12 夜空とトオルくん
来店を告げるカウベルが鳴る。悠然たる態度で入ってきて、ぐるりと棚にある商品を眺めてから、椅子にどっかりと座った。このような不遜な態度を取る人物は、ただ一人、夜空だ。
「相変わらず、この店に客はいないな。潰れんじゃねーの」
「閉店間近に来て、何言っているのよ。さっきまではお客さんがそこそこ来ていたんだから。けど、あなたが来る前に、潮が引くようにいなくなっちゃったの」
「フン。そーすると、アタシは差し詰め貧乏神だって言いたいのか?」
「正解ー」
私は笑顔で、ふんぞり返っている夜空に珈琲を差し出す。
妙な間があったので、彼女の顔を恐る恐る覗いてみると、こめかみに青筋が立っていた。元ヤン怖っ!
「チッ。まぁ、いいや……で、進展はあったのか?」
「何の?」
「トオルくんとやらとの仲だよ」
「それはね。ヒ・ミ・ツ♡」
人差し指を唇の脇に添え、可愛いらしく言ってみた……のがまずかった。夜空が持つコーヒーカップから、めきめきと音が聞こえる。止めて、割らないで。それはロイヤルコペンハーゲンのやつなのっ!
「……まぁ、そのおちゃらけた様子だと、上手くいったみたいだな。結構結構」
満足そうに頷き、カップに唇をつける。夜空、アンタ良い奴ね。アンタがあのとき、発破をかけてくれなければ、きっと私は土手に行かなかった。そしたら、またトオルくんと出会うこともなかっただろう。持つべきものは友よっ。──けど、アンタにトオルくんは紹介しないけどね。夜空は肉食系女子だから、きっと食い散らかしちゃう。
──まぁ、この危険な肉食系女子に、トオルくんを紹介しない。寝取られては、たまらない。
夜空、ごめんね。今は会わせられないけど、結婚式には呼ぶからっ! なーんてね。
そんな風に考えをまとめていると、カウベルが鳴った。うわっ、トオルくんだ。来てくれるのは嬉しいけれども、危険人物がここに一人いるんですけど……。
トオルくんは私たちに一礼をし、店内を見て回った。どうやらお気に入りを見つけたらしく、二点の品をレジに持っていく。
私は夜空がいるカフェスペースから離れ、早足でレジカウンターの中に入った。彼が選んだ品は、木製グリップのボールペンに、表紙が茶色で、中が薄い黄色のメモ帳だった。うん、なかなかにいいチョイス。彼のお洒落センサーは確かなようだ。
「おいくらですか?」
「えーと……この前のペンダントの件もあるし、タダってことで」
彼からもらったハートのペンダントは、今でも私の胸元で輝いている。もう、一生これは離しませんから。
「え? それは駄目ですよ。僕は、それをシブさんにプレゼントしたいからしたんです。この会計とは別ですよ。ごっちゃにしちゃ駄目です」
「じゃあ、これは私からトオルくんへのプレゼント。そう思って?」
「いえ、それでは悪いです」
「いいからいいから」
レジですったもんだする。
「おい、青年。いいから、コイツの好意に甘えときな。年下はなぁ、目上の人からの好意を素直に受け取るもんだぜ」
そう夜空なら口を挟んでくるところだが、なんの発言もなかった。
不審に思い、彼女を見てみると、テーブルの上にのの字を書いていた。
二、三分ほど揉めてから、トオルくんは矛を収めた。どうやら、素直に受け取ってもらえることと相成った。
「あら? もう七時十分ね」
レジカウンターから出て、玄関にある木の札をぱたんとひっくり返して、クローズにする。そうしてから店内に戻り、トオルくんの分の珈琲もラウンドテーブルに置いた。トオルくんと夜空は、テーブルを挟み、向かい合って座っている。
「シブさんのお友達ですか? シブさんが可愛いから、自然とお友達も可愛い方になるんですね」
「そうかな~」
私は照れて後ろ髪を掻く。
「あのー、もしよろしければ、お名前を聞いてもいいですか?」
「あ、アタクシのでございますか?」
「はい」
にこにこするトオルくんに、挙動不審になる夜空。
「アタクシが夜空でございますですのよ、はい」
「へー、夜空さんか。美人なお顔どおり、美しいお名前ですね」
「そ、そうでしょうか……そう言っていただけると、なんと申し上げますか、ア、アタクシは……」
──夜空。「アタシ」が「アタクシ」になってるよ……。
幾分、心配をしながら私は成り行きを見守った。
「ふふっ。なんだか面白い方なんですね、夜空さんは」
「は、は、はい……そ、そう言っていただけますと、光栄の至りで。アタクシは、ア、アタクシは……っ!」
何というか、言葉に詰まった挙げ句、絶句して果てた。
ああ、駄目だ。夜空の頭から煙が出ている。とうとうぶっ壊れました。
見かねた私は、助け舟を出す。三人で店外に出て、そこでトオルくんとお別れした。まだ伝票整理をしていないから、明日は朝一番で来なくちゃ。
トオルくんは丁寧に挨拶をし、元気に駆けていった。彼が去ってから、夜空はワハハと、唐突に笑い始めた。
「勝ったな、ワハハ。あの坊やもアタシの魅力にイチコロだったな。アハハ」
いや、アンタ、負けたでしょ。それ以前に自爆していたじゃん。そりゃ、トオルくんばりのイケメンさんに会ったら、女子なら慌ててしまうのだろうけど、何もぶっ壊れることはないじゃない。
そこで、はたと気づく。
コイツ、免疫耐性がないな、イケメンの。なーにが「アタシは肉食系女子だから」だよ。吹聴しないでよ。警戒して損したわ。
しかし、ヤンキーは意外と純情だっていうのは本当だったのねと、妙な感心をした。そして、夜空を愛おしく見遣る。
「うん、まぁいい男じゃない。優しそうだし、イケメンだし。合格!」
ビッと親指を立てる。夜空、今更強がったって、トオルくんはもういないよ……この女、意外と残念系だったか。
「んじゃ、ま、今日は祝杯だな。加奈、今夜はアンタの奢りだかんね」
そう言うと、夜空は私を拉致し、この前のトラットリアへと引っ立てていった。
道中、トオルくんのことで、話に花を咲かす。
「うん。アイツは良い奴そうだ。頑張れよな、加奈!」
「うん、ありがとう。夜空!」
このときの私の笑顔は、夏の花火のように弾けていたと思う。だって、ダブルで嬉しかったのだから。トオルくんがささやかなプレゼントを受け取ってくれたことと、夜空との友情が、私をそうさせた。
大輪の笑顔にさせてくれたのだ。




