10 天国からの転落
丁度そのとき、玄関にあるカウベルが鳴る音。キターー。トオルくんだーー。
「あ、どうもこんばんはー」
「いらっしゃいませ。今日も珈琲淹れるから、テーブルで待っててね」
私は目尻を下げる。と、彼の後ろに何者かがいるんですけど?
トオルくんの背中から、可愛らしい女子高生がひょっこりと顔を出す。
「うわー、お洒落なお店ー。朝井先輩、よくこんなお店を知ってましたね?」
「うん。このお店は僕のお気に入りなんだ」
あはははは。今日は彼女さん連れですか。それもそうだよね。トオルくんなら、いない方がおかしいよ。あははははは。うううううう。
顔で笑って、心で泣きながら、豆をごーりごーりと削る。取手を持つ手は震えていた。
「あ、先輩。このお人形、カワイー。ねぇ、見てみて」
女子高生らしい可愛い声。無邪気にはしゃぐ姿も、それはそれは可愛くて……。
負けた!
そもそも、女子高生と私じゃ鮮度が違う。
魚市場で彼女と私が並べられたら、どちらがピチピチしているか。それは論ずるまでもなく、女子高生の彼女だ。きっと、せり値も天井知らずだろう。一方の私は、賞味期限切れです。そのまま市場に放置され、腐っていくだろう。死んだ魚の目をしながら。
コーヒをドリップしながら思う。やはり、彼女がいたのかと。でもトオルくんなら当然よね。眉目秀麗にして、エースで四番。その上、絵に描いたような爽やかな好青年ときては、女子が放っておかないだろう。
そう、彼は全てを持っている。可愛い彼女さんまでも。
でも、だからといって、よりによって、私の前に出すことはないじゃない! 私ってなんなのよ!? ピエロですか? そうなのですね?
一通り店内を見終えた美男美女のカップルはラウンドテーブルの前にある椅子に座った。キャッキャウフフしてんじゃないよと、心の中で毒づいていると、ドリップが終わった。
コーヒーカップ二つをラウンドテーブルまで運ぶ。そして、なんでもないという笑顔をトオルくんに見せてやるんだ。嫉妬に狂った顔など、意地でも見せるものですか。
「お待たせしました~」
動揺していたのだろうか、女子高生の前に置いたコーヒーカップがソーサーにがちゃんと当たってしまった。しまった、手元が狂った。
漆黒の液体が宙を舞い、その飛沫は彼女のスカートを汚してしまった。
「ああ、ごめんなさい。すぐに拭きますから。えっと、ダスター。ダスターはどこだっけ?」
「いえ、いいんですよ~。かかったの、ちょっとだけですし」
彼女はにっこりと笑った。
私はダッシュで清潔なダスターを取って戻り、彼女のスカートを濡れたダスターで染み抜きした。
「良かった。染みになってないみたい」
「いえ、お客様。ごめんなさい! 私のミスです。クリーニング代はお出ししますので」
私は深々と頭を下げる。
「いいんですよ、シブさん。こんな奴、放っておいても」
「あ、先輩~。それ、ちょっと酷いですー」
そうは言われても、申し訳ない。私は何度もぺこぺこと頭を下げた。彼女は「気にしないでください」とか「大丈夫ですから」と、爽やかに返してくる。うう、いい子じゃありませんか。可愛い上に、JKで、優しさも兼ね備えていると。
参ったなー。こりゃ、お姉さん敵いませんわー。あはははは。うううううう。
私は項垂れながら、すごすごとレジカウンターの中に引き返し、お似合いカップルの二人をぼうっとしながら眺めていた。
もう傍観者である。私などは、あの輪の中に入れない。所詮、蚊帳の外なのだ。
しばらくして、新たに注ぎ直した珈琲を二人は飲み干したようだ。
「それじゃ桑原、行くか」
「はい、先輩」
二人は立ち上がる。
「その……申し訳ございませんでした……」
しょんぼりと私は言う。
「いいんですよ、そんなー。亜弥、このお店、気に入っちゃったー。お姉さんも素敵ですし。また来てもいいですか?」
私は無言でコクリと頷く。うう、いい子じゃないの。
「おい、桑原。僕は先に出てるぞ」
一足先にトオルくんは店外に出た。
「あ、待ってくださいよ~。先輩」
猫なで声を出す彼女。そうしてから、私の方を振り返り、べーと舌を出してきた。
ん? いや、あなた。今、何をした? 私に向かって、舌を出さなかったか?
桑原という彼女は、踵を返し、店外へと出ていく。
カラリンコロリンとカウベルの音が虚しく店内に響く。ひょっとして、猫かぶりなのか? そうだったのか? トオルくんの前では、可愛い女子を演じて、私には舌を出すのか。え?
まぁ、だけれども。
トオルくんに彼女がいるのは、確定的となった。それが裏表のある性悪女でも。
鮮度で劣る私じゃ勝てません。勝負になりませんね。あはははは……。
「帰ろ」
小さく呟いてから、伝票を整理し、現金勘定をした。それを出納帳に書き出し、レジカウンターを出る。
店外に出てから、お店の札をクローズにして、とぼとぼとぼとぼ家路につく。今日も頭の中で、ドナドナが鳴っていた。今ならわかる。売られていく仔牛の寂しさが。
というか、滑落した。トオルくんとの恋愛という素敵な山の頂から滑り落ちた。山の頂点から谷底へと真っ逆さまに。恋という名のザイルは、あの彼女にブチ切られました。あとは、絶望の谷底へとただただ落ちていくだけ。その絶望たるや、たまったものではない。正直、絶叫したい。いや、してるけど。心の中で。
昨日の今時分とは、天と地の差だ。昨日は、トオルくんからペンダントをプレゼントされ、有頂天になっていた。それが今は、彼に彼女が存在していることを知り、泥土に嵌まって身動きが取れない。
絶望という汚泥に首まで浸かってしまっていたのだ。




