酒場にて
教会の晩鐘が鳴った。
町は、もう日が暮れている。
「しかし何もないとこだね、ここは」
酒場。旅人らしい男が周囲の客に同意を求めるように大声でそう言った。
はは……と、カウンターの中に立つ男は愛想笑いを返す。靴、服、荷物、のどれもくたびれている。遠方からの旅人にはちがいないが、はたしてこの男、支払いは大丈夫だろうな、と用心しながらさし出されたグラスに酒をつぎ足した。
「こんな話を知ってるかい、マスター」
と、身をのりだして口をひらいたとき、店内に場違いな客が入ってきた。
シスター。修道女だ。白い頭巾で頭、耳、あご、のど、と覆っていて、黒いローブを身にまとっていた。
ささやかながらお祈りを……と、細い声で言う。
いつものことなのか、マスターは一つうなずいただけでとくに気にとめない。
女は胸の前で手を組み合わせ、呪文を詠唱するような小さな祈りの声を出す。
男は酒に口をつけ、話を再開した。
「この町に、オムニブレイドがいるってウワサをよ」
はあ……と反応はさえない。男は続ける。
「オムニ、ってのは〈すべての〉って意味だ。ブレイドは剣の切れる部分。つまり、全身が刃に包まれた凶器、といったあだ名の凄腕の剣士のことサ」
気持ちよくしゃべっているところに、急に邪魔が入った。
「おい! そこのカウンターのヤツ!」
「はぁ?」
「くせーんだよ。フロに入ってから、出直しな!」
へへ……と男はすまなそうに笑い、またマスターに向き直る。
オムニブレイドってのはね、男は声をひそめた。「特殊なんだ。戦い方がね。普通に剣をにぎってるんじゃなく、ダガーを使うらしい。それも……指と指の間ににぎりこむようにして、こう右と左で三本ずつ、計六本もね」
言ったことにおとなしく従わなかったことが気にさわったのか、テーブル席の男が、こっちに近寄ってくる。話をしている男からは、それが見えない。
「でね、最初の攻撃んときに、それを」
一瞬の出来事。
「投げるらしいんだ……」
ひげを生やし、かっぷくのいい男の体に、ダガーが刺さっていた。
六本。
こんなふうにね、と言いながら男は床に倒れた人間に近づく。「あんまり持ってねーなぁ……」服の中をさぐり、何枚かの銀貨を抜き取った。自分の金を盗られている場面が、きっと男の網膜にやきついた最期の光景だろう。
他にいた客は一人のこらず、店を出ていった。
だいたいこんなとき、おおかたの人間はああやって逃げ出すか、腰をぬかすか、立ちつくす。
そのどれでもない、カウンターの向こうにいるマスターにかすかな違和感をおぼえた。
「あんたは、キモがすわってる」男はグラスを乾す。「この俺……無敵のオムニブレイドを目の前にしても、気が動転していないなんてな」血のついたダガーを、脱がせた男の服でぬぐいながら言う。「繰り返せ。復唱しろ。いいか? 『お代はけっこうです』」
「お代はけっこうです」
「『死体の始末は私がやります』」
「死体の始末は私がやります」マスターは、さらに言葉を続けた。「あなたの死体の始末もね……」
殺気。
死んだ男のほうからだ。
バカな。
あいつはもう死んでるはずだ。
そっちを見ると、片方の手で手首をとり、もう片方の手で十字をきっている、シスターがいた。
「何回目だ?」
女にしては低く、また金属のような鋭さもそなえた声。
左手に、剣がにぎられている。
「何が?」椅子から立ち上がる。「殺人がか? 盗みがか? タダ飲みがか? どれも、ちょっと数えきれねぇなあ」
「おまえはオムニブレイドではない」
「へえ……まるで本物を知ってるっていう言いかただ……なっ!」空中にはなたれた、六つのダガー。「え?」
一閃。
一つ残らず、命中していない。五本、床にころがっている。
不思議なことに、物理的に武器をはじいた音さえ鳴っていない。
「私がオムニブレイドだ」
残りの一本が、男の眉間に刀身が半分以上入り、刺さっていた。
ぴん、とマスターが指ではじいてコインを飛ばす。金貨一枚だ。
受け取ったシスター。
カウンターに近寄る。
「正しかっただろ?」と、グラスになみなみと入った酒を渡す。
「ああ」
「だが、まだけっこういるらしい。オーロラの」
「私の名を呼ぶのはやめろ」
首をふり、肩をすくめる。「あんたのニセモノがな」
「そして〈カミーラ・クラスタ〉の残党か……平和は遠いな」
「こんな辺境で何をしている。最強のオムニブレイドともあろうものが」
酒場の入り口に、右手に剣、左手に槍をかまえた異形の戦士。
赤く、長い髪の、美しい容姿をした若い女。