣の性能だけでは、こうはいかない。洗練された技術がなければ不可能。
無感動に見下ろすカミーラ。
やがて、背中を向けて廊下の奥に消えてゆく。
(急がないと)
帝国軍司令部より、緊急の召集がかかっていた。
すべての将軍、すなわち、カミーラのほかにいる二人の将軍も、そこに呼ばれている。




