16 苦渋の決断
そして、そのときはやってきた。
今日は表の看板を三時半には、クローズにしておいた。
「トオルくん、ちょっといいかな?」
店に来たばかりの彼に向かい、言葉を投げかける。
「どうしたんですか、シブさん。店はクローズになっているし……それに、ちょっと顔が怖いですよ?」
「いいから、座って」
「……わかりました」
トオルくんはカフェスペースにある丸椅子に座る。ラウンドテーブルを挟み、私も座る。
「あなたは……クビです。今日までのバイト代は清算しますから、明日からは来なくて結構です」
「え? それ何の冗談ですか? いやだなぁ。からかうのはなしですよ、シブさん」
「じゃあ、核心に触れます。あなた、このままなら野球部を退部しなきゃいけなくなるんでしょ? 監督さんがそう言っていたって」
トオルくんの顔が青ざめる。それは、桑原さんが語っていたことは、真実であるという証左だ。
「い、いや……そうでなくてですね。シブさん、お願いですから、僕の言うことも聞いてください!」
「聞きません。とにかく、あなたはクビです。今、清算しますから、すぐに部に戻って。そして、監督や部の皆に謝って! まだ間に合うはずよ!」
「いや、ですから。とにかく、僕のわけも聞いてください」
狼狽えるトオルくん。
私の頬は濡れていた。涙が一筋、頬を伝っている。
「私だって……私だってトオルくんと一緒にいたいの! でも、そんなの駄目なの。私の我儘でしかないの! 私は……私は……トオルくんの夢を奪ってしまうことの方が怖い! 一緒にいて嬉しい気持ちよりも、今は怖い気持ちの方が強いの!」
それを聞いて、トオルくんは沈黙してしまった。沈痛な面持ちをしている。
「このままだと、私、自分を嫌いになっちゃう! トオルくんの夢より、私と一緒にいてって言ってしまいそう。そんな自分がたまらなく嫌なの! お願い、わかって。わかって……よ……」
すすり泣いてしまった。彼は黙って俯いたまま、小さく頷いた。
私は涙を拭ってから、レジにしまってあった給料袋を取り出し、彼の元に戻り、それを手渡した。
「ごめん。みっともないところを見せちゃって」
「そんなこと……ないです」
トオルくんは中身も確認しないで、給料袋を受け取った。多めにバイト代を入れておいたのだけれど。
「それじゃあ、お世話になりました……言いたいことはありますが、それって男らしくないですよね」
彼は寂しげに、小さく笑う。
「お元気で……」
「シブさん。本当に今日までありがとうございましたっ!」
深々と頭を下げる。それは試合が終わり、礼をする高校球児のそれと同一のものであった。
行かないで!
私は心の中で絶叫する。本当は行って欲しくなんかない。でも、行かせなきゃ。
トオルくんは、私から卒業しなきゃいけないのだから。
カランコロンとカウベルが鳴る。トオルくんは、去って行ってしまった。
彼はもう私と交わることはないだろう。きっと、彼は私という交差点に、足を踏み入れなくなり、交わることがなくなるのだ。
──それでも。私は間違っていない。正しい決断をしたと思う。胸を張っていいんだ、私。
けれども、また涙がとめどもなく溢れ出してしまう。それでもいいのだ。
この涙で洗い流そう、彼のことを。トオルくんのことを。




