夢……
森の中。
夜と寒さと雪のために活動をやめたのか、動物の鳴き声はまったく聞こえない。
「オーロラの手はつめたいね」
ガニュメデスににぎって、引かれている。そして監視するような注意深さで斜め後ろをついてくる男。
手にはボウガンを持ち、腰には剣をさしている。
あの大聖堂でアルシアスとロスマリンに射撃をしたのはこの男でまちがいないだろう。
騎士団長クラスの実力、と見た。
合流の際、コブラだ、と野太い声で自分の名前を告げている。
しかし、
(知らない名だ)
軍での活躍がめざましい人間の名前は、いやでも耳に入る。帝都から遠くはなれた辺境の酒場でも、その種のことがつねに話題にあがるからだ。
「ついたよ」
たき火で木々がぱちぱちと音を立てている。それを囲むように張られた五つのテント。
「座れ」
と有無を言わせぬ声。火のまわりに、輪切りにされた短い丸太が四つ、ならべられていた。そこに腰をおろす。
口をあけかけたオーロラに、男が手のひらを向けた。
「長話をするつもりはない。俺からおまえに言うのは、たった一つだけだ」
オーロラのとなりに座ったガニュメデスが、肩をすくめる。「ねぇコブラさん。この人には、ちゃんと説明したほうが……」
「俺たちに手をかせ、オムニブレイド」
「かすわけないじゃん」ガニュメデスがあきれたように言う。「ボクたちが何者かっていうのも、まだ説明してないんだよ?」
無精ひげをさする。「関係あるまい。おい」鋭い目つきでオーロラをにらんだ。「おまえも、昔の仲間の首が飛ぶところは、見たくなかろう」
「どういうことだ」
「女将軍が公開処刑されるんだよ」
◆
夢を見ていた。
私は、あの人が好き。愛しています。
でも、どうすれば、それを伝えられるのでしょう。
もっと多くの血……
「カミーラ! よせ、その者たちにはもう戦意がない」
もっと多くの命……
「殺す必要はなかった! どうして逃げていく兵まで追いかける!」
もっと多くの功績……
そして、やっと将軍にまでのぼりつめたのに……
「私はもう、おまえとともに戦えない」
黒い背景。
彼女は失望したような眼で私を見つめ、背中を向けた。
「おわかれだ、カミーラ」
待って。
待って……
「目がさめたか」
寝台に横たわるカミーラを見下ろす人間。
「アルシアス」
「背中の傷がひらいてくれて、逆に命びろいしたな。そうでなければ、同志リクールが貴様を斬り殺していただろう」
(いつもの彼女とちがう)
「アルシアス……率直にものを言ってくれてうれしいのですが、私はこれでも〈将軍〉の身です。そのような言葉づかいはやめなさい」
「カミーラ」
やめなさい! とヒステリックに叫ぶ。「私の目の前で、そうやって呼び捨てていいのは」
「オーロラだけ、と?」
ベッドサイドをはなれ、窓の近くに寄る。
「貴様の偏愛にも、困りはてたものだ」
動かそうとしたが、体が動かない。背中の負傷のせいもあるが、何か体の自由がきかなくなるような薬をもられたのか、と想像する。
「命令です。ただちに退室し、ここに医師を呼びなさい」
「まだ自分の立場がよくわかっていないようだな」
剣を抜いた。
「おまえは将軍かもしれないが、私はもはや〈レディ・エリーツ〉ではない。ゆえに」
剣先を、じりじりとカミーラの首筋に持っていく。
「今の私たちに、上下関係はないのだ」
「では今のあなたは、なんだというのです。いったい、何者となったのですか」
「テロリスト……いや、革命家だな」赤く長い髪を、剣を持っていないほうの手で耳にかきあげた。「帝国と教会、その双方に戦争を恣意的に継続させている不逞の輩がいる。そういう連中を一掃することが、組織の目的だ」
それなら、とカミーラは言う。「私にも何か協力できることがあるかもしれません」実際、協力などするつもりはない。彼女には彼女で、戦争のない世を実現するための方法と計画がある。
「貴様の役目は、もう決まっている」一切音をたてず、剣を鞘におさめた。
二人の目が合った。
「この街で、公開処刑されることだ」
◆
帝都から遠くない位置にある、大型の商業都市。
その中心にある広場。
階段がついたステージがあって、そこにはつねに帝国の旗があがっていた。
「おや?」
早朝、日課の散歩をしていた老人が最初にそれに気がついた。
いつもあがっている旗が、おろされている。
そして、黒い服を着た性別不明の人間たちが、黙々とそこで何か作業をしていた。とんとん、と工具を使う音。
(これは、えらいことだ)
その器具が最後にここで使われたのは百年前。
日が高くなり、見物人が増しても、ほとんどの人間は〈それ〉がなんなのかわからなかった。
歴史学を専攻していたアカデミーの学生が、あわてた様子で周囲に伝えてまわっている。
(あれは……ギロチンだぞ!)
人の首を斬る処刑装置。
広場は、たくさんの人々でうめつくされた。
おお、と悲鳴にも似た声があがる。刃がちゃんと役目をなすかどうか、大きな丸太をすえてためし斬りがおこなわれたからだ。木の年輪がくっきり見える、あざやかな切れ味。
四方、街の出入り口には〈レディ・エリーツ〉だった戦士がそれぞれ待機していた。
「やはり来たか」
くもり空。
強い風で、砂ぼこりが舞っている。
石畳の街道を、堂々と背筋をのばした姿勢で歩いてくる、一人の修道女。
「気持ちがいい」イバンカは武器を肩にかついだ姿勢で言った。「小細工なしの正面突破とはな。おまえらしいよ、オーロラ」
「イバンカ、手を引いてくれないか」立ち止まる。間合いは、オーロラの歩数にして五歩。「たのむ……」
視界が、大気中のこまかい砂のために、かすかに黄色くくすんでいる。
「将軍が処刑されたことが帝国全土に知れ渡れば、一気に風向きが変わる。そして、教会が戦争の継続に加担していたことが暴露されれば、その勢いはさらに加速するだろう」
「夢だ」オーロラは一蹴する。
「そう夢」イバンカは武器をかまえた。「でももう私をふくめ、〈レディ・エリーツ〉は現実につかれたんだよ」
金属製のハンマー。
長方形の本体部分、各面の中心に一つずつ、鋭利な突起がついている。
かなりの重量だが、イバンカは木の棒でもあつかようにやすやすと片手でそれを振る。
(剣で受けることはできない)
折れる、ことはなくとも、一撃で刀身が曲がってしまうだろう。
砂のフィルターの向こうに見える、彼女の赤い服。
「この肌には、この色が似あうんだ」
自分の黒い色をした肌をいとおしそうにながめながら、そんなことを言っていた記憶がある。
生まれ持った強靭な筋力、そこから〈剛圧(ごうあつ)〉というあだ名までついた。
オーロラは攻撃をかわしながら、後退していた。
「どうした! 逃げてばかりでは、戦いにならないぞっ!」イバンカの大声。「カミーラを助けたくはないのか!」
一種の、挑発だった。
攻撃をさせる。はやいのはわかっている。もとより無傷で勝てる相手とは思っていない。
(私の肉を斬るがいい、オーロラ。だが、そのかわり、おまえの骨と髄はたたきつぶされるだろう)
やっと、剣を抜いた。
そこで思い出す。
(そうだ! こいつは左を……利き手の左を負傷していたんじゃないか)
オーロラの右手に剣。
欲が出た。
斬らせてもいいという堅実な戦略を捨てたこと、結局、この戦闘を左右したのはそこだ。
剣の刃で受けさせようと、彼女の右側にハンマーを打ち下ろす。
斜めに走る光。
イバンカは最期にそれを見て、死んだ。
オーロラは自分の右手を見つめる。
(望んだ剣の軌道ではなかった……できれば死なせたくなかったのだが)
地面で風にゆれる、赤い服。
戦争のない平和な世界で、普通の女性として幸福に暮らす夢を見ているかのような、やすらかな顔。
それは、そんな人生を自分も生きたかった、というオーロラの希望でもあった。




