9 ハートのペンダント
にやにやが止まらない。これではいけないと思うのだけど、どうしても表情筋が緩んでしまうのだ。外のショーウインドーから私を見た人は、さぞかし不気味に思うだろう。
わかってます。それはわかっていますって。けど、止まらないんだから、しょうがない。昨日の夕方の店内でのやり取りを反芻すると、どうしても目尻が下がってしまう。
昨日、トオルくんはこの店に来てくれた。ラウンドテーブルに私と彼の分の珈琲を置き、お喋りをした。
そこでわかったこと。
彼は野球部のキャプテンであり、エースで四番らしい。
私自身は、スポーツといえばサッカー観戦なのだけれど、来年からは有料テレビのプロ野球セットに入ろうと決意した。彼は地元球団が好きらしいので、私も応援だ。にわかだけど。
そこで、ふと疑問に思った。高校野球児は、普通スポーツ刈りではないかと。そこで、そのまま彼にその疑問を投げかけた。
「いやぁ。うちの高校は弱小校なんで。その辺はゆるいんですよね」と砕けた答えが返ってきた。
私は幾分安堵した。もし、規律の厳しい強豪校だったら、その綺麗な赤髪は刈り上げられていたのね。
そうして、隙なく、目聡く、私は質問を重ねていく。彼についてはどんな些細なことだって知りたい。
そんな私の粘っこい質問にも、彼はにこにこしながら丁寧に答えてくれた。いやー、お姉さん、得しちゃったなー。
色々と話をしたけど、ちょっと引っかかる会話があった。
「ねぇ。どうして、トオルくんは私を気にかけてくれたの? いくらハンカチを貸しっぱなしにしたからといっても、どうして?」
「勿論、ハンカチを返さなきゃとの思いはありました。えっと、それだけでなくてですね……どうしてか、シブさんが気にかかるんです。うーん、なんだろ? 上手く言えないんですけれども、何か探しものがあるような……」
え? それって私ですか? 探しものとは、私ですか? 良かったら、いくらでももらってやってください。お願いします。
それから、トオルくんは立ち上がり、物珍しそうに白い棚にある雑貨を見ていった。あー、成程。探しものは、私じゃなくって、何かの商品だったのね。以前、この店をショーウインドーから見ていたみたいだし。
トオルくんはうんと頷き、ハート型のペンダントをレジに持っていった。良かったですね、探しものが見つかって。
でも、トオルくんはお目が高い。スワロフスキー製ですよ、それ。
私はとてとてとレジカウンターの中に行き、ペンダントの代金を会計した。しめて、九千八百円也。そこからおおまけにまけて、三割引きにする。
「えっと。それ、プレゼントにしようかと思ったんです。ラッピングお願いできますか?」
「はいよ!」
やけくそ気味に言う。ああ、これは彼女さんへのプレゼントなのですね、わかります。私はちょっと涙目になりながら、箱を包装し、リボンのラッピングをする。うう、私の短い片思いよ、さようなら~。
包装した箱を手渡すと、トオルくんはにこやかに微笑んだ。そうしてから、その箱をレジの上に戻す。
「あれ? ご返品ですか?」
「いえ、あのですね……包装を解いて欲しいんです」
「はい?」
「シブさんに包装を解いてもらいたいです。お願いできますか?」
んん? 意味がわからない。やはり、返品なのだろうか。
眉根を寄せつつ、リボンのラッピングを外し、包装紙を外した。レジの上にあるのは、ペンダントの箱だ。
「それを……開けてもらえませんか?」
「は、はぁ」
やはり、意味がわからない。不詳ながらも、私は箱を開けた。
トオルくんは箱からペンダントを取り出し、「後ろを向いてください」と口にする。私は頭にクエスチョンマークを浮かばせつつも、言葉に従った。
首筋にトオルくんの指の感触。繊細そうな細い指。それを動かし、留め金をぱちりと閉めた。
「うん、やっぱり。似合いますよ、シブさんに」
え? え?
首を下に向けると、ハートのペンダントが胸元にぶら下がっていた。
「ハンカチと美味しい珈琲のお礼です」
トオルくんは飛び切りの笑みを浮かべた。きゃー、萌え死ぬー!
「で、でも。ハンカチと珈琲とで、このペンダントじゃ釣り合わないよ」
「いえ。一週間もハンカチを返さなかった慰謝料込みですから」
彼は爽やかに言う。なんというか、そよ風が彼の周りに舞っているようだ。
この王子様体質めっ。
このままでは年上としての沽券に関わる。高校生にしては、高価な物だ。このままもらいっぱなしにするわけにはいかない。
だけど、トオルくんは踵を返し、玄関の方へと行ってしまった。猫さんをかたどったドアノブに手をかけると、レジカウンターの中で、あわあわしている私に向かって振り向く。
「また明日も来ますね。お邪魔しました」
ぺこりと一礼し、彼は颯爽と店外へと去っていった。
──と、いった顛末であった。
昨日もらったペンダントを見て、私はにへら~と笑ってしまう。そして、ひたすら待つ。おあずけを命じられた犬のように。尻尾をパタパタと振りながら。
今日もこのお店に来てくれるって言ったよね? 確かに、言ったよね? 幻聴じゃないよね?
置時計を見遣る。午後六時を指していた。うーん、部活が終わってから来るなら、この時間辺りであろうか。