6 トラットリアにて
店じまいをし、店外に出ると、雄大な夕焼けが見えた。周りがオレンジ色に染まり、何故だか切ない気持ちが湧いてきた。いつまでトオルくんのこと引きずっているのよ。
そんな心情を察したのか、夜空が口を開きかけたが、何も訊かないでくれた。こういったささやかな気遣いが、今の私には嬉しい。
そんなこんなで、近場のトラットリアに行くことにした。二人で何を食べようかと相談してそうなったのだ。
しばらく駅前の方まで歩き、瀟洒な構えだけれども、そんなに大きくないトラットリアに入り、座席に座る。
最初にビールを注文し、お互いのグラスを合わせた。グラスの中は琥珀色で満たされ、しゅわしゅわと泡が浮かんでいる。浮かんでは消える泡は、私の切ない恋心にも似ているなーと感じた。
「トラットリアってなんだよ? ここ、イタリアンじゃないか。せめて、『大衆的なイタリア料理店』って言えっての」
グラスを合わせた途端、向かいに座る夜空がいきなり物言いをつけてくる。
「いや、普通に言うでしょ。トラットリア」
「お前なぁ……なんかそう言ってると、松岡のインチキ英語みたいだぞ。意識高い系的な」
「……やめてよ。女子なら普通に言うって。それに、トラットリアは英語じゃなくて、イタリア語だから」
「はいはい、悪かったよ。私はガサツで、女子力低いもんでね」
「そうは言いつつ、さっき買ってくれたシステム手帳、ピンクのカバーで可愛かったじゃない?」
「……ふん」
グラスを傾け、夜空は喉を上下させる。それで、一気にグラスを空けた。さすが姉御肌。というか、男子?
駆けつけのビールを飲み終え、店員さんを呼び、あれこれと料理を注文する。ドリンクはベルターニ社のアマローネを頼んだ。ええ、そうですとも。今のささくれだった私は、ビールをちびちびとなんか飲めない。豪快にワインを一本開けてやるのだ。高価なワインであるが、仕方がない。だって、絶品なのだから。たまの贅沢も悪くはないだろう。
それで明日になったら、アルコールと共に、トオルくんの想いも抜けてくれればなーと密かに思った。
それから、料理を食べながら、二人で他愛もない話をする。「店の名前、なんでヤンソンなんだっけー」と訊かれたから、「ムーミン好きだから。作家さんからとったんじゃない。トーベ・ヤンソンのヤンソン」と答えた。
まぁ、確かに私の北欧好きは異常だといえるレベル。短大の卒業旅行で出かけて、ますます虜になってしまった。それが高じて北欧の雑貨屋さんまでしてしまうのだがら、筋金入りである。今でも、年に二回は現地に買い付けに行くし。
「しっかし、アタシはどうも納得いかないな。あの松岡っての。加奈の顔、明らかに嫌がっていたじゃんよ。なのに、なんで付き合っているんだ?」
「ビジネスだけの付き合いだけどね。まぁ正直、彼に関しては、私もよくは思ってないよ、うん。けどね、仕方ないじゃない。毎月、北欧に買い付けに行っていたら、破産しちゃうよ」
「うん。まぁ、な。で、仕方なく商社時代のコネを使っていると? しかも、担当があの松岡でしたと?」
「そゆこと」
「まぁ、じゃあしゃーないな。けどな、加奈。アイツに迫られて危なくなったら、アタシを呼べ。今日みたいに助け舟だすからよ」
私は「うん」と口にし、にっこりした。
いやけど、もう夜空ったら、「私」から「アタシ」になっているんですけど。まだボトル半分しか開けてないのに、酔うの早すぎ。
それに、何と言いますか、二人で今年の初詣でに行ったとき、お互いに同じ願掛けをしたじゃない。「女子力アップして、今年こそ彼氏をゲット」って。夜空、口調を直さないと、女子力どころの話じゃないよ?
夜空は真っ赤なトマトソースで作られた、ミネストローネにパンをつけて食べている。いや、それって違う。まずはミネストローネをいただいてから、残ったスープをパンにつけるのが正解だから。──と、指摘しようと思ったが、やめておいた。些細な指摘をして、絡まれたのではたまったものではない。
うううう。それにしてもこの光景。お互いに女子力は低いわ、女友達のみでトラットリアに来るわ。
トオルくんとここに来ることができたらなぁ……。
もう自暴自棄になって、ワインをあおる。グラスを空にして、手酌でどぼどぼとグラスについだ。いいんだもう、女子力とか。これから先、トオルくんと会えそうもないし、女子力なんかゼロでいいのよ。
うふふふふふ。うううううう。