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8 夕暮れの下、再び

 翌日。

 そう、私は夜空の口車に乗らない。乗らないの。

 ──と、戒めたはずだったのに、何故か河原の土手にいる。僅か前方にはあの橋が見える。


「あっ、シブさんだ。おーい」

「ああ! トオルくんだ。会いたかった、会いたかったよー」

「フッ。僕も同じ気持ちでしたよ、シブさん。会いたかったです!」

「トオルくん!」

「シブさん!」


 お互いに熱い抱擁をする。


 ──などと妄想してしまった。いけないいけない。白昼夢など見ては。しっかりするんだ、私。

 現実的な問題として、私はぼっちだ。それが証拠に今、一人で土手の上で佇んでいる。ぽつんと。

 通り過ぎる男はいるものの、犬の散歩に来たおじさんだったり、あるいは散歩中のお爺さんだったりする。どこもピチピチしていない。男子高生からすれば、そりゃあ鮮度は下がる。


 そんな中でも、一人でいるのに時間はあっという間に過ぎていく。それは多分、私がいけない妄想をしているからだろう。乙女の妄想力をなめないでよ、と。


 西日が傾いていく。向こう岸の河原に埋没するかのように太陽が大分沈んでいった。

 惨めに佇む私と、夕暮れ。

 でも、お日様は愛に満ちていて。

 こんな私にも、茜色の光が降り注いでくれていた。そして──。

「また、明日も来いよ」と語りかけてくれているようだった。


 なんというか私は、哀愁を帯びてしまい、頬に一筋の涙が伝っていた。それを手首で拭い、誇らしげに顔を上げた。こんなとき、夜空なら何と言うだろうか。


「てやんでぇ」


 そう口にしてみた。彼女ならこう言うはずだ。──いや、いくら夜空でもそこまで江戸前ではないか。


「よし、また明日!」


 ひとりごち、私は踵を返し、ヤンソンに戻ることにした。

 いやいや。それにしてもだよ? 店を四時から閉めて、商売ほっぽって来ちゃってもいいの?


「よし。明日は三時から来てやる!」


 妙な決意を胸に秘め、私は走り出した。大きな夕陽に向かって。


 ♦ ♦ ♦


 それから一週間が過ぎた。

 トオルくんとは……まだ会えていない。さすがに心が折れた。というか、店をこのまま三時でクローズしてたら、いい加減潰れる。

 もう、今日でやめよう。この土手に来るのは。無意味なお百度参りを何度しても成就しないのだから。


 男性が通り過ぎる。


「こんにちは!」

「こんにちはー」


 挨拶を交わす。今日もあの人は元気に犬の散歩をしているなぁ。


 そうなのだ。元来、河原に来るのには、意味があるはずである。川魚を釣るでもよし、犬の散歩に来たっていい。

 まぁ、私にも「トオルくんにもう一度でいいから会いたい」って目的があるのだけれど、他の人と違って、些か邪といいますか。


 だからという訳ではないのだけれど、今日でここに来るのをやめる。今日会えなきゃ、トオルくんとは縁がなかった。そう割り切ろう。


「けど、寂しいな……」


 小石を蹴り上げる。

 そして、多分、今日もあなたは来ない。そんな予感がする。


 それからまた、ぼうっと川を見る。荒川の流れは緩やかだ。自然に沿っている。身を任せている。不自然に流れに抗おうとしている私を嘲笑っているかのように見えてしまう。


 そうしてまた、西日が落ちてきた。


 もう刻限なのだ。私がシンデレラでいられる時間は、終わったのだ。明日からは、トオルくんを締め出し、また仕事に精を出そう。うん、それがいい。やれることはやったよ。これなら夜空にも胸を張って報告できそう。


 肩から提げているトートバッグから、玩具のミョルニルハンマーを取り出し、自分の頭をピコッと叩く。それにしても、このバッグは便利だ。馬鹿な自分をいつでもミョルニルハンマーを取り出して叩けるし、スーパーに行ったらエコバッグにもなる。


 さて。馬鹿で未練がましい自分は叩いた。

 私はトオルくんとの決別を決め、踵を返した。


 と、そこで。


「あ、あの……シブさん?」


 背中越しに声。聞き覚えのある優しい声音。

 たまらずに。

 たまらずに、振り返る。そこにいた。彼は土手の上の道に、私の十メートルほど先にいた。


「あ……」


 噓みたい。トオルくんだ。

 胸に押し寄せてくる。懐かしさ、恋慕、七回も見た茜色の空。

 それらが津波のように押し寄せ、いつの間にか私の瞳は潤んでいた。


「あ、あれ? どうして? どうして泣いているんですか? 転んで怪我をしちゃいましたか?」

「う、うん……ちょっとね。コケちゃった」


 そうだよ、トオルくん。君という石に躓いて、私は転んでしまったの。


 大変だとばかりにトオルくんは走ってくる。私との距離がどんどん縮まっていく。五メートル、三メートル。そして、目の前に。


「でも、どうして君がここに?」

「や。それは……」


 トオルくんは恥ずかしそうに後ろ髪を掻き、ポケットからハンカチを取り出した。あの雨の日に貸したハンカチを。


「ふふっ。別によかったのに。あげたつもりだったから」

「いえ! ちゃんとクリーニングしてきました。あれから、シブさんが気になって、気になっちゃって……それに、一刻も早くハンカチをどうしても渡したくて」

「でも、来てくれなかった」


 私はちょっと唇を尖らせてみせる。


「いや、それはその……どうしても、部活が抜けられなくてですね。だから、今日は仮病を使って、ここまで走ってきたんです! 遅れてごめんなさい!」


 トオルくんは頭を下げながら、ハンカチを差し出してきた。私はそれを微笑んで受け取る。


「へぇ。君は部活をやっているんだ?」

「そうです。──って、それじゃなくてですね」

「ん?」

「その……僕はトオルです。君じゃありません」


 え? え? なんか、暗にトオルくんって呼んで欲しいように聞こえるんですけど?


「僕のことは、トオルって呼んでもらえませんか?」


 途端、意識する。またトオルくんを意識してしまう。そして、決壊。私の心のダムは決壊した。キャパオーバーだし、恥ずかしい。もうこの場にいるの、無理。


 背を向け、駆けだしてしまう。またもトオルくんから、離れて行ってしまう。意気地なしだ、私は。


 けれど、思わぬことに、後ろから息遣いが聞こえてくる。その息は、背中を追い越し、終いには前に出た。


「今日は逃がさないつもりですから。まだ、お礼が言えていません」

「ついてこないで!」

「駄目です。せめて……せめて、お礼に缶ジュースの一本でも奢らせてもらえませんか?」

「い、いえ。いいですから」

「諦めませんよ、僕は」


 それから二百メートルほど追いかけっこが始まる。けれど、部活でばしばし鍛えている彼の走力に敵うはずもなく、私は足を止めた。荒い息を吐きながら、トオルくんに話しかける。


「じゃあ、奢られます」

「えっ! いいんですか? やりぃ!」


 トオルくんは満面の笑みを浮かべ、指を鳴らした。私は息を切らしているけれども、彼はまったく息が上がっていない。ちょっと悔しくなる。


「いえ、やっぱりやめます」

「え、ええ!? そ、そんなぁ………」


 トオルくんは項垂れてから、叱られた子犬のように縋るような目をして私を見た。なにこれかわいい。こんな愛い奴が地球に存在していいのだろうか。


「一応、お姉さんなんだから、私が奢ります。私のお店で、珈琲を」

「え? いいんですか? 本当ですよね?」

「うん」


 私は緩やかに笑った。トオルくんもつられて嬉しそうに目を細める。


 それから、二人で土手を歩いていく。私たちは茜色に染まった道を踏みしめながら、他愛もない話をしながら、のんびりと歩いていく。

 どうにか私の胸の高鳴りも、幾分抑えられ、わりと自然に話せたと思う。──いや、まだ少々ぎこちないか。

 トオルくんはそれでも笑顔で応えてくれていた。


 二人の前に、背中から夕陽が当たり、影が伸びる。

 私たちはそれを追いかけるようにして、前へと行く。この先も、これからも。


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