死神の処刑
耳に重い金属音を引き摺りながら、男は処刑台へ続く通路を歩いていた。歩を進める度に足枷と手枷が擦れ合う厭な音が、冷たい部屋に僅かに反響する。
そして、そのザリザリとした耳障りな音を追い立てるように、甲高いヒールの音が規則的なリズムを刻む。小さく身を縮めた彼の後ろには、口元に嘲笑とも取れるような笑みを浮かべた長身の女が二人歩いていた。二人は恐ろしいほどの美貌を持ち合わせており、その艶めかしい肢体の魅力を余すことなく強調した、揃いの制服を着ていた。
「赦してくれ」
男は掠れた声で小さく呟いた。男の顔は本来の年齢が伺えないほどにやつれ、生気の抜けたような青白い色をしていた。男性としては間違い無く平均未満の身長の彼は、高い視線から彼を見下ろしている美女二人の前で、まるで小人のように惰弱な姿をしていた。
「赦してくれ?」
男の言葉を、彼の右後ろを歩く女が複唱した。明らかな嘲りを含んだその言葉の後、彼女は鼻を鳴らして笑った。
「ありきたりな台詞を言ってあげる。〝きっと彼女もそう思ったわ〟」
「そう思う必要も無いのにね」
左後ろを歩く女がそう付け加えて、小さく溜め息をついた。
「死にたくない」
「……それもありきたりな台詞ね」
吐き捨てた二人の足音が、男を処刑台へと追い立てる。
遡ること、いくばくか前。
男は薄暗い部屋で目を覚ました。その時既に手足は枷で繋がれており、重い鎖がジャラジャラと不快な音を立てていた。
不自由な手足を動かして身を起こしてみると、灰色のコンクリートで固めた壁が全面を覆っていた。正面の壁にだけは、恐らく鉄製と思われる真っ黒な扉が埋もれるように嵌め込まれていて、高い位置にある小窓から、アイラインを引いた冷やかな双眸がこちらを覗いている。
「目が覚めた?」
尋ねられたその声に、男はビクリと身を竦ませた。押し潰されそうなくらい無機質な閉塞感の中で、はらわたを引き摺り出されるような気分だった。
「こ、ここは……?」
男の声は、不安の為かひどくうわずっていた。骨ばった頬に落ち窪んで見える眼が、挙動不審に辺りを見回している。
「貴方は死んだのよ。それで、これから罪を償うの」
女は言った。男は困惑した様子で、鉄扉の小窓の向こうにいる女を見つめた。小窓から見える限りでも、女の顔は場違いなくらいに美しく整っているのがわかった。ただ、彼女の美貌に喉を鳴らす余裕すら、男には無いようだった。
「死んだ? は……ふざけるな! おまえ一体誰なんだ!? 俺をこんなところに閉じ込めやがって!」
張りつめた糸が切れたような怒鳴り声を上げた男の手元で、鎖が大きな音を立てた。女は無表情で、秀麗な眉を片方だけ上げた。
「私はリサ。カンザキだっけ? うるさいから少し黙っててくれる?」
「どうしておまえが俺を知ってるんだ!? いいから出せ!」
「焦らなくても、もう少ししたら時間だから」
カンザキと呼ばれた男はまだ何か努鳴っているようだったが、リサは構わず、後ろから聞こえてきたヒールの音に振り返った。小窓から彼女の姿が消えたので、男は歯をギリギリと軋ませながら扉に近付いた。だが男の背丈では小窓から外を窺うことはできなかった。
薄闇の向こうから現れたもう一人の美女に、リサはブロンドの長い髪をかき上げながら笑った。
「マナ、遅いわよ」
「あんたが早いのよ。彼の資料、ちゃんと読んだの?」
「さらっとね。クズの経歴になんて興味無いし」
肩を竦めたリサに、マナは僅かに眉を寄せた。
「受刑者についてある程度の情報を得ることも、一応仕事よ?」
「マナは真面目ね。ある程度の情報なら、読まなくても知ってる。それで間違い無く、あいつが悔い改めたりすることなんて有り得ない。でしょう?」
「まぁね」
マナは頷き、鉄扉の小窓に視線を向けた。
「それで? もう説明済み?」
「まだ。だってそれは一緒に、ね?」
ニヤッと嗜虐的に口の端を吊り上げたリサに、マナは苦笑を浮かべる。
「その顔、リサの悪い癖ね。だからいつも彼氏が逃げていくのよ」
「しょっちゅう男に騙されてるマナに言われたくないわ」
「そんなことない。今度は良い人よ」
言いながら、マナは鉄扉に近付いた。小窓から中を覗くと、カンザキがギラギラとした眼でこちらを睨んでいた。マナは長い溜め息のようなものを吐くと、一度目を閉じ、それから事務的な口調で言った。
「ジン・カンザキ。貴方は頭が悪そうだから、簡単に言うわね。貴方は自ら己の生命を放棄した罪のために、これから絞首刑に処せられます。遺書の――」
「おいっ! さっきから何なんだ! 自ら生命を放棄した? 罪だの絞首刑だの、おまえら頭イカれてんじゃないか!?」
「あら、そこから?」
マナは意外そうに呟くと、リサを振り返った。リサはニヤニヤと笑っている。マナはカンザキに向き直ると、再び口を開いた。
「貴方、轢死したのよ。自分で車の前に飛び出して」
「はぁ?」
カンザキは不可解そうに眉を寄せたが、しばらくの沈黙の後、ハッとしたように目を見開いた。マナは頷く。
「思い至ったみたいね。貴方はギャンブルの為に慰謝料と保険金狙いの当たり屋行為に及んで、そのまま轢かれて死んだの。当局はこれを自殺とみなしたわ」
「自殺っ!? 自殺って……ふざけるな! 死ぬ気なんてあるわけないだろう! いいからさっさとこれを外せ!」
カンザキはこめかみに青筋を浮かべ、唾を飛ばしながら叫んだ。彼の手と足で、鎖がガシャガシャと音を立てる。
「大体、死んだのに絞首刑なんておかしいだろう! いい加減なこと言ってないでここから出せ!」
「ここでは魂の処刑が行われているの。自殺の罪は重いけど、その状況や環境、本人の精神状態によっては情状酌量の余地が十分にある。でも貴方の場合は、悔悟による恩赦請求すら、問答無用で棄却されるでしょうね」
「魂の処刑? おまえら、本当に頭おかしいんじゃないか?」
するとリサが小さく噴き出した。
「ぷふっ、やっぱりこうなるよね。かわいそー」
「リサ、心にも無いことを言わないの」
「何がおかしいんだ!」
リサは薄く笑いを浮かべ、小窓からカンザキを覗き込んだ。
「轢かれた憶えはあるんでしょ? 衝撃を感じて、身体がバラバラになるような激痛と同時に、空に投げ出された」
「……っ!」
カンザキは顔を歪め、自分の身体を見下ろした。血色の悪い唇がわなわなと震えている。その表情は、リサの言葉が確かに自分の身に起きたことだと気付いているようだった。
「ここは……地獄なのか?」
「心配しないで、貴方達の考える地獄よりはずっと良い場所よ。煮え滾る血の池でじわじわと嬲られることもないし。……一瞬で終わるわ」
マナは言って、ニッコリと笑った。
「あともうしばらくすれば、貴方の番が来るわ」
「もうしばらくって……!」
カンザキは目を見開き、息を呑んだ。もしこれが夢で無いのなら、こんなに非現実的なことは有り得ない。その上でここが現実で無いのなら、やはり自分は死んだということだ。
「待て! 情状酌量だの恩赦請求だのがあるんなら、あれだろう! いくら死後の世界と言ったって、裁判のようなものがあるはずだろう! 車に轢かれたくらいで、何でいきなり絞首刑なんだ!? 大体、人を殺すようなスピードで走ってる方が悪いだろう! 俺は被害者だ!」
「あら、意外と冷静ね」
リサは笑うと、唇に人差し指を当てて首を傾げた。
「確かに裁判もあるんだけど、何て言うの? 貴方達の言う閻魔様? 一人しかいないのよね。それで、毎日いっぱい人が死ぬから、大忙しなワケ。だからよほどのケースじゃない限り、実際の裁判にはならないの」
「その代わりに、人間一人ずつに担当の死神が付いてるの。対象者の人と成りを随時観察して、死後の処分を決めるのね。貴方の場合は絞首刑に決まったわ」
リサの言葉にマナが続けると、カンザキはブルブルと身を震わせながら叫んだ。
「決まったわ……って、俺は被害者だって言ってるだろう!」
「そんなの知らないわよ。私達は死神じゃないから、決定権は無いもの」
「自分で轢かれに行ったんだから、完全なる被害者でもないでしょう。今回の死因については判例がたくさんあるから、『死のうとは思っていなかった』っていう言い訳は却下。命を軽んじる行為に悪意を持って踏み切ったことに代わりは無い」
マナはきっぱりと言い切って、穏やかな微笑みを浮かべた。
「人間の性質の悪いところはね、死んでもまた人間になれると思っていることよ。やり直せるってね。……まぁ、貴方がそんなことを考えていたとは思わないけど」
その頬笑みの奥で、マナの双眸は冷たい色を浮かべていた。そのゾッとするような眼光に気付いたのか、カンザキは小さく息を呑んだ。
「絞首刑になったら、どうなるんだ……?」
「大丈夫。貴方が苦しいのは刑が執行される瞬間だけ。その先はもう貴方の意識は無くなるから、気にする必要は無いわ」
「はっ。答えられないなら、やっぱりこれは――」
「――ジン・カンザキ」
吐き捨てるように言いかけたカンザキを遮って、リサが口を開いた。
「死んだ後に絞首刑で〝死に直す〟なんてのは、刑罰としてはなかなか重い方なのよ。どうしてそうなったかわかる? ただの自殺なら、こうはならないの。それこそ、情状酌量や恩赦請求があるから」
そう言ったリサの整った唇が、三日月のような弧を描いた。
「この人殺し」
小窓からこちらを見つめている、氷のような眼差し。カンザキは心臓が異常なほどの速度で脈打ち、一方で血管が痛い程に細く締め付けられ、手足が冷たくなっていくのを感じていた。鋭い棘のように突き刺さる視線から逃げるように、枷で繋がれた己の両手へ視線を落とした。
この胸の拍動がある以上、これはただの夢か、性質の悪い冗談だ。
そう思ってみても、自分が轢死した瞬間の光景は生々しく脳裏に蘇る。鉄扉の向こうにいる非現実的な二人の美女の存在も、幻の類とは思えなかった。
それともおかしくなったのだろうか。
冷たくなった手に、じっとりとした嫌な汗が滲んでいる。
もし自分に罰が与えられるとしたら、思い当たる節がないわけではなかった。いや、しかし――
「……俺は悪くない」
カンザキは掠れた声で呟いた後、勢い良く顔を上げた。大きく見開いた目を血走らせ、もう一度繰り返した。
「俺は悪くない!」
劈くように放たれた否定の言葉は、周囲の壁に反響して消えていった。二人の美女はスッと目を細め、口を閉ざした。その沈黙の中で、カンザキは自分でも気付かぬうちに肩を上下させ、荒い呼吸を繰り返していた。
「ねぇ」
沈黙を破ったのは、リサの冷たい声だった。それだけで、カンザキの顔にビクリと動揺が浮かぶ。
「私、マナと違ってあんたの資料は読んでないけど、あんたが何をしたかは知ってるの。どうしてかわかる?」
リサの細い指が小窓にかかり、彼女はじっとカンザキを見つめた。黒々とした鉄扉の上で、紅いネイルを施した爪がギチリと軋んだ音を立てる。
「ひっ……」
咄嗟にカンザキは引き攣った声を漏らしていた。彼女には、カンザキの見知った面影があるような気がした。
「馬鹿な……まさか」
カンザキは言い聞かせるように呟いたが、視線をリサから外すことができなかった。そんなカンザキに、淡々とした口調でマナが言った。
「リョウ・コイケ。起業に成功し多額の資産を得た。元はカンザキ姓で父親の連れ子。入り婿としてハルミ・コイケと結婚。二年後に癌で死亡。――リョウの癌が発覚した当時、ハルミは七カ月の双子を妊娠していた」
「兄が癌で死ぬ前に子どもが産まれたら、あんたに遺産が入らなくなる。例えハルミが二人の子どもを抱えても、十分生活できるほどの兄の遺産が」
ギチギチと、小窓にかかったリサの爪が鉄の扉を引っ掻いた。カンザキは目を見開いたまま、その場にがくりと膝を折った。
「ねぇ、貴方……事故に見せかけて階段から突き落としたわよね?」
言い含めるように、しかし冷やかな声でゆっくりとマナが言った。
「〝お願い、やめて、許して。お金ならあげるから〟」
「階段の上で手すりにしがみついて、あんたに何度も言っていたはずよ。それをあんたが蹴り落として、お母さんは頭を打って死んじゃったの。私達を庇おうとしたばっかりに」
二人の目が、じっとカンザキを覗き込む。
「私達、あの時生まれるはずだった双子よ」
「貴方が来るのを、ずっと待ってたの」
カンザキの喉から、乾いた悲鳴が上がった。
甲高いヒールの音が二つ重なって、一定のリズムを刻む。
追い立てられるように、カンザキは歩を進める。
「嫌だ……嫌だ! あれはっ、あれは俺の所為じゃない!」
「いいから、黙って歩きなさい」
立ち止まろうとするカンザキの意思とは裏腹に、枷に繋がれた足は引き摺られるように前進する。抵抗しようと踏み締めた足裏が、ざらざらとした石の床に擦れて血が滲む。それを見て、リサがおかしそうに笑った。
「抗っても無駄。ここではあんたの思い通りになることなんて、一つも無いの」
長い廊下の突き当たりには真っ黒な扉が陰惨たる雰囲気を纏って鎮座していた。それを凝視しながら、カンザキは小刻みに首を振る。
「あれは母親に言われたんだ。子どもを殺せって。それに結局、遺書があったから俺は遺産なんて――」
「ちゃっかり遺留分は貰ったでしょう? それでもかなりの額になったはずよ」
「もしも生きて死刑囚になっていたら、あんたはいつ死ぬのかわからない恐怖と不安を味わうところだった。それを今すぐ処刑してあげるんだから優しいでしょう? 死んだ実感もあまり無かっただろうし、今度こそ死と向き合いながら死ねるわよ」
遂に扉は、カンザキの目の前に立ち塞がった。リサがその扉を開くと、真っ白な部屋の奥に佇んでいる絞首台の上に、縄がぶら下がっているのが見えた。
「赦してくれ……」
ガクリとカンザキの膝から力が抜け、彼はその場に座り込んだ。そんなカンザキを、マナはどこか穏やかな表情で見下ろす。
「良かった。貴方がそんな風に赦しを請うのなら、自分が何をしたかは理解しているのね。そしてその罪が清算されることを心の底で恐れ続けていた。……――大丈夫、心配しないで。歩けないなら運んであげるから」
マナの腕が小柄なカンザキの身体を抱え上げ、再びヒールの音が一定のリズムを刻み始める。それが絞首台の階段を上り始めると、カンザキは少しずつ高くなっていく視界に身を震わせた。
「もっと暴れるかと思ってたけど、そうでもないのね」
リサはつまらなそうにそう言った後、ニヤッと口の端を上げた。
「そんなに怖かったんだ? 裁きを畏れるなら、もう少しマシな生き方をすればよかったのに」
階段を上り切ると、マナは首括りの縄の下で足を止めた。カンザキは輪になっている縄の先端を見つめていた目を不安気に揺らし、自分を抱いているマナを見上げた。
「金が必要だったんだ、借金があって。だから――」
「だからお母さんと私達を殺したのね」
静かにそう言ったマナに、カンザキは息を呑んだ。彼女の唇に張り付いた三日月のような微笑に言い知れぬ恐怖を覚え、カンザキの視線はぐらぐらと揺れながら縄の先端へ移動した。じわりと滲んだ視界の向こうで、リサの手が首括りの輪を掴んだ。
「もし貴方が贖罪を求めているのなら、楽になれるわ」
「嫌だ……」
「ほら、おとなしくして」
視界を覆う袋が被せられることも無く、縄は直接カンザキの首にかけられた。カンザキは何度か身を捩ろうとしたが、すらりとしたマナの腕の中に抱かれて、そう大した抵抗はできなかった。
「死にたくない」
マナの足元の床には切れ目が入っており、ちょうど縄の下にあたる部分の床が抜けるような仕掛けになっていた。マナはゆっくりとカンザキをその上におろすと、ニッコリと笑みを浮かべた。
「それじゃぁ、遺書を回収するわね」
「遺書?」
困惑したように眉を寄せたカンザキの額に、マナが紅いネイルを施した指先を当てる。すると鈍く光る黒い文字が、ゆっくりと離れていく指に引き摺られるように、額から連なり出てきた。
「まぁ、遺書といっても誰かの為のものでもないし、ここではただの添付書類の扱いだけどね。貴方がどんな思いを抱えていて最期はどんな人間だったのかを、記録に残しておく必要があるのよ。ここでもし刑に相応しくないような遺書が綴られるようなら、担当の死神の判断が本当に正しかったのかを審議しないといけないしね。そういうところは、貴方の知る世界とはだいぶ違うかもね。最も――」
マナは言葉を切ると、白い壁を背景にして中空に綴られた文字に嘲笑を浮かべた。
「あの内容なら、死神の判断に相違無さそうね。さっきまで貴方が言い訳していた内容と同じだもの」
「苦しんで苦しんで苦しみ抜いて、その中で少しでも罪を認めるなら――まぁ、精々後悔することね」
黒い無線のような物を手にしているリサにそう言われて、カンザキはハッとしたように縄を見上げた。首に縄をかけられた状態で勢い良く落下すれば、かなりの確率で衝撃による頸椎骨折が起きる。そうなれば落ちた瞬間に意識が途切れるに違いない。だが、この縄はどうだ。座り込んでしまう程度なら床までの長さに余裕があるが、それ以上は無い。つまり床が抜ければ、文字通りの絞首によって処刑されることになる。
「待ってくれ! 嘘だっ……こんな死に方!」
薄笑いを浮かべて、リサとマナはカンザキの傍から離れた。カンザキは叫びながら鎖を引き千切らんばかりの勢いで暴れたが、当然ながら縄も枷もびくともしない。黒い無線のようなものがリサの口元に近付き、彼女の唇が何かを伝えた。何を言っているのかは、最早カンザキの耳には入らなかった。
「嫌だ! 赦し――」
ガコンッという大きな音と同時に、カンザキの姿が二人の視界から消えた。やはりすぐには死ねなかったようで、蛙が潰れたような悲鳴の後、手当たり次第に壁を蹴飛ばすような音が聞こえてきた。
二人の美女は甲高いヒールの音を響かせながら、処刑台に背を向けた。
「ねぇマナ、あいつ本気で信じたのかな?」
「さぁ? どうでもいいわ」
抑揚のない声でそう言ったマナは、ただ真っ直ぐに部屋の出口へ視線を向けていた。背後から聞こえる鈍い音に、二人は無表情のまま振り返りもしない。
「ねぇ、そういえば」
すると、マナが不意にころりと表情を変え、リサに尋ねた。
「今回の特別手当、何に使う?」
「あー。……彼氏と温泉旅行でもしようかなー。カニ食べたい、カニ」
「いいな。私もカニ食べたーい」
「新しい彼氏と行けばいいじゃん」
「カニとか無理! 絶対痛いもん! 絞首刑より無理!」
「は? え? あ……あぁ、確かに綺麗に食べるの難しいよね、カニ」
「食べるのはいいけど……もうっ、恥ずかしいから言わせないで!」
「……。よくわかんないけど、その彼氏は別れた方がいい気がする」
「変態扱いしないでよ!」
「変態って……カニで何する気なのよ」
二人の足音と呆れたリサの声が白い部屋から去ると、ゴンという鈍い音を最後に、辺りは静寂に満たされた。
=終=




