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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ひとかべ語り その弐

作者: なかむら貴子

人首と書いて“ひとかべ”と読む

生首にまつわる語り部の話


 歌姫の話をしようか。

 舞台の上で、役になりきって高い高い音で歌う歌姫さ。

 それはそれは美しい声の持ち主だった。どんな難曲でも軽々と歌いこなしてみせた。

 声だけじゃないよ。誰もが息を呑むような見目麗しき歌姫でもあった。


 よくある話だが、歌姫にはパトロンがいた。

 とんでもなく大金持ちで、豪華客船を所有していた。

 歌姫はその客船にしつらえた劇場で、毎晩歌っていた。


 その客船は最先端の設備を誇っていた。航行進路も、船内の空調や照明、すべてAIが管理していた。そう、人工知能ってやつだ。あらゆるところに音声ガイドやタッチボタンパネルがあって、客の要求に応えていた。AIにできない事は、ほぼなかった。

 痒い所に手が届きすぎて、風情がない、と船旅を切り上げる客までいたくらいだ。

 船主にとってはそれがまた客を呼び込むことを良く知っていた。

  もちろん、歌姫を目当ての客も大勢いたさ。


 気まぐれに船主が乗船すると、劇場は貸し切りになった。

 船主たった一人の為に歌劇が上演された。演目は必ず「サロメ」だった。

 観客は一人でも演者は大勢いるさ。オーケストラもね。

 彼らは皆知っていた。「サロメ」は歌姫が踊る場面がある。聞いたことがあるかい?

「七枚のベールの踊り」さ。着ているものを一枚一枚脱ぎながら踊る。普通は全部脱いだりしないさ。

 船主は歌姫を舞台の上で裸にさせて喜んでいたのさ。

 皆知っていたし、歌姫に同情していた。でも、誰も雇い主に意見できなかった。次の港で失業者になっちまうからね。

 当の歌姫はどう思っていたかはわからない。船主に命じられていたのか、誰とも親しくしなかった。舞台がはねると、早々に自分の部屋に戻っていた。

 だけど、歌姫の部屋の前を通ると話し声を聞く人が少なからずいた。

 独り言にしては大きな声で、時には笑い声さえした。誰と話しているのか、何の話をしているのか、皆首を傾げた。

 仮に誰かと一緒にいたとしても、それを船主にご注進におよぶ奴はいなかった。

 事なかれ主義というやつさ。


 金持ちたちがこぞって住む小国の港に着いた時、船主は妻と一緒に乗船してきた。

 船主には少なからぬ愛人たちがいたが、どういうわけか妻は歌姫に悋気を起こして強引に同行してきた。まあ、そういう話はあっという間に広がるものさ。

 そして、妻が「サロメ」を観たいと言って譲らなかった。

 劇場の責任者がやんわりと他の演目を勧めたが聞き入れなかった。船主は何も言わなかった。

 他の演者やオーケストラの中には拒否をしたり、歌姫に断るよう耳打ちする者さえいた。

 歌姫は無表情に一言だけ「やります」と言って舞台に立った。

 指揮者はいつもよりもテンポを速め、オーケストラや他の演者と目配せして省ける部分は全部省いた。

「七枚のベールの踊り」に差し掛かると曲調がさらに速くなった。歌姫がベールを全部脱ぐ前に曲を終わらせようとしていた。

 歌姫もそれは気付いていた筈だ。だが歌姫は生真面目に全部脱ごうとした。

 周りの演者も指揮者も、オーケストラでさえも緊迫した表情になった。もはやそれは演目とは言えなかった。ただの晒し者だ。

 踊りが始まると船主の妻が嘲笑し始めた。

 それは、歌姫ばかりでなくその舞台に関わる者すべてを嘲る笑いだった。少なくとも、船主の妻以外は皆そう受け取った。

 いよいよベールがあと1枚、という時だった。

 指揮者は演奏の中止を決意した。

 演者たちは開園前に申し合わせしていたように歌姫の周りを囲んで隠そうと身を乗り出そうとした。

 照明係は電力を落とそうとレバーを手にした。

 衣装係は大ぶりのタオルを手に舞台に駆け込もうとした。

 船主は妻を残して席を立とうとした。

 その全ての一瞬前に、劇場の電力が一斉に落ちた。

 照明係はまだレバーを下していなかった。勝手に電力が落ちちまったのさ。

 何が起こったのか考える間を与えずに、床が大きく傾いだ。

 演者もオーケストラも裏方やオーケストラの連中も、たった二人の観客も皆無様に倒れ込んだ。

 あちこちで怒号や悲鳴が上がった。劇場だけでなく、船全体でさ。

 ええ?ああ、そうさ。そういう時は予備電源が働くものさ。どころが非常灯さえつかなかった。

 這いつくばって甲板に出た者は星を見た。星しか見えなかった。

 真っ暗な大海に船が漂流を始めたと知り恐怖が増すだけだった。

 船内は恐慌をきたした。夜明けを待つしかなかったが、時間がありすぎた。

 船は3日間漂流した。船体は大きく傾いだままだったが沈まなかった。AIを管理していた技術者たちの復旧作業もはかどらなかった。AIは完全に機能を停止していた。漂流が3日も続いたのは救助信号さえ出せなかったからさ。

 予定の寄港地に着かなかったおかげで4日目に救助のヘリが船を見つけ、翌日には救出作業が始まった。

 そこで歌姫がいなくなっている事がわかった。

 船員たちは歌姫の自室に行った。おかしな事にドアはロックがかかっていた。AIは完全に死んでいて、どの部屋もロックなんかかかっていないのにだ。

 ドアを叩いたが返事はなかった。

 根無し草ではあったけれども、世界に名をはせた歌姫だ。誰もがその安否を気遣った。

 まず客たちを非難させ、責任ある船員と一部の劇場関係者は残った。

 そして曳航船に引かれてようやく寄港できた客船に別の救助隊が乗り込み、歌姫の部屋のドアをこじ開けた。

 部屋の中は冷房で冷やされ、寒かった。吐く息が白くなる程に。

 床は傾いていたが、荒れてはいなかった。ワイングラスがひとつ転がっていて、不自然な割れ方をしていた。落ちて割れたというより、何かの拍子にヒビが入ったようだった。

 部屋の奥には簡素なベッドがあった。見る人が見りゃ、歌姫には似つかわしくない部屋だとわかる。

 ベッドの上に歌姫がいた。ベール一枚の姿で、足が無造作に投げ出されていた。

 隊員たちが近づき、異変に気付いて皆足を止めた。声を上げる者もいた。

 歌姫の首がなかった。

 誰かが後ずさった踵で、壁に立てかけてあった銀の盆がたわんだ音を立てて転がった。

 その後何度も調査や捜索が入ったが、歌姫の首は見つからなかった。

 狂った船は廃船になった。今は海の底で魚の巣になってるよ。

 どこの海かは知らない方がいい。どこかで耳にしても決して行かないことだ。

 いまでも頭のない魚がプカプカ浮かんで来るそうだから。

 

元ネタはオスカー・ワイルドの「サロメ」です。

オスカー・ワイルドの「サロメ」の元ネタは新約聖書の洗礼者ヨハネです。

カラヴァッジオの「洗礼者ヨハネの斬首」を見てこの話を思いつきました

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