19 ストーカー
ワンルームマンションの前まで来ると、また電柱に多くの吸殻があった。片付けたいけど、その余力は残っていない。
私は素通りし、マンションの玄関まで行こうとする。そこで、足が止まった。
玄関に人影が見える。玄関口から漏れ出る灯りが、その人を照らし出す。
ソイツは──嫌らしい笑顔をぶら下げた松岡であった。
「な、なんか用ですか、松岡さん」
「なんだよ。つれないことを言うなって」
「アナタに用はありません。帰ってください」
「つれねぇな。お前と俺の仲だろ?」
「仲もなにもないじゃないですか!?」
そこで、彼は笑んだ。影のあるとても不気味な笑顔だった。
「何言ってんだよ、加奈。俺はいつでもお前を見守っていただろ? まさか、気付かなかったのか?」
私は、ハッとし、電柱を振り返る。あの吸殻……まさか!? それじゃあ、お店の前にも、マンションの前でも、ずっと私を張っていたってこと?
松岡はニタリとし、近寄ってくる。
全身が粟立った。コイツ、単なるストーカーじゃない!
「俺はお前に本気になっちまって。他に付き合っていた子は、全部切ったよ。もう、加奈一筋だ」
「そんな勝手な! そんなの一方的なアナタの言い分じゃない! 私はアナタに『他の女と別れて』だなんて一言も言ってない!」
「へっ。相変わらず、気が強いな。お前が嫌がれば嫌がるほど、俺の愛情は深まる。この気持ち、わかってくれるだろ? え?」
松岡の目が血走っている。じりじりとにじり寄ってくる。
それでも、私は動くことができなかった。嫌悪感いっぱいで、すぐにもコイツの前から逃げ出したいのだけれど、恐怖で足がすくんでしまったのだ。
「どうなんだよ、加奈! どうなんだよ、ええっ!」
松岡は声を張り上げる。それで、ますます私は縮こまってしまった。彼の狂気が宿る双眸は、落ち窪んでいて、不気味な光を放っている。
私は立ちすくんでしまい、どうすることもできずにいた。
それでも、口では抵抗する。
「誰が、アンタなんかっ! 気味が悪い! 寄らないでよ!」
「なっ! じゃ、じゃあ、加奈は俺のことを好きじゃないのか!?」
「当たり前でしょうが。アンタがいるだけで、ゾッとするっていうの!」
「じゃあ……じゃあ、俺の想いは、お前には届かないってのか? 俺はっ! この俺様はっ!」
松岡は髪を搔きむしる。
そして、徐に胸の内ポケットから、サバイバルナイフを取り出した。その刃先は、街灯に照らされ、青白く光っている。刃渡りが長い。あれで突かれたら、間違いなく死んでしまう。
「嫌! た、助けてー! 誰か助けてくださいー!」
大声で叫ぶも運悪く人通りがない。これが住宅地の死角というやつなのだろう。
いや、誰か通りすがりの人がいても、助けてくれるものなのだろうか? 後難を恐れ、見て見ぬふりをして、通り過ぎていくのではないだろうか。
一歩、また一歩と松岡が近づいてくる。
私はミョルニルハンマーがバッグに入っているのを思い出し、それを取り出した。
何事かと彼の足が止まったが、玩具のハンマーだとわかり、くくくと笑い出す。安全だと悟り、また歩みだした。もう十メートルの距離もない。逆上した松岡がナイフを振るえば、私は一巻の終わりだ。
「トオルくん! 助けて! トオルくんーーー!」
あらん限りの声で叫んだ。しかし、トオルくんがここにいるはずもなく、薄暗い住宅地の道に虚しく響くだけであった。
「お前……この期に及んで、あのガキをっ! 俺様より、アイツがいいのかよっ! そいつは許せねぇ。許せねぇぜ!」
松岡は怒髪冠を衝いた。もう、コイツとのあと距離は僅かだ。三歩も踏み出し、ナイフを持つ手を前に出せば、私の心臓は抉られてしまう。もう後がない。絶体絶命だ。




