純粋無垢な悪意
きゃらきゃらと、笑いあう声がする。大学近くの幼稚園で、園児たちが遊んでいるのだ。私たちが通う大学へは、この幼稚園を通る道がもっとも近い。学生の大半は、通学中一度は目にする光景だ。
「かわいいね」
隣の友人は、そういった。わりあい半数ほどは抱くであろう、自然な感想だ。
私は、なにも言わずに送迎の母親達をみる。パーティーに直接向かえるほどのとびっきりおしゃれなドレスコードではない。しかし、すくなくともくたくたになったシャツとジーンズの組み合わせは一人もいない。センスの良さが光るブランドもののシャツと体型にあったジーンズ、これまたしっかりしたメーカー品の自転車。くたぴれておらず、こざっぱりとした女性たちがそこにいた。また、彼女たちの持ち物は、どれも学費と生活費を稼ぐ貧乏学生にとっては高価なものばかりだ。
「……持ち物からして違うね、さすが富裕層の集住地」
友人、ユキの指摘通り、大学の周辺は立派な住宅地だ。このあたりの家一軒分の敷地で、通常の建て売り住宅が四棟収まってしまうほどだし、セカムやアロソックのような警備のステッカーをはっていない家はないほどだ。
住環境および教育環境に恵まれている。そのうえ収入もそこそことなれば、満ち足りた、場所だ。
人工のひだまりがそこにあった。
なにげない日常という幸せがあった。
私が足をはやめたのは、きっとはやく離れてしまいたかったのだと思う。
だから、園児とぶつかったのは私がわるい。園児は走って門をぬけようとしていたはずで、突如私が早く歩こう等と思い実行しなければ、なんの接点もなかったはずなのだ。
園児は私に思いっきりぶつかった。
私はそんなにいたくはなかったけれど、園児の方はびっくりしたようで、かたまっている。
普段の私なら、身をかがめて、ごめんねというだろう。
沈黙が支配して、母親らしき女性が何事かとこちらに近づいてくる。
こどものことが心配で、大事そうで、穏やかな暮らしをしていそうな人だ。
「……このおねえちゃんがぶつかって、ごめんね」
ユキがしゃがみ、園児と目線をあわせる。そして、私の背中を小突きながら、母親のほうへ近づいていった。
僕の友人がお子さんとぶつかってしまって、とか、僕がからかったせいで彼女は怒って早足になったんです、などと弁明している。
さいわい母親はモンスターペアレントとの類いではないようだし、ユキは真面目に見えるから、すぐに話はつくだろう。
「……ごめんね」
私はやっとそれだけいった。園児は首を横にふりながら、私にきいた。
「おねえちゃんも、いたかった?」
こどもは、特にこれくらいの小さなこどもは、思ってもいなかった言葉をはなつ。わたしは、すぐにはなにもいえなくて、なんとか笑顔をつくった。
「ううん、ぶつかってびっくりしたけど、いたくないよ」
あちらの話は終わったのだろう。園児の母親と、ユキがやってきた。
「うちの子が飛びだして、ごめんなさい」
「いえ」
そして園児は母親にしっかりと手を引かれて、帰っていく。
「ゆか、飛び出しちゃだめでしょ?車にひかれちゃうわよ」
風にのってそんな声がきこえてくる。
私はどうして痛いのかと聞かれたのだろう。
……簡単だ、私が痛そうな顔をしていたからだ。
欲しがっていて、でも手にはいらなかったものを見せつけられて、今さら傷ついたような顔をしたからだ。
いま、私の望みはただひとつ。
「いこうか」
ユキの声が、私を現実に引き戻す。
私はいま、なにを考えていたのだろう。