赤をともす刃
「誰もいなかったそうだ」
オーロラは耳をうたがった。
「いや……」と、シスカが死んだ橋の場所を、再度念を押す。
「だから、そこには誰もいなかったと言っている」
執務室。
赤く長い髪を留め具をつかってうしろでまとめたアルシアスが、いらだったように言った。
「私をかついだか? それとも、昨日の酒がまだ残っているのではないのか?」
オーロラは、あの出来事をすぐに報告した。
彼女の最期の希望にそって、その部分……テロリストのメンバーだった事実……は、かくして伝えている。私の復帰が気に入らなかったようだ、という、殺し合う理由としては弱すぎるとも思えるようなうそをついたが、表面上、アルシアスはそれを信用した。そして死体の処理に人をやる。一時間程度待った上で、オーロラが執務室に呼ばれて言われたのが、シスカがどこにもいないという内容だった。
「何もない。誰もいないし、物も落ちていない。目をこらしてさがしたが、現場には血のあとすらなかったようだぞ」
オーロラとアルシアスは見つめ合った。
二人とも、言葉にならない疑惑が頭の中でうずを巻いたような、いやな気持ちになった。
コーヒーカップに手をつけた。「しかし……シスカの所在をつかめていないのも事実だ。部下にさがさせているのだが、まだ見つかっていない。広すぎるという街でもないのに……」一口のみ、またテーブルの上にもどした。「追って、彼女のゆくえはさがさなければな」
「ロスマリンもか?」
目つきが、急に厳しくなった。
当然だ、とだけ言う。
しばらく、部屋の中はアルシアスが書類に筆を走らせる音だけになった。
「ひとつ聞きたい。〈レディ・エリーツ〉にガニュメデスという者がいるはずだが」
「それが?」書類に目を落としたままで、言った。
「今、どこにいる?」
「どうしておまえがそれを知る必要がある」と、袋小路に追いつめるような返答。
首をふって、オーロラは目をつむった。
(あいつは〈隠密〉だと自分で言っていた)
ということは、今もどこかで情報収集をしているのだろう。たしかに、自分がそれを知ったところで意味がない。
「私は事務処理でいそがしい。出て行け」
筆の先をつきつけるアルシアスのいる場所から、奥。
あまたの戦場をともに駆け抜けた、物に命が宿っていると考えるならば、肉親なみに濃い血でつながった物があった。
愛剣〈バラトーレ〉。
部屋の奥の角、柄を棚におさまる本の背にかけて、斜めに立てかけられている。
(飛び出せば、とれるか)
想像した。
結論は、すぐに出る。
(とれない)
赤い光……〈赤光(しゃっこう)〉の異名。
オーロラは、あまり勝ち負けを基準にして人を見ない。ただ、スピード、という一点のみにおいては彼女に及ばないという自覚があった。
「おとなしくカミーラ様や私に従っていれば、いずれ取り戻すこともできるだろう」
長く視線がそこにとどまっているのに気づき、ある種、なぐさめのようにそう言う。
自分は立ち、彼女は座っている、という体勢の有利があっても、むずかしい。
アルシアスは、それほどはやい。
オーロラは退室した。
(あいつは大丈夫だろうか)
マリーは、将来の皇帝候補の一人ということもあって、厳重に保護されていた。ある貴族の邸宅に起居し、外出は一切できない。一度、オーロラは彼女との面会を願い出たが、却下されている。そのため、毎日決まった時間にバルコニーに姿を現すマリーに、遠くから自分の姿を見せてやるということしかできなかった。
そして一週間がすぎた。
早朝、一人の見送りもなく、カミーラ将軍ひきいる〈レディ・エリーツ〉の戦士たちは、白い馬に乗って〈水の都〉を静かに発った。
(帝都に帰投……そのあとに激戦地の〈南〉への進軍命令がくだる流れか)
日中、移動を続け、出発した都市と帝都のほぼ中間地点にある大きな都まで進んだ。
まだカミーラは全快していない。
ふらつく足を部下に支えられながら、滞在の都合をつけた貴族の館の中に消えた。
扉の向こうで、
(オーロラ……)
と目を向ける。
その瞳に、すぐに不安の色を感じ取った。カミーラは、何かただならぬ胸さわぎをおぼえている。オーロラにはそれが、言葉がなくても伝わった。
(私もだカミーラ。何か、よくないことが起こるかもしれないな)
部隊の移動中、オーロラが感じた奇妙な空気。
味方が、味方の命を狙っているかのような、いやな緊張感があった。
もう夜はふけている。
酒を一杯、という気分でもない。
オーロラの足は、この街で一番高い建物に向いた。
大聖堂。
入り口の扉に手をかけると、抵抗なく、ひらいた。
信者が座るための多くの座席、壮大な祭壇と、その奥に数メートルもの高さがある大理石の像。天使の群像だ。天井は高く、アーチになっている。ステンドグラスの装飾は、夜の暗さのためによく見とおせない。
これらに〈感動する〉という感性はない。
むしろ、壮麗さなど虚飾にすぎないとオーロラは思っていた。
キャンドルに火をともす人影。僧衣を着ている。白い頭巾をつけ、フードを頭にかぶっていた。
その顔が、向いた。
「あなたさまも修道女でございますか」
微笑する女性。
「ロスマリン……」
「時間がありません」こと、と手に持った燭台を祭壇の上に置いた。「シスカの命を無駄にはしたくありません。オーロラ、私たちと行きましょう。帝国に革命を起こすのです」
「いや、何かほかに方法があるはずだ。それに、武力をもって国の政治を意のままにしたところで、四つの帝国から攻め入られているという苦しい現状は変わらない」
「利口なご意見です。つまり、現状維持を望まれるということで、よろしいのでしょうか?」
私は……。
オーロラは、言葉が出ない。
「現状のまま、ということは、あなたは軍属。私たちの敵」ロスマリンが、僧衣でフードをかぶったまま、剣を抜いた。「こんなことになってしまって、とても残念ですオーロラ……」
親友が自分に刃を向けている。
二人の間に、十歩ばかりの間合い。
やるしかないのか。
剣に手をかける。
力まかせ、という感じで、後方で扉がいきおいよく押しあけられた。
(しまった。あとを尾けられていたか)
白いドレスシャツとグレーのロングスカート、銀色の胸当てをつけた女剣士。
赤い髪をゆらし、祭壇の手前に立つロスマリンに、突進する。
「ロスマリン! ここが貴様の死に場所だっ!」
「人は、いつだって死に場所とともにある……私もそう、あなたもそう……」
とめるか。
だが、そうしたところでロスマリンは剣を引かないだろう。
ここは、ともに戦うべきではないのか。
〈赤光(しゃっこう)〉と力を合わせ、テロリストのリーダーを討つべきではないのか。
それがたとえ、かりそめの平和のためだとしても……
身を、横へずらした。
アルシアスの邪魔をしない、と決断したものの、まだ迷いがある。
赤く長い髪が、空中をふわりと舞った。
突然、頭の向きをかえたからだ。
ろうそくの光を受けて、細いそれが、真っ赤に燃える炎のように光らなければ、オーロラはきっとその〈異変〉を見のがしていた、すなわち、
「見事な反応速度だ……いや、さてはこの〈剣〉の初代の持ち主が、いまだに貴様に神の〈息吹〉を与えているのかもしれないな」
死んでいただろう。
浅く、腕を斬られた。
ローブのすそからぬっと現れて、ゆっくり手に流れてくる血。
赤い。
自分の手も、彼女の髪も、おそらくその思想も。
「オーロラの処刑は、私がやりましょう……ロスマリン様」
アルシアスが、剣を向けている。




