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戦国放浪記~別にシリアスではない~  作者: 夏月
第一章「飛ばされました」
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この世界について

 裏口から店に入り、廊下を歩き、階段を上がって一番手前の部屋に入る。

 畳が敷いてあるこの部屋が客間なのかと思ったが、二階にそれを設けるというのも変だろう。

 或いはこの時代における間取りではそれが珍しくないのかもしれないが、とにかく案内されたこの部屋には、寂しく無い程度として置かれた装飾品の他には何も無かった。


「さて、まずは自己紹介だな。俺は安藤 洋平だ」

 お互いに向かい合いながら座ったところで、中年男性、安藤さんが話を切り出した。

「自分は、佐藤 浩太郎です」

 安藤さんのそれに倣い、俺も名乗る。

 もし安藤さんが就職面接の自己PRよろしく俺に語りかけたのであれば俺もそれに負けじと、それはもうウィットに富んだ割腹絶倒必至な自己紹介をしようと思ったのだが、相手が五秒で自己紹介を終えたのであればそれと同じぐらいで俺も終えるべきだろう。

 と、頭の中でそんなどうでもいい葛藤をしつつ頭を下げた俺に対し、何故か安藤さんは嬉しそうな顔をしていた。

「? どうかしましたか?」

「いや、まあ気にするな。それよりもお前はいつこの世界に来た?」

「今日です。と言うか多分、まだ二、三時間ぐらいしか経ってないと思います」

「ほう。僅か二、三時間の間に何があった? 馬と甲冑をどうやって手に入れた?」

 興味深々な安藤さんに、俺はこれまでの事を事細かに説明した。

「……ふむ、成程な。しかしまあ、その状況でよく生き延びたな」

「まあ、運が味方してくれましたから」

 そう、運だ。何か一つでも掛け違えていれば、今頃俺は躯となっていた事だろう。

 そもそもにして当初、これを完全なる夢と思って森・面具ヒューマンと対峙していたら、俺は逃げるという選択肢を選ばなかった。その場合、俺が小学生時分に指抜きグローブを装着しながら独自で練り、完成せしめた究極体術、佐藤流体術・序を用いて闘ったに違いない。その結果は火を見るよりも明らかであり、即ちデッドエンドに向けて歩みを進める事となった筈だ。

 だが実際はそうしなかった。

 どこかに現実のにおいがし、生きる為の対応をとったからであり、その他様々な要素が絡み合った『運』が俺に味方してくれたからだろう。


「そうか。いや、それでも大したものだ。リスクをもっと減らすという意味では、その森様を殺すべきだったがな。今にも追手が来てもおかしくないぞ」

 表情一つ変えずに安藤さんはそんな事をのたまった。おいおい、案外物騒だなこの人。

「いえ、まあ、そうでしょうけどね。でも……」

そんな選択肢は俺の心に浮上しなかった。

 仮にその時に遡り、その選択肢を付け加えたとしても、俺はそれを選べない。この人は違うのだろうか。

「分かっている。そんな事は無理だよな。それは当然の事だ。……ところで、お前が言う森様だがな。恐らくは森 好之様という、筒井家のお偉いさんだ」

「森 好之、ですか」

 口に出したこの名前は聞いた事が無かったが、その後に出てきた筒井家というのは覚えがある。確か戦国大名にそんな名前の家があった筈だ。

「今は戦国時代なんですか?」

「正解だ。西暦で言えば一五六〇年だ。……なあ、一五六〇年って聞いてお前は何を連想する?」

「一五六〇年ですか。うーん、そうですね。やっぱり、桶狭間の戦いでしょう」

 一五六〇年と聞いて寧ろこの出来事を連想しない人間の方が稀だと思う。まだ中規模程度の勢力であった織田 信長が、当時抜群の勢力を誇っていた今川 義元を討ち倒した戦いであり、地名からそう呼ばれたこの出来事は後世教科書にも載る事になる。誰でも知っているであろう出来事だし、多分に漏れず俺も小学生の時分に歴史の授業でそれを知った。


「そう、桶狭間の戦い。この一五六〇年の出来事は俺達の時代からすると、過去に発生した事実だ。だがな、佐藤。この時代でのそれは恐らく、発生しない」

「はい?」

 どういう事だ? 桶狭間の戦いが起きない?

「簡単に言えば今川 義元は上洛出来るだけの勢力を持ち合わせていないし、隣接国である徳川 家康と事を構える気も今は無い。それは、起こりようが無いんだ」

「いや、ちょっと待って下さい」

 ツッコミどころが多すぎて処理が追いつかなかったので、安藤さんに待ったをかけた。それに頷く安藤さんを見た後、暫く黙考した。

「……えーっと、一つ聞きたいんですが。俺の記憶が確かなら、この時期の徳川 家康は今川 義元の部下だったし、名前は松平 元康な筈です」

「よく知っているな。その通りだが、その通りでは無い」

「って事はつまり、俺達がいた時代の過去とは勢力図から何からが違うって事ですか?」

「正解だ。いいか、よく聞け佐藤。この世界ではお前の戦国の知識は役に立つようで役に立たない。この世界を一言で言えば異常だ」

 そう前置きをし、安藤さんは話し出した。

「俺達は現代からこの時代に飛んだ。約四五〇年前にな。だが考えてもみろ。単純に過去に飛んだのなら、俺達とこの時代の人間とはそもそも会話すらままならないだろう」

 安藤さんからそれを聞いて思わずはっとした。そうだ、俺は何故普通に、標準語で彼らと会話が出来たのだろう。

「俺はこの時代に来て二十年経つが、この時代の人間の考え方は理解出来なくても、会話の内容が理解出来なかった事は一度も無い」

 そう言うと安藤さんは立ち上がり、書棚から本を取り出して俺に渡してきた。大きさはA4ぐらいだろうか、現代の紙質よりも大分に厚い。

「読んでみろ」

 安藤さんのその言葉を合図に本をめくる。

 内容としては何処かの村の出納帳兼日記の様なもので、収入、出費、収穫、誰々が成人したなどが事細かく記載されていた。簡潔で分かり易く、すらすらと読める。いや、読めてしまう。

「言っておくが、俺が書いた本じゃないぞ。正真正銘、この時代の人間が書いた本だ」

「楷書でですか? もう何でも有りですね」

 この時代にして標準語は通じ、文字も通じる。

 タイムスリップからして既に異常なのだが、行き着いた先の時代もまた異常という、最早笑うしかない状況だった。

「ま、俺達にとっては幸いな事ですね」

 という事にして思考をぶん投げた。そもそも俺が考えてどうなる事でも無い。『こういう世界』という認識でいいじゃないかと自分を納得させた。

「そう、この点は俺達にとっては幸以外の何物でも無い。だが俺達未来人が持つ最大のアドバンテージが無い事が問題だ」

「最大のアドバンテージって要は、『これから起こる事が分かっている』って事ですよね。何で……、ああ、勢力図が違うからですか」

 それに対し、安藤さんは頷く。前提条件が違えば、結果が同じに成り得ない。バタフライ効果と言うにはあまりにも違い過ぎる相違だろうが、まあそういう事だろう。言葉が通じるだけの裸一貫の身としては、先が分からないというのは確かに問題だよな。

 ここでふと、安藤さんの泰然なその姿を見て、それを抜きにしてこの人はどうやって今の地位まで上ったのだろうという考えが湧いた。……うん、後で聞いてみよう。それよりも今はこの世界の事だ。

「お前が言う様に、俺達の過去との勢力図が違う。より厳密に言えば、人の生誕の時期が違う」

「生誕の時期? えーっと?」

「実例を挙げよう。越前の国、現代で言えば石川県付近だな、この土地を治める大名は朝倉家で、当主は朝倉 宗滴。仮に俺達の時代の歴史を正史とするなら、正史では一五五〇年代頃に死んでいる筈だ。で、次に出羽の国、これも現代で言えば福島、宮城県付近だが、ここを治める大名は伊達家で、当主は伊達 政宗だ。正史では一五六七年に生まれている」

「はあ、成程」

 つまり安藤さんの話を要約すると、死んでいる筈の人間がまだ生きていて、生まれていない筈の人間が既に生まれているという事だな。うん、滅茶苦茶だ。少し前に安藤さんが言った、俺の戦国の知識は役に立つようで役に立たないという意味が今理解出来た。

「大まかに異常と言えるのはこれらの点だな。まあ細かく見ればもっとあるが、それは追々話そう。勿論変わらないものもある。例えば米本位制とかな」

 ああ、そうか。俺達の歴史と変わらない事による現代人との認識のズレもあるんだよな。いや、本来その相違を学ぶ事こそがこの世界で生きていく術になる訳で……。マズイな、大分に厄介だ。

「なあ、佐藤。ここで提案なんだが、お前ここでしばらく過ごさないか? その間に色々教えてやろう。無論、この世界の事をな」

 頭を悩まし始めた矢先、安藤さんが無駄にイイ声を出して俺にそんな事を言ってきた。

「いいんですか?」

 このまま戦国サバイバルを始めるにはキツイと思っていたので、俺としては非常にありがたい提案なのだが、森 好之KO事件による罪状は重いだろう。見つかったら安藤さんも只では済まない筈だ。

「構わん。ああ、あとお前が持ってる甲冑と馬だが、これもどうにかしてやろう。何、悪い様にはしないさ」

 正直、両方とも処分に困っていたのでこれも非常に助かる。助かるのだが、どうにも解せない。さっきまで見ず知らずの人間に普通ここまでするか?

「あの、安藤さん。今日会った俺に、何故そこまでしてくれるんですか?」

 俺を保護するにしても、見返りとして差し出せるものが俺には無い。損得勘定としては間違いなく損だ。それは安藤さんにも分かっている筈。それなのに、何故だ。

 俺の純粋な疑問はしかし、安藤さんには愚問だったらしい。そんな事か、と言って答えた。

「同じ世界の人間と二十年振りに出会ったこの嬉しさが、まだお前には分からんだろう。久々に故郷を思い出す、この嬉しさが……」

 そして……、と安藤さんは何かを言おうとしていたが、首を振った。何だろうか。

「なあ佐藤。俺はな、この世界に来た時、これは夢だと思った。馬鹿馬鹿しい夢、そう思いながら早く醒めろと願う日々を過ごした。でもな、飢えと異なった倫理観を身に纏いながら過ごしていく内に、自分を誤魔化す事が出来なくなっていったんだ」

 そう言う安藤さんの言葉が胸に染み入る。その一々が他人事では無かった。

「現実を認識した時、俺は原因を探った。或いは心の逃避だろうが、とにかく探し求めた。文書、噂、人、土地、歴史。あらゆるものにアンテナを張って、探り続けた。ああ、人に聞いて回っていた時は狂人呼ばわりされた事もあったな」

 安藤さんは渋い顔で一度嘆息した。その日々はどれ程の苦労の連続だったのかは分からないが、何れにせよ元の世界に戻る術を探し続けた安藤さんはこの場にいる。その事実が俺の心臓の鼓動をいくらか早めた。

「人間は一人じゃ生きていけない。そのくせ、本質的に排他的だ。この時代の人間に受け入れられるには、それなりの訓練が必要になる。佐藤、お前は今は落ち着いているが、その内に信じられない程の寂寥が襲ってくるだろう。或いは、発狂するかもしれない。その時には、隣にいてくれる人が必要だ」

「隣にいてくれる人……」

「ああ」

 安藤さんのその短い一言に続きは無かった。

 考える。直接の答えは得なかったが、安藤さんが言う寂寥とはつまり望郷だろう。元の世界にいる家族や友人、大切な人を想い、会えないと分かった時にそれを感じたに違いない。そしてその一番のウエイトを占めるのはやはり、家族だろう。

 家族。一瞬、既に親と死別した俺には、安藤さんの言う寂寥は言われるほど感じないのではないかと思ったが、やはりそれは分からない。とにかく、安藤さんは俺に故郷の息吹を感じるから居て欲しいと思っている。俺も俺で、同じ境遇の先輩に聞きたい事が山ほどある。

だったら、うん。厄介になろう。それが多分、お互いにとって一番良い。

「安藤さん」

「ん?」

「これから暫くの間、よろしくお願いします」

 俺は安藤さんに大きく頭を下げた。

「おう」

 そう言い、安藤さんはどこか人懐っこい笑顔を浮かべた。

「よし。そうと決まれば、まずは皆にお前を紹介しないとな」

 ポンッと足を叩いた後、安藤さんは上機嫌でそんな事を言ってきた。

「皆って、店の従業員ですか?」

「それもあるが、俺の妻と子供にもな」

「え?」

 その言葉を聞いて、思わず俺は口を半開きにしたまま固まってしまった。いや、妻って、え?

「ご結婚されていたんですか?」

「ああ、十年ほど前にな」

「……えっと。そうなると、もし元の世界に戻る方法が見つかった時はどうするんですか?」

「ん? ああ、さっき言った、元の世界に戻る術を探しているって話か」

 安藤さんに頷く。元の世界に戻る術を探し続けるとはつまり、この世界に大切なものを作らない事でもあると思っていたのだが、違うのだろうか。

「それなんだがな、結婚を機に探すのを止めたんだ」

「え? って事はつまり、この先帰る方法が見つかったとしても、帰らないんですか?」

「ああ」

 安藤さんは何ら迷いも無く頷いた。恐らく、何度も自身に問いかけては出した答えなのだろう。揺るぎないものを感じた。

「でもそうなると俺がここにいるのって、逆に辛くなりませんか?」

 僅かにせよ俺に故郷を感じるというのは、望郷の念を強くする事に繋がる気がしてならなかった。だがそれを聞いた安藤さんは、静かに首を振った。

「確かに、俺の故郷は元の世界にある。それは生涯変える事が出来ない事実だし、時折思い馳せる事もある。或いはお前がいる事によってその頻度も高くなるだろう……」

 安藤さんは僅かに遠い目をした。その脳裏と目の先には、元の世界が映っているに違いない。

「だが、俺の居場所はここにある。十年も前に、そう決めた」

 瞬きを一つ。それだけで時代を跨いでいた目は、この世界へと戻って来ていた。

「決断すれば、腹が据わる。俺はそれに十年かかったが、何れお前にもその時が来る。その時になれば、自ずと俺の気持ちが分かる様になるさ」

 予言か予測か、経験則か。安藤さんはそう断言した。

「そう、ですかね」

 何とも言えず、曖昧にそう答える以外に無かった。今の俺にはよく分からない。

「そうさ。……さて、じゃあ早速紹介しに行くぞ。着いて来い」

「あ、はい。分かりました」

 俺は立ち上がり、すたすたと歩いて行く安藤さんを追った。

 かくして一五六〇年、某日。理由は不明ながらも戦国時代に飛ばされた俺は、その先輩とも言える安藤さんの家で居候生活をする事になった。

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