ブリザード
町の門の近くにある馬留めに向かう。
その途中、馬に乗ったガニメデを見つけた。カンがいいやつだ、とオーロラの口元がゆるむ。
「行くんでしょ?」ジャンプして下りた。「あれ、オーロラ……なんか、元気ないね」
そんなことはない、と否定した声が、我ながらたよりない。気持ちは直前の〈再会〉によって大きくゆれていた。
「割り符を出せとは言われなかったのか?」馬と、その持ち主を照合する道具だ。それはオーロラが持っている。
あー、そんなのはねぇ、といたずらっぽく笑う。「ボクの顔で、わかってくれたよ」
通りかかった少年に割り符を渡し、銅貨を一枚与えて、これを馬留めの者に返してくれるようにとたのんだ。
まだ火の残る町を出る。
東の空がやや明るい。もうじき夜明けだ。
(ルブルックは、さぞかし無念だろう)
雪のふる、暗い草原。
だんだん、人の喧騒が遠くなっていく。
(部下が全員死んだ……。殺したのは)
ロスマリン。
およそ何年かぶりに彼女の〈剣〉を見たが、少しもおとろえていない、それどころかより鋭さを増しているようだった。何より敵を殺すことに躊躇がない。かつては、あそこまでの冷酷さはなかった。
あだ名の〈ブレイドフリー〉には、無益な争いをしないというニュアンスもある。
それが……
テロリストのリーダーだ、と言われていた。
あの氷の山で一命をとりとめたことで意識が変わったのか、それとも、最初からあれはたくみに仕組んだ〈芝居〉だったのか。
あっ。小さな声が出た。
馬上、自分の前に座るガニメデが、小さな手をいきなりオーロラのほほにあてた。
無言で目を細め、いたずらをとがめる。
口のまわりに白い息が舞う。「ねぇ、美人なんだから暗い顔してちゃだめだよ。ほら、元気だして」
そうだな、と受け答えしつつ、背後の様子をうかがう。ついてきている者はいない。もとより、この寒冷の時期に北を目指す人間はまれで、たとえ今が昼間だとしてもここにはほとんど人通りはないだろう。
日がのぼると雪も落ち着くかと思ったが、予想に反して天候は悪化する一方。
日の出から二時間はすぎたが、厚い雲のためか、空は夜のように暗い。
オーロラは馬をとめた。
大いなる橋立(グレート・ブリッジ・ベース)。
海と海にはさまれた直線の細長い砂州。
北進したカミーラもきっとこの道を通っただろう。ここを通行しなければ、北にある戦線にたどりつけないからだ。
「オ、オーロラ!」悲鳴のような声。「目があけられないよ! すごい吹雪だ!」
大量の雪が地面に対し平行に流れているように見えるほどの、猛烈なふりかた。
馬をおり、上にガニメデを残したまま、手綱を引いて歩く。
強風の中に、時折、岩に波が砕ける波濤の音が混じる。
無事を念じたが、かなわなかった。
誰かが、道の真ん中に、立ちふさがっている。
(知らない顔だ)
盗賊ではない。一人の若い女。
〈レディ・エリーツ〉か。
「少し、ここで待て」両手で自分を抱くようにしてふるえるガニメデに声をかける。返事はないが、にこっ、と笑った。
豪雪。
過酷な戦場はいくつも経験したが、ここまでのものはない。敵も人間だ。最低限の環境でなければ、命をかけた戦闘などしたくないという心情もあるだろう。
丈の長い茶色い外套。体の前をあけて、腰のあたりに剣の鞘がある。肩のあたりまでの長さの髪が、風向きのせいで逆立ち、頭の上で燃える炎のように動いている。
「抜け!」
大声を出したが、なおも相手は武器をかまえる様子がない。顔をうつむきぎみにして、視線も合わせない。
(なんだ、こいつは)
攻撃する意志はないのか。
まさか、立ち往生しているとは思えないが……
オーロラは接近し、その人物の肩に手をのばした。
空気を切る音。
反応がわずかでもおくれていたら、手を落とされていた。
雪のせいもある、風のせいもある。
しかし事実、オーロラには今の剣が見えなかった。
剣をふりきったモーションで数秒、石像のように固まり、また、剣を鞘におさめた。
ここが理解できない。
なぜ、剣をもどすのか……
「イアイ、というそうです」感情を読み取れない目がオーロラに向く。「ごぞんじでしたか?」
「そんなことより、おまえは私が誰だかわかっているのか」
「オーロラ」と、呼び捨てる。「あ。そうか。そこからか。私、カミーラ様の部下です。所属は〈レディ・エリーツ〉です」
「カミーラの命令か?」
「ちがいます」
「ではなぜ私の命を狙う」
騎士になりたいのです、と淡々と述べる。「騎士にしてくれる、と約束してくださったもので」
「誰が、だ?」問いながら、もう見当はついている。答え合わせの、ただの手続きにすぎない。
アルシアス。
カミーラがオーロラを溺愛する度合いと同じ、あるいはそれ以上の熱意を持ってカミーラに愛と忠誠を誓う女。
彼女には叙勲の権限があり、誰でも騎士に任命できる。
一兵卒と騎士では賃金、待遇など、あらゆる面で雲泥の差。
「父の体が弱くて」言いわけのようなことを口にしかけたのに気づき、あわてて自制する。「このイアイは」と話題をそらした。「東方の国で開発された古い技術です。私はこれを、書物を読んで知りました。ふふ、温故知新、という言葉はおわかりになります?」
「古きをたずねて新しきを知る」即答。「私も書は好きだ。と、いっても教会に置いてあるような本に限られるから、およそ神学者の著作ばかりだがな」
「教養のある女性は好きです」
「名前は?」
「ジュジュ」
来い、と言うように、かすかに腰を落とした。
(え?)
噂は聞いていた。
オムニブレイドの、その比類なき強さのことは。
初手は、しくじった。
確かに反射神経も身体能力もずば抜けている。
しかし、まだ私のイアイは敗れていない。
どんなはやさで向かってこようが、私ならそれを凌駕できる。
ジュジュは自信を持っていた。
それが、ぐらつく。
(うそでしょ……剣を鞘におさめた。あなたもイアイをやろうというの? そんな、さっきほんの一瞬、見ただけで?)
オーロラは目をつむった。
間合いは把握できている。なら、もはやこんな不良な視界では、いらない。
視覚を切って、心をとぎすます。
左右の海の波が、同時に高くあがった。
たがいに一歩を出す。
「あ……あ……」
胸に流れる血。雪がこびりつく相手の剣、鞘の半分も出ていない自分の剣。
ジュジュは身のほどを知った。
手にまめをつくり、ときに筋肉を痛め、それでも一日も休まなかった修練。
実戦においては、向かうところ敵なしだったのに……
見よう見まねで、あっさりと上を行かれてしまった。
地面に倒れる。
「お父さん、お母さん、先に逝ってしまう親不孝な私を、許して……」
「ガニメデ!」馬のもとへ近づく。「行くぞ!」
すさまじい雪が、横たわる体をあっというまに白く染めた。
◆
「目がさめたか」
ベッド。
どこかの部屋の中。
「あれ? 私……」
白い皿。
切り分けられたリンゴがのっている。
椅子に座って、ナイフで皮をむいているのは、オムニブレイド。私が、殺そうとした女。
視線を落とすと、自分の体には包帯が巻かれていた。
「教会には若干ながら、医術の書物もある」
町の医師の手をかり、傷口を縫合したのはオーロラだった。医師は、忙殺されている。この町は、ルブルックが常駐していた、大火のあった場所だ。すなわち、彼女たちは手負いのジュジュをつれて、来た道を引き返していた。
「なんで……私はあなたをころ」
そばに立つガニメデが、リンゴをむりやり口にほうりこんだ。
「私も、教養のある女は好きでな」ベッドの上に、小さな袋を投げる。
あけると、中には何枚かの金貨が入っていた。
「親とともに田舎にのがれ、そこで平和に暮らせ」
ジュジュは泣いた。
二人は部屋を出る。
町の大通り。
雪はもうやんでいた。
町の火も、もうすべて消えている。
「やさしいね」とだけ言うガニメデ。
いや、とオーロラは思う。
(さすが精鋭を選り抜いているだけはある。私は、手加減しなかった。致命傷を避け得たのは、ひとえに彼女のセンス、彼女の才能だ)
こうも考えられる。
なれない剣を使ったから、間合いの読みに誤差があった、と。
(私は幽霊のたぐいは信じないが)
こうも考えられた。
この剣の前の持ち主が、この親おもいのうら若き女の命を守った、と。
「よぉ」
大木のような男が、オーロラを見下ろした。
「ルブルック……」
「聞きたいことがある。ツラをかせ」




