雪を斬って
「手伝います」
剣を置き、服をどろで汚すのもかまわず、ジュリアが安息する場所をつくるのに協力する男。オーロラはその顔を近くで見た。黒い髪に、まだおさなさを残す瞳。まぶたにうっすらと青い血管が見える、色素のうすい肌。北方の民族にはちがいない。
オーロラは〈北〉に、いい思い出がない。
雪、氷、寒さ、飢え……それに、氷山を進軍していたときに突然あらわれたどす黒いクレバスにのみこまれて死んだ仲間も一人いる。
(もしあいつが生きていれば、私と同じ年か)
土をうめ終わると、オーロラは十字を切り、ささやかな祈りをささげた。
「さっきは怒鳴ってすまなかった」
きょとんとした顔。「ああ……そういえば、俺、怒られたんでしたね」はは、と苦笑いしながら頭をかく。そんなことより、と彼女が持つ剣に顔を寄せる。
「ああ、やっぱり。すごい剣ですね、それ。ファンベルトのファーストだ」
数多くのすぐれた剣をつくりあげた名工ファンベルト。その、初期の佳作だということはオーロラにもわかっていた。
戦友の命とひきかえに、カミーラたちと戦える武器が手に入った。
(ならば)
「え……? そっちは町のある方角ではありませんよ」
(あとは追うだけだ。マリーを、あのままにしてはおけない)
「オーロラ様!」
なついた犬のように、ついてくる。軽装とはいえ鎧と肩当てをつけた身だが、それを苦にもせず運動を楽しんでいるかのような体の軽さがある。
ふりかえる。「様、というのはやめろ」
「ご命令とあらば」右手を前にのばし、そのこぶしを心臓の前に持ってくる〈敬礼〉。顔は、しかし、どこにも緊張感がなくおどけているようにも見えた。
「わかってくれたようで、何よりだ。では、もう一つ、命令をするぞ」
「なんなりと」
ついてくるな、と冷たく言いはなったが、これには従わない。一定の間隔をあけて、なおもオーロラのあとを追う。
「おーい!」
馬に乗った金色の髪の子供。この少年らしい元気のいい声は、ガニメデだ。
「逃がしていなかったのか」と、オーロラは問いただす。これは帝都からの移動で使った馬だ。そしてこの馬の本来の主人は、もうこの世にいない。
「まあそれはいいじゃん」と馬の上で両手を頭のうしろに回す。「それより、ケガはない? オーロラ」
軽くうなずき、飛び上がった。
おお、とあざやかな身のこなしに男が感嘆する。
ガニメデの背に回った。うしろから抱くように手を回し、手綱をにぎる。
馬上で頭巾のずれを直しながら、忠告する。「おまえはもう〈オムニブレイド〉を名乗るな。私のことも忘れ、自由に生きよ」
綱を引き、馬の腹を蹴って走らせる。ガニメデは、ぽかんとした顔でオーロラを下から見上げていた。
「よかったの?」と、遠ざかって小さくなった男のほうをふりかえって言った。
「ああ」
一時間ほど走行したところで、隊商に出くわした。北へ向かうもののようだ。
オーロラは自分だけ、馬からおりる。
「元気でな」
「え?」
「私はもう、あの町には戻らない」
「やっぱり!」明るい返事。予期せぬことにオーロラはおどろく。「ねぇ、マリーを助けるんでしょ?」あどけない声。しかし言っていることは核心をついていた。「ボクもいっしょに行くよ」
馬を引いて歩く隊商の男たちが何事かとこちらを見ている。子供を追い払ったように見えてしまえば、彼らと同道するのもむずかしくなるかもしれない。
(もともと、こいつは地下牢にいた身の上……あの町に一人でとどまらせるより、私といたほうが安全といえば安全か)
そもそもなぜ牢に入れられていたのか、その理由も知らない。
確認する必要がある。しかし、
(たいした罪ではあるまい)
殺人などの大罪とは思えない。おおかた、スリや窃盗のたぐいだろう。
オーロラが観念したように「わかった」と言うと、ガニメデは「よし」と両のこぶしをかためた。
◆
北辺の大きな町。入り口の門にたかだかと帝国の旗があがっている。
隊商の列に加わり、ここについたときには夜。ちょうど、労働者が最初の一杯の酒を飲み始めるような時間帯だった。
路上に楽器を演奏する者もいて、はなばなしい場所だ。
さっそくオーロラは酒場に足をのばした。飲酒のためではない。情報を得るために。
「カミーラァ?」
言い終わったあとで男はあわてたように「様が?」と付け足した。この国では微罪とはいえ軍属への〈不敬〉も罪になる。
ジョッキのビールを飲み干す。「行ったぜ。もう。あれぁ……何時間前だったかなぁ……。いや。もっときつい感じのババ……おっと、いけねぇ、まあ予想よりもずっと美人だったな」と、求めてもいない容姿の感想を口にする。
遅かったか。
カミーラの隊は、もう少し先の町まで進軍したらしい。
窓の外は夜。この時間ではもう、今夜はここに滞在するしかないか……
「やめてください!」
若い女の声。
カウンターにいるマスターが心配そうな顔を店の二階に向けた。一階にいる客はまばら。この店の状況なら、わざわざ二階を使うほどではないように見えるが。
「二階にも客がいるのか?」
質問者が場ちがいなシスターなことに一瞬、面をくらったが「へぇ」とうなずく。「今日は、上は団体様の貸し切りでございまして……」
「ちょっ! 誰か、誰かーっ!」
ただごとではない。これはもはや悲鳴だ。オーロラは階段を駆け上がった。
異様。
全員、鎧と肩当てで武装しているのもそうだが、それよりも、一人残らず〈剃髪〉していることが奇妙。
談笑という雰囲気はなく、空気は張り詰めている。
闖入者を、にらんでくる視線。
「誰か……あ、あの、あなたは……」
男がつかんでいた若い女の手首をはなした。あわててオーロラの横を抜け、階段のほうへ走って逃げる。
「こいつは上物のおでましだ。あんたが俺に……〈しゃく〉をしてくれんのかい?」
近くにあったワインボトルをつかみ、頭をなぐりつける。
血が一筋、ひたいからあごまで垂れた。
「ねぼけたことを言うな、ルブルック」
髪を剃った男たちが、いっせいに立ち上がる。ほぼ全員が、長身で筋肉質。
帝国の騎士団の一つ、ルブルック拳闘士団だ。
「いくさのねぇこんな退屈な町じゃあ、クサるのもやむなしだ」口の近くにまわった血を、舌でなめた。「それに、いーところで一番槍を女将軍様に持ってかれたとなると、なおさらよ」
「事情はわかる。だが騎士の誇りを持て。騎士は常に、弱きものの味方だ」
周囲を取り囲まれている。
相手をしてもいいのか、と不敵なまなざしを彼に向けると「やめろ、おまえら」ルブルックは部下たちをいさめた。
左右に割れてわかれた人の壁の真ん中を通り、オーロラは店を出る。
外は雪。
この、なんのことはない、ただ水分が凝固しただけの白いつぶを目にすると、やけに喜んだ仲間がいた。氷の山のクレバスに命を落とした彼女。〈カミーラ・クラスタ〉の中では最もオーロラと親しかったといえる存在。真偽がさだかではないものの、あれはカミーラがわざと危険のあるほうへ誘導したのだ、という話もある。溺愛するオーロラを独占するために。
(私には、こんなものが綺麗だとは思えない)
手のひらにのったそれが、すぐに溶けた。
(しかし、あいつの心は綺麗だった)
うす暗い路地に入る。
うしろで物音。たるを蹴とばしたような音だ。
「あそこまで団長をコケにされたんじゃ、だまって行かせられねぇ」両手を胸の前で斜めに交差させる。「団長も、拳闘も、俺たちの誇りだからな。それにあんたを殺りゃ、あのいけすかねえ女将軍に一泡ふかせられる」
シンプルな戦法。
なぐる、ただそれだけだ。足技は使わない。
ゆえに、完成されている。たかが十人ほどの集団にもかかわらず、剣や弓、長槍の師団をいくつも潰走させたという確かな実績が彼らにはあった。
目の前、顔寸前のところをかすめた手甲。彼らのために開発されたこの武器が活躍に寄与するところも大きい。なみの剣ではたやすく刃を折られてしまう。
手甲が、剣を受け止めた。
「ほう。いい剣だな」言外に、よく破壊されずにもちこたえた、とほのめかす。
「まったくだ」
ん? と男が不審がる。
オーロラは剣をおさめた。
「テストは合格だ。この剣なら、当面は満足に戦える」
「おまえ……なんのことを言っている?」
丸腰。しかも女。
だがもうこれは私闘である。どちらかが倒れるまでは終わらないし、終わらせるべきではない。
拳を打つ。
女が消えた?
いや、下だ。
短い時間、おかしなものを見た。
修道女の女の手が、キラキラと、まばゆく光っているように。
オムニブレイド、という彼女の別名を思い出す。
自分の顔面、あごのあたりに向かって、猛然と向かってくる拳。
その途中、手にふれた空中の雪が、なぜか結晶のこまかい部分まで認識できて、寸分のくるいなく左右対称に〈斬れた〉のがわかった。
数時間後、顔にふりつもる冷たいものが、気を失っていた彼を復活させた。
ルブルックはこの部下から報告を受けると、
「おめぇじゃまだ早い」
酒をあおりながら豪快に笑った。




