はなたれた殺人鬼
入り口のそばに吊られたランプのあかりで、女の右の半身だけが照らされている。
「その剣と槍をかまえた姿……あい変わらず豪儀だな」
「一剣一槍流」赤い髪の女は剣をにぎった手で前髪を直した。「私が創始し、私だけが極めた戦技だ」
「あいにくここは闘技場ではなくてな」オーロラは、先刻マスターから受け取ったグラスを一気に飲んだ。「酒を飲むか、さもなくば出て行くかしかない場所だ」
女は、ゴミを見る目で酒場の中の二つの死体をながめる。
「片方はただの酔漢だな。しかしもう一つのそっちは、賞金首だ。金になる」
「知ってる」オーロラはマスターから投げ渡された手の中の金貨を見つめていた。「金貨三十枚ってとこだろ?」
マスターの顔がひきつり、そそくさと奥へ逃げ込んだ。
「無罪符」
がた、とオーロラが立つ。「まさか……」
「殺人鬼にそれを渡し、この町の入り口で放免した」
「テザリア!」
「もっと見せてみろ……おまえの剣の腕を。唯一無二の愛剣〈バラトーレ〉を。オムニ」
「ブレイドを」
耳元にまとわりついたささやきに気づいたとき、もうオーロラの姿はなかった。
「化け物め……」
◆
かすかな風にのって、血の匂いがする。
あたりは暗い。どの家にもあかりがともっている。
悲鳴。
間に合わなかった、とオーロラはくやむ。しかし、もうどうすることもできない。
「はっはー! どうしたどうしたぁ!」
上半身に胸当てをつけ、両手に変わった武器を持っている男。
自警団の剣士が斬りかかる。
それを、片手で受けた。
小型の盾のような形状、そしてその先端から突き出た長い刃。
もう片方の手で、腰のあたりからすくいあげるような軌道で斬る。剣士は倒れた。
「誰もいねぇのか! 俺さまのシルドブレイドにかなうヤツはっ!」
誰も……と、あたりを取り囲む群衆が、自分じゃないところを見ているのに男は気がついた。
ささやかながらお祈りを……オーロラは命を落とした剣士の手をとり、十字を切った。
「おう、ねぇちゃん! お祈りってんなら、この俺にもしてくれよ」
ひざまづく彼女を下からのぞきこんだとき、想像以上に女の顔が美しいことに驚いた。しかも若い。
お祈り以上のこともよ、そこで男の口は止まった。
殺人鬼になりさがったものの、かつては戦場で名をはせた戦士だ。強者の気配には敏い。
「なにもんだ……おめぇ……」
「祈りはあまねく義なる者のためにある。不義なる者には、私は祈らない」
す、と左手に剣をかまえた。
まわりを取り巻いて、この状況を見ている人間は多い。彼らには、敬虔なシスターが殺人の武器を持っているという異様な光景に映るだろう。
「来い! シルドブレイドをなめるなよ」
「お言葉に甘えよう」
顔。やはり美しい。なんと澄んだ瞳だ。いたのか、こんな女が……
その瞳に、うつ伏せに地面に倒れる男の姿が反射していた。
「世の中、自分を騙るヤツが多すぎる。私は本物の〈シルドブレイド〉を知っているが」
こんなに弱くはない、と、オーロラはひとりごとを言った。
ぱちぱち、と拍手をしながら、群衆の中から出てくる人影。
「すべて筋書きどおりか? テザリア」
「そう。ここまでの騒ぎになった以上、もうこの町にはいられないはずだ。さあ、私といっしょに来い」
「教会がある町ならどこでも、私は修道女として暮らしてゆける」
槍の先端が、オーロラに向いた。
「おまえを殺したくない」
「それは私も同じだ。一剣一槍流の、テザリア=テザッドよ」
剣の先端も、オーロラに向く。
これがそうか、とテザリアははじめて理解した。
オムニブレイドと呼ばれる理由。
戦場でともに戦ったことはあるが、こうやって刃を向けたことはない。
彼女の〈全身が剣〉のよう、なのではない。
自分の周囲の空間、すべてに剣が満ちているような錯覚を起こすのだ。
どこからどう攻撃をしかけても、あらゆる角度から身を切り刻まれる、そんなイメージに支配される。
汗。
オーロラが、剣をおさめた。
テザリアの喰いしばった歯から、血が流れる。戦闘態勢を解いてくれて安心した自分が、それほどくやしく、なさけなかった。
私では無理だ。
しかしこのまま、帰るわけにもいかない。
(カミーラ様……私は)
槍がオーロラを襲う。
同時に、剣も横方向に流す。
どこにもいない。
こんな神業が、あるのか?
相手は完全に剣をおさめていたのに。
槍も剣もかすりもせず、それどころか、自分が斬られた音さえしないなんて。
「強い。さすが、オーロラ様……あなたは私の」
あこがれでした、と言い終わるのを最後まで聞き届けると、シスターは無言で十字を切った。