先をのぞむ刃
「師匠!」
元気のいいその声で、なぞが解けた。
(私たちの〈母親〉の名前を、偽名として使っていたのか)
聞きたいことがありすぎてたまらないという様子のリクールに、頭に手をそえ「お静かに」と一言だけ言ってたしなめた。
オーロラと少しはなれた位置に立つ彼女。
全身を包む黒い衣装。闇の中に、顔だけが浮き上がっていた。
「つもる話は、またのちほど」周囲をうかがうそぶりを見せる。どこに人目があるか、誰かが潜伏していないかと警戒している。
リクールが、先ほど捨てた自分の剣を拾い、受け取ったほうの剣をロスマリンに返した。
微笑を浮かべながら言う。「見ていましたよ。今の戦いは、あなたの勝ちです。最強の黒騎士を相手に、一歩もひけをとらなかった……やはり私が見込んだとおり、あなたには立派な〈戦士〉の素質があったようです」
ロ……と、名前を呼びかけて、とまった。
(あいつはリクールに『マルシェル』と名乗っている。私が本当の名を呼べば、混乱するだろう。なにより)
誰がこの会話を聞いているか、わからない。
というオーロラの逡巡を、一目で見抜くロスマリン。
「私は、忘れ物を取りにきただけです」
「忘れ物?」
オーロラの質問に、視線の向きを変えてこたえる。
その先にいるのは、若き剣士リクール。
「機は熟しつつあります」
「待て! どこへ行く!」
黒い布に巻き込むようにして彼を包み、二人は姿を消した。
◆
朝になった。
今日は出頭要請や出撃命令はないのか、とさびれた宿屋の一室で、時間をつぶしている。
窓辺に立って、外の通りや青い空を見る。
昨晩、あらわれたロスマリン。つれていかれたリクール。これは別にいい。自分につきまとってくる厄介な〈子犬〉を引き受けてくれたと言えなくもないからだ。
問題は、
(シルドアと互角、いやそれ以上にやり合った……)
あの強さ。
当然、戦わせないという選択肢はないだろう。即戦力だ。
「俺の剣の師匠に、固く禁じられていますから。義のない戦いはするな、って」
リクールはそんなことを口にしていた。
しかし、テロリズムに義はあるのか?
わからない。
それは個人の信念、個人の考え方に属する問題だ。
だがもし、ロスマリンが「義がある」と豪語して戦いをやめないのであれば、
(私が、あいつをとめるしかない)
ぎい、と耳障りな音を立ててドアがひらいた。
両手をへそのあたりで重ねた礼儀正しい姿勢。
「わざわざ私を起こしにきたのか、シスカ?」
「ふふ……お望みならば、いつでもあなたのメイドになりますよ」
片目にかけた、視力をただすレンズを手でさわって直す。
「もしや、とは思いましたが、さすがにあの若いツバメを寝床に引き入れるほど色好みではないようですね」
「悪い冗談だ」
ええほんとに、と軽く笑う。肩にふれるまであと少し、という長さの茶色い髪を耳にかけた。
「それで、あのお人は?」
「さあな」
これは事実だった。とぼけているわけではないが、正直に言うのもためらわれる。このタイミングでロスマリンの名を出すべきではない、とオーロラは思った。
「カミーラはどうだ?」
「ええ」シスカは説明した。アルシアスが大部の意見書を帝国軍司令部に送りつけ、ようやく一週間の休暇を勝ち取ったこと、その間は〈レディ・エリーツ〉にはいかなる命令も下されないこと、引き続き、一級品の医療物資を配送すること、将軍職の降格はしないこと、などを。
「なるほどな……」オーロラはため息をついた。「あいつらに、過酷な任務を下達させる口実を与えてしまったか」
「さすがオーロラさん、そのとおりです」
意見はのむ、そのかわり……という交換条件を出すのは当然だ。
帝国は今、四方を囲む四つの別の帝国と交戦している。
北、東の戦況は落ちついている。西も、現在はそれほど激しい戦闘はしていない。
問題は、南。
地理的に海に面し、大きな川や湿地が多く、騎馬での進軍が困難をきわめている。
軍の中には「南進せよ」の命を受けて、脱兎のごとく逃げ去った者も少なくない。
命がけの戦場、それが〈南〉にはある。
ぱん、とシスカが手をたたいた。
「嫌なことは忘れて、ちょっと外を散歩しません? 早朝で空気がきれいだから、きっと気分がいいですよ」
寒い。
オーロラは耳、のどをかくすように巻いた白い頭巾を指でつまんでひっぱり、少しでも顔の露出をへらして寒さを防ごうとする。
「あまり、歩いている人はいませんね」
あまり、どころか皆無だ。
朝だとしても、まだ活動をはじめるには早すぎる時間帯なのかもしれない。しかし日はもう高い。この街が、全体的に人がのんびりと起き上がってくるという風土ではないか、とオーロラは考えた。
左に、幅の広い水路。
この〈水の都〉で一番大きい大運河だ。
少し先に、これを横切る橋がある。石造りの、アーチ橋。
「すてきな橋ですね。渡りましょう」
歩くペースを上げたシスカ。白とうすい赤のチェック模様のシャツに、深紅の巻きスカート。そこに黒い胸当てをつけている。
〈心見(こころみ)〉の異名。
〈カミーラ・クラスタ〉でも指折りの戦士だった。
(苛烈な南の戦線か……しかし、こいつやカミーラ、アルシアスがいるのなら)
生き残ることもできるだろう、と見積もる。それほどオーロラは、彼女のことを高く評価していた。
橋の上。
歩いている人間は、誰もいない。
アーチがもっとも高くなる地点で、川面を見つめながら、シスカがふいをつくように言った。
「オーロラさん、私たちの仲間になりませんか?」
どういうことだ、と考える間も与えず、続ける。
「帝国は、いともたやすく私たちに……いいえ、すべての善良な兵士たちに、戦って死ぬことを要求する……自分たちの私利私欲のためだけにです。私は、そんな彼らのために死亡率の高い戦地に行くのなんて、ごめんです。この国は一度内側から、すべてを変革する必要がある」
「テロ……リストか?」
「これは、何人にも打ち明かしてはいけない秘密。私はもう〈橋をわたった〉のです。こうなった以上、オーロラさんが素直に応じてくれるか」剣を抜いた。「私があなたを抹殺するか、二つに一つです」
「シスカ。やめろ。まだ間に合う。おまえのその秘密は、私が命にかけても守る」
水が、岸にあたってかすかな音を立てている。
鏡のような水面に、剣で斬りつけるシスカの姿が反射した。
(説得できないのか)
オーロラは自分にいらだった。
やむをえず、応戦する。
「くっ!」
無意識に声が出た。
体をかわした……ぴったりその場所に刃が向かってきたからだ。
(あっけない)
シスカは失望さえした。
長い時間、つねに死が近くにある戦場からはなれた身では、やはり弱い。あの圧倒的だった強さが、あきらかに劣化している。
(これなら危険をおかして仲間に引き入れることも、なかった)
オーロラの横腹。
宝石でも身につけていたのか、ちがう、体の周囲にある何かが光を乱反射しているような……
気をとられた一瞬、スキができた。
剣は命中せず、うしろにひかれ、間合いをとられた。
自分は今、何を見た?
「あれが……名高きオムニブレイドなのでしょうか?」
「何のことを言っている」オーロラには、シスカが言っていることの意味がわからなかった。彼女自身には、その〈不思議な無数の刃の幻影〉が見えないからだ。
(まあ、いいでしょう)
シスカは深く息を吸う。そして、同じ志を持つ仲間たちのことを考えながら、ゆっくり息を吐いた。
オーロラは、剣をおさめた。
「もう……そんなことしても、遅いんですよ、オーロラさん」
「わかっている。こい」
心を見る、シスカ。掛け値なしの先読みで、それでもって相手の動きの先を読む。
かわすのなら、その先を。受けるのなら、その先を。斬ってくるのなら、その先を。
だが、
(不動……これなら、私が先を読めないとでも思ったのですか?)
狙っているのは何、とオーロラの体を仔細に観察する。
見えた。
一気に鞘から剣を引き抜いて攻撃する……ああ、確かジュジュという子が、得意げにそんなことをやっていましたね。あの技は、一撃が勝負のはず。愚かです。その一撃さえどうにかすれば、私からしたら誰であろうと無防備。要は、抜かせればいいのです。それで勝負はつく。そう、短剣を一本、体の正面に投げてやれば、それを撃ち落とすにせよかわすにせよ、体勢は崩れる。この短剣で……
と、いうところまでを、オーロラは読んだ。
シスカが胸元から短剣を出そうとするタイミングで、鞘を走って加速した剣が彼女を斜めに斬る。
「う」
足が体を支えられなくなり、倒れた。
「心を……お読みになりました?」
オーロラは無言、無表情でこたえた。
ひざまずき、体が少しでも楽な姿勢になるようにする。
頭をささえ、やさしく手をとった。
「これで、よかったのか?」
これから死のうとする人間に向けるには、残酷にも聞こえる問いかけ。
もちろんです、とシスカの返答は気高い。
「私たちがやらなければいけないのです……。道をつくること……。そう……私たちが切り開くのは、光への路……〈光路(こうろ)〉……それが私たちの団結と希望を示す、組織の名前……」
「〈光路〉……」
「私たちが何よりも重んじるのは……実体を秘密にすること……どうか、オーロラさん、このことは……」
わかった、と約束した。
シスカの死とほぼ同時に、橋の下を抜けていったゴンドラ。
それに乗る黒ずくめの人間が数人。全員フードをかぶっていて、正体がわからない。
その船から、刺すような殺気が自分に向けられているのを、感じる。




