いたわりの刃
今よりも、やや背が低く、髪が短く、あどけない顔つきのオーロラ。
天蓋のついたベッドの横に、立った。
「う……ん……あと、少しだけ……もう起きますから……」
と、言っただけで起き上がる様子がない。
少し待ってはみたが、すうすう、と小さな寝息がふたたび聞こえはじめた。
寝返りをうって、うすい素材のネグリジェがめくれ、足がなまめかしく露出した。室内に男の従者はいないが、ふとんをかけ直してオーロラはそれをかくす。
わざわざすみません、と、メイド長の女性が頭を下げた。いいんです、と片手をあげて返事。「こいつは、いつもこうですから」
(このおかたに『こいつ』だなんて)
メイド長は心の中で笑った。はなばなしい戦果をいくどもあげ、異例の早さで平民から上流貴族にかけあがった、カミーラ=ウィルスグレイ。家の中はおろか、軍部においてもそうやって呼び捨てられる者は、もはやあまりいない。仲間内でも尊敬、敬愛、畏怖されていて、気がねなくそう言う人間は、
(あなただけです)
自分のうしろから、ほほえましいものを見る目を向けられていることに、オーロラは気がつかない。
それより、この状況。部屋の外ではむずかしい顔をした若きアルシアスが腕を組み、その近くでソファに座ってもの静かに読書するロスマリンがいた。とっくに部隊を出発させる時間だというのに、それをひきいる〈長〉がまだ寝床でまどろんでいる。
カミーラは、朝が弱い。
これは誰もが知るところだった。
「お体をやられます」背後のメイド長をふりかえった。「おさがりになってください。あとは、私が」
〈毒血(どっけつ)〉。
彼女の体から発散され、空気をつたって周囲の者を弱体化させる、バラの瘴気。
このために、安易に力ずくで起こすということができない。以前、体をゆすって無理やり起こそうとしたメイドが瘴気にやられ、三日間、体を壊して寝込んだことがあった。
オーロラは剣を抜く。
これが一番だということを、彼女は経験で知っていた。
首に、無言で、刃をおろした。
(はっ!)
まぶたが、ひらいた。目のあたりに、長い灰色の髪がかかっている。
「寝坊だな、カミーラ」
首と剣が接触している。しかし、まったく切れていない。部屋には二人以外誰もいないが、もし剣をふりかぶる動きと、斬る動きとを目にする者がいたなら、血の一滴も出ていないことが不思議でしょうがないだろう。
またこんな起こしかたをして、と、カミーラが上体を起こす。「あなたのキスなら、もっと気持ちよく目ざめられたのに」
「さっさと支度をしろ」
馬上、そんな過去のことを考えていた。あとは、急いでください、と途中でシスカが何度も言っていたことぐらいしか、おぼえていない。
天蓋のついたベッドの横に、立った。
苦しそうな表情で、息が弱い。
「シスカ!」
そばでつきそっていた彼女は、部屋に入ってきた二人を見ると、すぐに怒鳴った。
「誰がそいつを連れてこいと言った!」
アルシアスの剣幕に、ただあやまるシスカ。「勝手な真似をして申し訳ありません。しかし、私がお見受けしたところ、カミーラ様にとって一番大切な存在は」
最後まで言わせず、出ていけ、と一喝した。
ドアがしめられる。
部屋には、カミーラと医師と、アルシアスとオーロラ。
「背中の刀傷は、もう処置ずみでございます。ただ……なんと言いますか……生命力とでもいうのですかな、生きようとする気力のようなものが、どうも希薄なようで」と、白い髪の医師は頭をかかえた。
う……、とかすかに声を発しているカミーラ。
「オーロラ……」
「このようなときにまで、お考えになられているのは、おまえのことか」
アルシアスは、部屋の入り口まで、さがった。
その意図はわからない。最期のときが近い、と見たのかもしれない。
「ちょっとあなた! 何をするのです!」
医師が椅子からころがり落ちた。
剣。
「カミーラには、複雑な感情がある。存在がうとましいと思ったこともあるが、親友や、家族のように思ったときもあった。そして事実、こいつとはいくつもの戦場で力を合わせて死線をくぐり抜けてきた仲だ」
アルシアスが動く。ただ、近くには寄らない。「何をする気……」
「苦しませたくない。せめて」
ひっ! と両手で目をおおいかくす医師。
天に垂直にしてかまえた刀剣で、
「私がひと思いに」
「やめろっ!」
斬った。
白い肌の、細い首が、銀色の刃に反射している。
おお、と小さな声をあげたのは、アルシアスだった。
「あ……」
カミーラの両目が、あいていた。
おお、と今度は医師がうれしそうな声をだす。
「寝坊だな、カミーラ」
「そう……私は、朝が……とても弱いのです」
涙が、流れた。
オーロラはそのまま、やさしい言葉をかけることもなく、部屋を出て行った。
ついてくる。
「まさか恩を売ったつもりではないだろうな?」
いや、と首をふる。
早足の彼女についていくことをあきらめ、アルシアスは部屋にもどった。
部屋の中から呼ぶ声で、看護をつとめる者が何人かばたばたと室内に入った。
(これで、よかったんですよね)
オーロラや、カミーラたちの剣の師匠であり、育ての親でもある〈聖母〉のことを思い浮かべながら、自省した。
もうこの世にいない彼女。
あの人なら、助けてさしあげなさい、と言ったにちがいない。
夜。
また、酒場に出た。昨日と店をかえたのだが、偶然か、店内には待ちかまえていたように〈あの男〉がいた。
「リクールと言います」
と、しろとも言っていないのに、自己紹介をする。
へへ、とはにかみながら、ジョッキを飲み干す。胸当てと、背中にしょっている剣。他人からは自警団か、帝国の歩兵かに見えるだろう。血のにおいはしない。ここ何日かは、彼は人を斬っていないようだった。
賞金かせぎのようなことをすれば、とオーロラは思う。
(あの腕前だ。食うには困らない生活ができるだろう)
もう壊滅してしまったが、サンタナ・ブラザーズは非常に統率のとれたチームだった。集団戦闘を得意とする彼らの、ほとんどすべてを斬り捨てた剣技をもってすれば、帝国に仕官することも不可能ではない。不可能どころか、きっと高く買ってくれるだろう。
そんな内容を、ぼんやりとぶつけてみた。
すると、「できません」と言う。
「できない?」
「そうです。俺の剣の師匠に、固く禁じられていますから。義のない戦いはするな、って」
「今どき、奇特だな」と言いつつも、オーロラ自身もそうだった。だから一度は軍の身分を捨て、シスターとなって辺境に隠棲したのだ。「なんという名前だ?」
本当は、名などに興味はない。
酒の席の会話の、ただの継ぎ穂にすぎなかった。
「マルシェルさんと言います」
グラスを持つ手が、浮いたままで止まった。
リクールがほの赤くなった顔で口にしたそれが、自分の師匠と同じ名前だったからだ。




