14 助けて!
そうしていると、カウベルの音が鳴った。誰だ、こんなときに無粋な。大体、クローズの札になっているでしょうが。
見ると、松岡が憮然とした表情をして、玄関口に立っていた。
「おやおや~。お安くなさそうですね」
嫌味ったらしく言われる。ちょっと、お前。今日はアポなしで、何で来るのよ? 折角、トオルくんと見つめ合っていたのに。邪魔しないで。
そんな思いとは裏腹に、松岡はズカズカとこちらにやってきて、トオルくんの肩をドンと押す。
「ガキが。商談の邪魔なんだよ。子どもはとっとと帰りな」
「ちょ、ちょっと、松岡さん。失礼じゃないですか。トオルくんに謝ってください!」
気色ばみ、いきり立ってしまった。
「いえ、僕は大丈夫ですから、シブさん。僕、お二人の邪魔みたいですので、商品の陳列をしていますね」
トオルくんは大人しく引き下がり、商品棚の方へと向かった。立腹もせず、そうするなんて大人だわー。それに比べて、この松岡め。お前は子どもだわー。
すごすごと引き下がるトオルくんを見て、松岡はふんと鼻を鳴らす。どうやら溜飲を下げたようで、私に向き直り、飛び切りの笑顔を見せた。トオルくんの笑顔に比べると、十二分に煤けている。
「で、松岡さん。今日は何の用です?」
私はトオルくんを邪険にしたコイツを許さない。言葉には当然、棘がある。けど、鈍い松岡は、そんなことは歯牙にもかけず、丸椅子に座り、商品カタログをラウンドテーブルの上で広げだした。
「いや。加奈ちゃんのとこ、そろそろ品薄かなーと思ってさ。なんか、大繁盛らしいじゃない、ここのところ」
松岡は言葉を切り、ちらりとトオルくんの背中を見る。
「お邪魔な誰かさんのお陰でな」
ったく。どこからそんな評判を聞きつけてきたんだ、コイツは。まぁ、外商をやってれば、自然とアンテナは伸びるけど、それにしたって耳聡いにも程がある。
とはいえ、このところ商品が飛ぶように売れるので、品薄なのは確かだ。北欧への買い付けは、先月行ったばかりで当分行けないし、そのときに仕入れた商品は船便なので到着までまだ間がある。税関も通さなきゃだし、更に時間がかかるだろう。
と、なると、品薄不足を解消するためには、必然的にこの男に頼らざるを得ないわけだ。
私は仏頂面のまま、商品カタログを手に取ろうとする。その手に、こともあろうか松岡の手が重なってきた。ひぃ、鳥肌が立った。生理的にも駄目だわ、コイツは。
「こんなとこじゃなくてさ。もっとアダルティなプレースで話そうよ。そして、語ろうよ。この店のビジネスチャンスをさ。今、ヤンソンには、ウェーブが来ているんだよ。コレを逃す手はないでしょ。掴まなきゃ、ビッグビジネスを! 僕がサポートするから、君は付いてきて欲しいんだよ!」
出たな、この無駄に熱い男め。それに、アダルティなプレースってどこ? バーにでも連れ込んで、私を酔わせて、お持ち帰りしようって魂胆、見え見えですよ? 誰が乗るか、そんなのに。ウェーブには、アンタ一人で乗ってどうぞ。そして、可及的速やかに一人で沖まで行っちゃってください。
とか、内心思うが、品薄なのは確かだ。つまり、当面の商品はコイツを頼らなければならない。とほほ。
「松岡さん。商談はここでもできるでしょ? 別にアダルティとやらに行かなくてもいいんじゃないかな?」
「いやいやいや。それはないわー。チアーズしてから、ビジネストークをするから、ドリームが広がるんじゃない。活かそうよ、このチャンスを!」
「は、はぁ……遠慮します」
「いいからいいから。さっ、あんなガキなんか放っておいて、行こうぜ。ビジネスという大海原に」
ついに松岡は強引な手段に出た。私の腕を引っ張り、無理に連れてこうとする。たまらずに、私は──。
「トオルくん。た、助けてっ!」と叫んでしまった。
トオルくんは血相を変えてやってきて、松岡を突き飛ばした。松岡はよろめいて、私の腕を放した。
「な、何してくれんだよ、このガキッ! 俺を誰だと思ってんの? 天下の四ツ井物産の社員様なんだよ! 俺がこの店に商品を卸さなければ、大変なことになるんだぞ。そこんとこをわかってるのか、ガキが!」
いきり立つ松岡をトオルくんは手で制し、空いている片手でスマホを取り出す。そして、どこかに電話したようだ。
「あ、もしもし。父さん、僕です。……うんうん。ちゃんとやっているよ。それよりさ、訊きたいことがあるんだけど。確か、父さんって四ツ井物産と取引があったよね? ……うん。そうなんだ。ならさ、頼みがあるんだけれど。ヤンソンっていう雑貨屋さんがあるんだけど、父さんが四ツ井物産に掛け合って、担当者を変えてもらえないかな? ……うん。じゃあ、お願いします」
通話中、私と松岡はぽかーんとしながら、トオルくんを見守っていた。
トオルくんが通話を切る。そうしてから、松岡は彼を睨みつけていた。トオルくんは、私を背中で庇うようにして守ってくれた。
両者の睨み合いが続く。重たい沈黙。
それから五分もした頃だろうか、沈黙を破るように松岡のスマホが鳴った。彼は不機嫌なまま、通話ボタンをタップした。
「もしもし、松岡ですが。……これは、部長! 何事ですか? ……はい。……はい。えっ! 私がヤンソンの担当から外れるですって!? なんでですか? 納得が……」
松岡の顔が青ざめていく。
「社と朝井家とは深い繋がりですって? そんなのは、俺には関係がない……は? いえ。部長命令に逆らう気など毛頭ありませんが……はぁはぁ……それじゃ、失礼します」
通話を終えた松岡は、がっくりと項垂れる。三十秒ほどもそうして固まっていただろうか。突如として、顔を上げ、私を睨んできた。
「ここの担当、明日から新しい奴がくるから……」
その言葉に、私は胸を撫で下ろす。
「ち、ちっきしょー!」
喚き散らしながら、松岡はフェードアウトするかのように、店から駆けていった。正直、ざまぁである。
「トオルくん、ありがとう! 君がいなきゃ、本当に危なかった」
「いいえ、いいんですよ、このくらい」
トオルくんは微笑んだ。
それにしても、トオルくんは何者なの? お父様の声一つで、天下の四ツ井物産を動かしちゃうなんて。
そう尋ねてみるが、トオルくんはただはにかみ「内緒です」とだけ言った。
彼についての謎は増すばかりだが、それはそれでよしとしておいた。彼はとてもミステリアスな存在なのだから。日本人離れした、その神秘的な赤髪が、彼にはとてもよく似合うのだから。
「じゃあ、帰りましょうか?」
トオルくんは私に向かって手を差し出す。
「うん!」
私は飛び切りの笑顔を見せ、彼の手を握りながら、戸締まりをして店を出た。
って、いやいや。私、いつの間にかトオルくんの手を握っているじゃん! どひゃー!
しかしである。これについては、トオルくんが悪い。だって、あまりにも自然に手を差し伸べてくれたから。あんな風に自然とされて、しかも、物腰が柔らかだったから、ついそうしてしまった。
うわあああと、ここの中で絶叫しつつも、表面上は穏やかにしておいた。なんとか平静は保てたつもり。
空を見上げると、宵闇。一番星が二人の頭上に煌めいていた。




