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聖女のオムニブレイド  作者: 嵯峨野広秋


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黒きものの刃


(偶然か……?)


 しかし、ありふれた名前でもない。

 存命、という可能性はない。彼女は肺の病気が原因で死んでいる。病気自体はたいしたものではなかったが、高齢の体がそれに耐えられなかったのだ。その死は、オーロラ、カミーラ、アルシアス、ロスマリンの四人が看取みとっていた。


 若いころ、ブレストブレイドとして名をはせた剣士。


 ブレスト……すなわち、神の息吹を(祝福を)受けし者。矢も、剣も、実際はたぐいまれな身体能力でかわしていたのだが、それがあまりにもあざやかすぎて、周囲には〈見えざる力〉が彼女を守っているように見えた。

 中年にさしかかるころ、戦いの殊勲をすべて捨て、帝国領の田舎に移住する。

 そして教会、および孤児院を建設した。そこにはのちに〈将軍〉になる者をふくめ、四人の少女がいた。

 その一人が、ふいに耳にした恩師の名前で、かすかに動揺している。

 酒場の奥のテーブル席。正面には若い男の剣士。

「大丈夫ですか?」下から、オーロラの顔をのぞきこんだ。

「いや……少し、疲れているのかもな」彼女にしては、弱気なことを言う。「それで……そのマルシェルという人は、どういう人物なんだ?」

「すごくきれいな人ですよ」若者らしい、素直な人物評。「頭もよくて。口数は少ないけど、言ってることはどれも正しくて。俺、尊敬してます」

「今、どこにいる?」

 マルシェルのそばにずっといたわけではない。〈カミーラ・クラスタ〉に所属して各地を転々とした何年かは、育ての親である彼女のもとをはなれていた。その、いわばオーロラにとっては動向がわからない空白の期間に、この男に剣を教えていたという可能性もなくはないが……


「ある日、いなくなりました」


 気をつかわせないためか、明るい声。

「死んだのか?」

「いえ、そういう意味じゃなくて……ほんとに〈いなくなった〉んです。失踪というか、まあ、そんな感じで」

 しばらく会話がなくなり、内容の聞き取れない他の客の話し声を耳に、二人はだまって酒を飲んだ。

「支払いは大丈夫だろうな」

「はい!」口をきいてくれてうれしい、と言わんばかりの元気のよさ。「もちろんです。昼間、農家の野良仕事を手伝ったんですよ。でもなぁ……今日はよくても、明日からどうしよう……」


(これが悪党どもを単身で斬り伏せた男か)


 オーロラはおかしくなった。

 少し、都合をつけてやるか、とふところに手を入れたタイミングで、酒場の中がどよめいた。

 入り口。大通りからできるだけ人を呼び込んでやろうとばかりに、扉もドアも、仕切りが一切ない。

 そこに女が立っている。男のように短くした茶色い髪。赤いシャツに、黒いズボン。肩当てと胸当ても黒。長身で、腰に剣をさしていた。


「おい、見ろよ。黒い肌の女だぜ」

「へへ……でもなかなかいい女だ」


 つかつかと、まっすぐオーロラたちのテーブルにくる。

「何の用だ、イバンカ」戦友に向かい、軽くグラスを持ち上げる。「おまえも、酒を飲みにきたのか?」

 目をつむり、口元を優雅にカーブさせた。ゆっくりと、あいている椅子に座る。

 そして手に持っていたものを、席の上においた。

 小さな麻の袋の口からのぞく、大量の金貨。わぁ、とリクールが無邪気な声をあげる。

「サンタナ・ブラザーズにかけられていた賞金だ。アルシアス様から、渡してこいと言われてな」

「いらないものを」オーロラはため息をつく。「よかったじゃないか」と、リクールに向く。「これでとうぶんは食べていける。金の不安がなくなったな」

「残念だが、賞金の譲渡は厳禁だ」背筋を伸ばした姿勢で、きっぱりと言った。

「わかっていない」

 イバンカの片方の眉が、何? とあがった。

 組織をつぶしたのは、こいつだ、とあごの動きで彼を指した。

「本当か」

「うそをついてどうする」

 逃げるまもなく、というか、彼にはそんな気は最初からなかったかもしれない。

 熱く、抱擁していた。イバンカが、リクールを。

「えっ、ちょっと」

「ありがとう……礼を言わせてくれ」

 リクールの顔が、もともとアルコールの作用でそうなっていたが、さらに赤くなる。しかし、照れ、なのか、強いしめつけによるものなのか、外からは判断できない。

 何事だ、とこちらをながめる店内の客。

 ふう、とようやく解放され、息をはき出した。「ど、どういうことですか?」

 オーロラが説明する。「こいつは、以前サンタナ・ブラザーズにいたんだよ」

 イバンカのピンクの唇が動いた。「念のために言うが、自分の意志で入ったわけではない。子どものころ、やつらに人さらいのようにつれていかれて、無理やりメンバーに加えられたんだ」

 ああ……と、やっと納得した。ジョッキに手をのばす。

「いつかは私が、と思っていたんだが、キミが代わりに手をくだしてくれてよかった。救われたよ。あの、ボスが私にしたことは今でも……」

 やめておけ、と制止する。「報告は、それだけか?」

「ああ。カミーラ様も順調に回復している」

 席を立った。

 一人の泥酔した男が、店を出ようとする彼女にからんだ。

「よぉ……おお、いいカラダしてんなぁ……よし! 買うぜ! ねぇちゃん、いくらだい?」

 腰にのびる手。

 寸前で、イバンカがそれをつかんだ。片手で軽くねじるようにしてぱっとはなし、そのまま平然とした表情で歩いて行く。

 悲鳴。

 男の五本の指すべてが、本来、曲がるはずのない方向に曲がっていた。


(あの細い腕に見合わぬ並外れた力……なるほど、〈剛圧(ごうあつ)〉のイバンカは健在ということか)


 大声をあげ続ける男は、外につまみ出された。

 後ろ姿をずっと見送っていたリクールの顔は、まだ赤い。


 ◆


「ついてくるな」

 町のはずれにある宿屋に向かうオーロラを、追っていた。

「こんな夜に、女性を一人で歩かせるわけにはいきません」

「それは冗談で言っているのか」と言い返しはしたが、か弱い女のような扱われ方をするのは久しぶり……いや、もしかしたらはじめてのことかもしれない。「私なら平気だ。さあ、自分の宿に帰れ」

「いや宿も何も、俺は野宿ですよ」

 し、と指を立てた。

 物陰にかくれる。

 暗い夜道。

 前から歩いてくる、長身で痩躯そうくの男。足元まで届く丈の長い、黒い外套がいとう


(あいつが、ここにいるとは)


 鋭い目つき。腰まで伸びた白い髪。左目に、斜めに入るキズあと。


「出ろ」


 と一言だけ。

 家のあかりも、月あかりもない道。相手とじゅうぶんな間隔があった時点で身をかくしたのだが、やりすごすことができなかった。

「部下が世話になった」

 黒騎士団の団長、シルドアが静かな声で言う。

「好きで世話をしたのでは、ないがな」

「あいかわらず」ゆっくりした動作で、剣に手をもっていった。「ムシのすかない女だ。自分かわいさに、カミーラに泣きついたか」

「軍では私闘は禁じられていたはずだ」

 それには、剣で返事をした。

 オーロラがあとずさる。

「おまえを殺し、強盗騎士団に身を落とすのもいい……」

〈レディ・エリーツ〉相当、いや、人員の多さを考慮すると、それをも上回る戦力。

 そのリーダー。完全な実力主義によって得た地位ではないが、最強の黒騎士との呼び声が高い。

 移動し、運河のそばに出た。

 一本の木をはさむ。

「目的は無罪符むざいふか。だが、おまえにうらみを持つ者は多いぞ。自覚はないかもしれないがな」

 を斜めに傾け、剣を受ける。シルドアが腕力でさらに押す。少し、オーロラの体勢が崩れた。


「終わりだ」


 首筋に斬りつけた剣を、さえぎった剣。


「すみません……ちょっと、脇道に入って吐いてました……さすがに酔ったままじゃあ、戦えないんで」


 を両手で持ったリクールが、両者の間にわって入った。

「邪魔をするな。小僧」

「うらみがどうこう言ってたけど」腕の力で押し、くっついていた相手の剣をひきはがした。「俺は、この人に恩がある。それが返せるなら命を捨ててもいいと思ってる」

「ならば、捨てるがいい」

 シルドアが、剣先で円をえがいた。

 過去、皇帝に謁見した際、「そなたの剣技を見せよ」との要請に彼はこう応じた。

 きわめてスローな動きで、剣の先で〈正円〉をかいたのだ。「これで、おわかりいただけましょう」と静かに言ったシルドアを皇帝が絶賛したという逸話いつわが残っている。

 ジオメトリカル。

 いつしか、卓越した技術にそんな名称がついていた。


(なんだ、この剣の軌道は)


 でたらめ、ではない。かといって、規則的でもない。

 相手をキャンバスにみたてて、幾何学模様を描写しているかのような。

 正方形の剣戟けんげき

 肩を、斬られた。

「もういい」オーロラがうしろから声をかける。「さがっていろ。おまえが強いのは認める。しかし、この男はレベルがちがう」経験の差もな、とシルドアの目を見る。かすかな興奮さえうかがえない、おだやかな水面のような目だ。ここからは見えないが、たぶんリクールは戦意に燃えるような目をしているだろう。この差異が、大きい。

 何かが回転しながら飛んでくる。

 剣だ。

 持っているものを捨て、リクールがそれを受け取った。


「勝ちなさい」


 聞きおぼえのある声。

 それを聞いて、まるで迷いをふりきったかのように、リクールの活性があがった。

 両手持ちで、全力で、ふる。


「うおっ!」


 と、寡黙かもくな男が攻撃を回避しながら思わず声をあげてしまう。

 シルドアの、ほほが斬られていた。

「ばかな。届くはずが……」ちら、と声がした暗闇のほうに目を向ける。「奇妙な気配。ここはさがるか」

 黒騎士団の長は、闇と同化するように消えた。

「まだ、この街にいたのか」

 動揺を悟られないように、つとめて冷静な口調で言うオーロラ。

 夜なのに、きら、と微小な光を発する黒髪。

 運河のかすかな水音。それよりも小さな足音で近づいてきたのは、カミーラの暗殺をこころみたロスマリンだった。


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