4 お呼びでない男
チリンとカウベルの音。玄関口に取り付けてあるそれが鳴り、お客が来たことを告げる。悲嘆に暮れていた私だが、条件反射で「いらっしゃいませー」と元気に挨拶。
恐ろしい。習慣とか慣れって恐ろしい。
打ちひしがれていようがいまいが、関係なくすぐに営業スマイルになってしまう。カウベルが鳴ると、条件反射で挨拶&笑顔。パブロフの犬か、私は?
「やぁ、加奈ちゃん。どう、調子は?」
げっ。会いたくもない松岡誠二がやってきてしまった。コイツは会社勤めのときの同期である。「誠二」という名前は、親が「誠実にあれ」という意味を込めて付けた名前だそうだ。会社の飲み会で、そんなことを自らの口で語っていた記憶がある。しかし、コイツはそんな名前とは裏腹に、とんでもないナンパ野郎であった。
女をとっかえひっかえは茶飯事である。先週、紀子さんが彼女だったのに、今週は良子さんが彼女といった具合であった。松岡自身、ぱっとするルックスでもないのに、何故かモテる。話術が巧みだからか? 面白トークをするからか?
まぁ、私にしてみたら、そんな浮気男はご免こうむる。顔もそんなに好みじゃないし。
けれど、何故かコイツは会社にいたときから、しつこく私につきまとい、挙げ句の果てには口説いてくるのだ。お呼びじゃないのに。
きっと、ナンパ野郎は、落とせない女がいると悔しいのだろう。自分の矜持が傷つくのだろう。けど、そんな彼のナンパ師としてのプライドなんか、私は知ったことではない。勝手にどうぞである。
「まぁ、ぼちぼちですね。松岡さん、珈琲でも飲みます?」
「ああ、もらえると嬉しいな」
営業スマイルを欠かさずに、嫌な相手にもお茶を勧める。だって、彼を経由してこのお店の商品を輸入している物もあるから。やっぱり、一流商社はすごいわ。
商売のためなら、嫌でも使え、人脈を。
まぁ、彼とはそんな微妙な距離感にいるのだ。私としては、インポーターとしての彼を利用したい。彼は私を隙あらば口説きたい。そんなデンジャラスな関係なのだ。
丹念に豆を挽く。手動のアンティーク製のコーヒーミル。これも北欧から輸入した物。豆を挽き終え、コーヒーマシーンにセットし、ドリップを開始する。嫌な相手のために、手間暇をかけてしまった。
もし、相手がトオルくんだったら、どんなに良かったことか。そうしたら、愛情を込めて何杯でも作りますとも。
ドリップをしつつ、レジカウンター越しに見る。
やはり、相手はトオルくんじゃない。大してイケてない松岡が店内の品を物色しているだけだ。はぁ……。
「とと。よくないな、ソレ。加奈ちゃん」
「何がですか?」
「溜息。知ってる? 溜息をすると、その分だけ幸せが逃げていくらしいよ」
松岡は誇らし気に胸を張る。十分知っています、そのうんちくは。
「えー、そうなんですかー。知らなかったですー」
知ってるけど、敢えて相手を立てておくことにした。社会人たるものこうでなくてはいけない。
「なんか落ち込むことあったの?」
「いえ、特にないですけど」
しれっと言う。本当はありましたよ。ええ、ありましたとも。たった十分だけの雨宿りで出会った男子高生に恋煩いしていますとも。──と、コイツにそんな本音は言えるはずもなく。
それより、さっさと本題に移ろう。彼との付き合いはこれしかないのだから。
「で、松岡さん。何かいい出物あります?」
「ああ、それね。はい、どうぞ」
松岡は分厚い商品パンフレットを差し出した。それを受け取って吟味してみる。
「このティーセットいけてますね」
「だろ。そいつはお勧め。コペンハーゲンのだから」
「あ、このマスコット人形もいいですね」
「だろ。そいつはお勧め。ノルウェーで人気が出てるらしいよ」
「あ、このステーショナリーも素敵」
「だろ。そいつはお勧め。ストックホルムに本社があるんだ」
ええと……確かに可愛い物ばかりだけど、どれだけお勧めがあるの。節操ないよ、コイツ。深夜のテレビショッピング並にお勧めしてくるんじゃない!
──といった本心を隠しつつ、商品パンフレットのページを捲る。まぁ、確かにどれもこれも可愛くて、目移りしてしまう。
しばらくして、パンフレットを閉じた。
「うーん……どれもこれもいいですね。絞り切れないな。困ったことに」
「じゃさ。その辺のサジェスチョンを、このあと取るってのはどうよ? 場所を変えて、ディスカッションしてさ。そうしたら、俺の方もいいコミットできるんだけどさ」
「はぁ……」
「例えば、バルなんかに行って、チアーズしたりして。そしたら、話もはかどると思うわけよ。ほら、ワインとか開ければ、オープンユアハートでトークできたりするじゃない?」
お 前 は……普通に日本語喋れ!
インチキ英語で自意識高い系とかやめて欲しい。うざいことこの上なし。
まぁ、意訳すると、居酒屋で乾杯しながら、話をしないかってことなんだけど、どうか日本語でお願い。
「どうかな? とってもいいアイデアだと思うのよ、俺的に。加奈ちゃん、これはビジネスチャンスだよ。掴まなきゃ、チャンスを。待ってるだけじゃ、ビックウェーブは来ないって! さぁ、行こうよ! ビジネスの大海原にっ!」
うわぁ……インチキ英語に無駄に熱い男も混じってきましたよ。なんでこんなヤツがモテるんだろう。押しの強さなのか? それとも彼の年収が故なのか?
確かに押しの強い男性に女性は惹きつけられることはあるけれども、私はコイツには魅力を感じない。方向性の不一致。情熱のボールが、明後日の方向に飛んでる。
口直しに、珈琲を一口すすり、にこやかに断りの文句を探す。
「あ、ごめんなさーい。今日は予定があって。松岡さんと飲みたいのは、山々なんですけれども、どうしても外せない用でしてー」
「いやいや。それ違うでしょ。だってさ、目の前にチャンスがあるんだよ! なら取りに行かなきゃ! 掴まなきゃ。自分から動かないと、何も始まらない。動かなきゃ! 動かなきゃもったいないよ!」
はぁ……そうやって、ビジネス話にかこつけ、バーで私を酔わせてお持ち帰りしたいわけですね。わかります。
のらりくらりとかわしていると、松岡がずずいと顔面を近づけてきた。
「どんな用事がある訳? まさか男?」
「嫌だなー、松岡さん。そんなわけないじゃないですかー。男なんていませんよ、私は」
「じゃあ、何? 男以外ならなんなの?」
「えっと……それは……」
視線を外し、言い訳を考える。なんでこんなことで、私が苦慮しなきゃいけないんだ。




