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第四幕 剣聖

  第四幕   剣聖



 明くる日、被害を受けた人々を弔う埋葬式が行われた。参列者の中にはヘクターの姿もあった。神官による花向けの言葉の後、遺族達は涙ながらに死んでいった者達との最後の別れを惜しんだ。

 ヘクターは一人一人に花を贈り、最後にダリルの遺体を見送る。

「覚えてるか? ケイディの港町で買ったバングルだ。お前はこれ見るたびに譲って欲しいって俺にせがんだよな。今更だけど、受け取ってくれ」

ヘクターはもう決して返事をしない親友の腕に銀製のバングルをはめる。そして彼の首に輝いているロザリオを外し、

「何にもなくなっちまうのも寂しいからな」

そう言って自身の首に下げ、強く握り締めた。

「ダリル、俺決めたよ。もう立ち止まらない。前に進むんだ」

 ヘクターの瞳からは以前の迷いは消えていた。やがてダリルの棺は運ばれていき、それを見送った後、

「見守っていてくれ」

呟いて踵を返したヘクターにレーヴァが語りかける。

「なぜ、人間は死をそんなに恐れるのだ?」

「レーヴァは死ぬのは怖くないのか?」

 ヘクターが聞き返すと、レーヴァは神剣の中から静かに答える。

「怖いと感じた事は無いな。ドラゴンは死を恐れない。長き寿命を終えたドラゴンの魂は転生し、再び目覚めるまで長い眠りにつく。そして時が来れば再びドラゴンとして甦る。ゆえに我々は死を恐れるという概念は持ち合わせていないのだ」

ヘクターはなるほど、とうなずく。

「じゃあ愛する者や大切な者を失う事の辛さも感じないのか?」

「ドラゴンは誰かを愛する事など無い」

「そう、だよな」

 ヘクターは「ははっ」と吹き出した。しかしそのすぐ後のレーヴァの言葉にヘクターは思わず立ち止まった。

「だが、大切な者と離れ離れになる気持ちは……理解できる」

「レーヴァにも大切な者が?」

 しばしの間レーヴァは押し黙ったが、

「私は大切な相手がいるわけではない。失ったという記憶も持ってはいない。だが……何故かは分からんがその気持ちは分かる。そう、痛い程にな」

 自分でもうまく表現できないといった様子で言う。ヘクターはこの時、レーヴァもまた重く辛い過去を背負っているのだろうかと感じ、再び歩みを進めた。


 その後ヘクターは謁見の間に向かい、皇帝とヴァングリフに宝玉を探す旅に出る事を伝えた。皇帝もヴァングリフも快く賛同し、どこに向かうのかとヘクターに尋ねた。

「まずはレーヴァテインの修理の為に『剣聖オルザ』を捜しにクジェート山脈に向かいます」

「『剣聖オルザ』か、三百年前の人間が不死人となって存在しているとは……だがもうこれしきの事では驚く事は出来ないな」

ヴァングリフは苦笑いを浮かべる。

「私も同感です。しかし今はレーヴァの言葉を信じて行動するのみです」

「必ず戻って来るのだぞ、帝国にとってもお主の不在はかなりの痛手となるのでな」

皇帝もヘクターの身を案じているようだ。

「それにクジェート山脈はタチの悪い山賊共の巣窟だ。くれぐれも用心しろよ」

「心得ています。しかし心配には及びません。必ず宝玉を手に入れ……」

 その時、謁見の間の扉が開き一人の騎士が現れた。

「失礼します」

「おお、来たか、ザックよ」

 ザックと呼ばれた騎士は入り口で一礼し、三人の元へと歩みを進める。茶色い髪を短く整え、ヘクターと同等の背丈をした身体に騎士団の鎧を纏ったザックは、鋭い眼光をヘクターに向けた後に彼の横に立ち止まった。

「ヘクターよ、ザックと第三小隊をお主に同行させようと思ってな、その為にザックを呼んだのだ」

「陛下、しかし…」

 その言葉に驚いたヘクターを遮り、ザックが口を開いた。

「お言葉ですが陛下、その任務はお受けしかねます」

「何? どういうことだ?」

 皇帝は聞き返す。

「理由は簡単ですよ。部下を見殺しにして自分だけのうのうと逃げ帰って来るような臆病者と共に戦場に向かうなど私はごめんです。部下にも死にに行けと言うようなものですしね」

「ザック、貴様……」

 ふてぶてしい態度をとるザックに対し、ヴァングリフが怒りをあらわにする。皇帝も言葉を失いって困り果てた表情を浮かべた。

「陛下、私もザックと同じ意見です」

 ヘクターの言葉に一同があっけに取られる。

「ヘクター、しかしそれでは……」

 皇帝はたじろぎ、ザックは何も言わずにヘクターを睨みつけている。

「私はレーヴァと二人で行きます。ザックの言う通りまた誰かを巻き込んでしまうかもしれない。私と一緒では彼にも彼の部下にも危険が及びます。それに、クルニールの脅威が去ったわけではありません。いつ襲撃にあっても対応できるように今は戦力を温存しておくべきかと」

 ヘクターの言葉に皇帝は「しかしな……」と考え込む。その様子を見たヴァングリフは笑みを浮かべてうなずき、

「陛下、ヘクターの言う通りです。それに宝玉に関しては何も有力な情報がないのも事実です。下手に動くよりも、ここはヘクターに任せましょう」

皇帝の背中を押す。それでも皇帝はなおも渋ったままでいる。どうやらヘクターを一人で行かせることに多少なりとも不安が残るようだ。そこに割り込むようにザックがヘクターに向かって、

「面白い、そこまで言うのなら一人でやり遂げる自信があるんだろうな、わかっているのか? 貴様がしくじればそれは帝国にとっても多大な被害をこうむる事になるんだぞ」

と威圧的な意見を述べてヘクターを睨みつける。しかしそんなザックに対して、ヘクターは極めて冷静に答えた。

「分かっているさ、ありがとうザック」

全く動じる事の無いヘクターの返答に「ちっ」と舌打ちをしてザックはそっぽを向く。

「うむ、そこまで言うのなら仕方ない。ヘクターに任せるとしよう。ザック、すまんが第三小隊は引き続き情報の収集と周辺の警備に当たってくれ」

「……はい」

 ザックは納得のいかない様子で答えた。

「陛下、勝手を言ってしまい申し訳ありません」

 ヘクターが頭を下げる。

「うむ、お主を信じておるぞ」

「ありがとうございます」

 そうしてヘクターは部屋を後にする。

「ザック、わざわざ呼び立ててすまなかった。お主も下がって良いぞ」

「はい、失礼します」

 一礼した後、ザックは振り返って歩き出す。ザックが部屋を出たのを確認した後に皇帝はヴァングリフに問いかけた。

「ヴァングリフよ、なぜザックはあれほどまでヘクターを敵視するのだ?」

 ヴァングリフは頭をボリボリとかき、顔をしかめながら答える。

「二年前、小隊を編成する際に第二小隊の隊長にはザックの名が上がっていました。しかし私の勧めもあり、実力で勝るヘクターに急遽白羽の矢が立ったのです。きっとその事を根に持っているのでしょう。ザックは騎士としては優れた面を見せるのですが少々感情的な所が目立つ男です」

「ううむ……」

 皇帝は腕を組んで溜息を漏らした。

 部屋を出てから立ち止まり、二人の話を聞いていたザックは口元にギリッと音を立てて、

「ヘクターめ……」

 と、小さく呟いた。


 謁見の間を出たヘクターはその足でソフィアの眠る部屋へと向かった。部屋の扉をゆっくりと開くと、先日と変わらず静かに眠り続けるソフィアの姿があった。

「ソフィア、さっきダリルにさよならを言ってきたよ」

 ヘクターは何も言わないソフィアの手を握る。

「あいつ、きっと見守ってくれるよな。俺の事も君の事も」

 ヘクターは旅立つのをやめてソフィアの側に残ろうかと何度も思ったが、そのつど思いとどまり、そうする事はしなかった。

「側にいてやれなくてすまない。でも、俺は行かないと」

 ソフィアの指先から二の腕の方にまで広がっている黒いあざを見ながら、ヘクターは胸中を覆いつくす程の黒騎士への怒りをたぎらせる。

「必ず救い出すからな。待っていてくれ、ソフィア」

 そうしてヘクターはソフィアの元を後にした。


 夕刻、準備を整えて城を後にするヘクターに声をかけたのはヴァングリフだった。城門を抜ける直前の所で突然呼び止められ、ヘクターは危うく馬から振り落とされそうになった。

「将軍、どうしたんですかそんなに急いで」

「どうしたじゃないだろ、なにもこんな夕暮れに城を出なくてもいいだろう」

 ヴァングリフは息を荒くして答える。そして「明日にすればいいだろうが」と続けた。

「すみません、でもやっぱり今すぐでないと駄目なんです。時間を置くと、また臆病風に吹かれそうで」

 ヘクターはそっとレーヴァテインに触れる。その様子を見てヴァングリフはヘクターの心中を察した。

「そうか、なら止めはしない。帝国の事は俺に任せろ。お前はお前の役目に集中するんだ。いいな?」

「はい」

 ヘクターはゆっくりと馬を進め、橋を渡り始める。

 やがて橋の中央辺りに差し掛かった時、ヴァングリフがもう一度ヘクターを呼び止める。ヘクターが振り向くと、いつの間にか第一大隊の兵士達がヴァングリフと共にヘクターを見送る為に集まって来ていた。

「みんなお前の帰りを待ってるんだ。死んだりなんかするんじゃないぞ。必ず帰って来い」

 ヴァングリフの言葉に続き、兵士達は口々にヘクターに声をかける。ヘクターは一度、手を振り上げるとすぐに前方に向き直る。

「レーヴァ」

 視線を前にむけたままヘクターがレーヴァを呼ぶ。「どうした?」と答えるレーヴァに対し、

「必ず帰って来よう」

 力強く言った。

「そうだな……」

 レーヴァは静かに答える。そうして二人は帝国を後にしたのだった。




 ダルゼウス帝国から南に進むこと数日間、野を越え、河を渡り、険しい森を抜けた先にその山脈は姿を現した。岩肌が露出し、辺りは霧に包まれ、今にも魔物が襲いかかってきそうな雰囲気を漂わせるその山脈は『クジェート』と呼ばれていた。

「レーヴァ、ここがクジェート山脈だな?」

「ああ、どこかに地底へと続く洞穴がある。それを探すのだ」

 霧がたちこめる道なき道を進む。

―――将軍が言っていた山賊とやらはこんなところにアジトを構えているのだろうか? だとしたらそうとう肝が座った連中なんだな。

などと考えながらヘクターは馬を進めた。

 しばらく進むと民家にしては少し大きめの建物が視界に入り、ヘクターは立ち止まった。

「レーヴァ、あれは一体……」

「こんな所に住もうという人間もいるのだな。しかし、あそこからは人間の生気は感じない。変わりに私が感じるのは…」

「魔物か?」

 ヘクターの鋭い質問にレーヴァは「かなり強力な魔力を持った……な」と付け加える。

「とにかく、進むしかないな」

 ヘクターは霧の中に静かにたたずんでいる建物の扉をグッと押し開ける。そして中に入った途端、ヘクターは顔を覆ってこみ上げる吐き気を必死にこらえる。

「なんだ、これは」

 かつてはリビングとして山賊達の憩いの場だったであろう室内は、真っ赤な血で満たされており、そこら中に人間の手足が散乱していた。相当悲惨な死に方をしたのだろう、ヘクターの足元に転がる生首は今でも断末魔の悲鳴が聞こえてきそうな程、恐怖に満ちた形相をしている。

「皆殺しか……」

 レーヴァが冷静に口を開いた。しかし、ヘクターは室内を見渡した後に首をかしげながら、レーヴァに問う。

「レーヴァ、確かにこの場所からは魔力の残り香がするんだよな?」

「ああ、感じる。どうかしたのか?」

 ヘクターはしゃがみ込んで異臭を放つ肉片を確認した後、レーヴァに答えた。

「この山賊達をやったのは魔物じゃない、人間だ。こいつらは鋭い刃物で切り刻まれている」

「なに? ではこの魔力は……」

 レーヴァが珍しく驚きの声を漏らした。

「魔力を使いこなす人間、まさかあの騎士か?」

 ヘクターが言った後、二人は互いに口をつぐむ。

 その後、先に口を開いたのはヘクターだった。

「室内の様子からすると、こいつらが殺されてからそう時間は経っていないみたいだ。敵はまだ近くにいる……」

「そのようだな。残されている魔力もそう薄れてはいない。急いだ方がいいようだ」

 二人は建物を後にして先を急いだ。

 

 更に進むと螺旋状に続く坂道が現れ、そこを下るとぽっかりと口を開いた巨大な洞穴が二人を迎えた。意を決して中へと進むと、更に下り坂が続く。ヘクターがどこまで続くのかと思い始めた時、ぼんやりと赤く光る開けた空間にたどり着いた。開けたと言っても辺りは岩だらけで全体を見渡す事は出来ない。

「ヘクター、聞こえるか?」

 レーヴァに言われるのと同時にヘクターの耳に飛び込んできたのは、剣と剣が交わる金属音のようだった。

「戦っているのか?」

 気配を悟られないようにそっと近寄り、岩陰から様子を伺う。

ヘクターの視線の先では二人の人間が何かを言い合いながら激しく交戦していた。一人は赤毛のロングヘアーに白い軽装具を身につけ、首元にも白いストールを巻いており、手には鮮やかな装飾を施した黄金に輝く剣を持っている。

そしてもう一人はというと、赤と青に彩られた派手な衣服に身を包み、髪は黒く、顔を仮面で隠した道化のような風貌であった。不思議な事にこの人物も金色に光る剣を持っていた。形、大きさ、どちらを取っても同じ剣だ。そして体つきから察すると二人とも女性のようだ。

ヘクターが見たところ優勢なのは赤毛の剣士のようで、四方を飛び回る道化の攻撃をことごとくいなし、余力を持って反撃に移る。しかし、道化もそう簡単に傷を負うことはなく、双方共に相手の出方を伺っている様子だ。

「黒騎士じゃないな、あいつらは一体」

 声を潜めて、ヘクターがレーヴァに問う。

 レーヴァが答えるよりも先に赤毛の剣士がこちらに気付き、

「誰だ!」

 と叫ぶのと同時に腰に備えていた短刀をヘクターに向かって投げつけた。

「うわっ!」

 すんでの所でヘクターは身をよじり、投げつけられた短刀をかわす。

「お前……その剣は!……」

 ヘクターを見て、正確にはヘクターの持つレーヴァテインを見て赤毛の剣士は動きを止める。

「危ないっ!」

 ヘクターが叫ぶよりも早く道化の姿をした女性の剣が赤毛の剣士の腹部を貫いた。

「ぐっ、しまった・・・」

 道化が剣を抜き去ると、彼女の腹部から大量の血液が吹き出した。真っ赤に染まった金色の刃を更に振り上げ、止めをさそうとする道化に向かってヘクターは走り出した。

「レーヴァ!」

 ヘクターの一声でレーヴァが剣から飛び出し、そのまま道化に突進する。不意をつかれた道化は後方へと飛ばされるが、素早くその身をひるがえしてゆっくりと着地した。

 その間にヘクターは赤毛の剣士の元へと駆け寄り、彼女の傷の具合を伺う。女剣士は既に意識を失い、辺りには血だまりが広がる。思った以上に重傷を負っているようだ。

「まずい、何とかしないと」

 その時、レーヴァが後方からヘクターに声をかけた。振り向くと、彼の横に降り立ったレーヴァが、

「先程感じた強い魔力、どうやらあやつが残して行ったものの様だ」

と告げる。

「なっ、しかしあれはどう見ても人間……」

 ヘクターは立ち上がり道化を見やる。

「外見は確かに人間だが、中身は全く違うようだな」

 更にレーヴァが言う。

「ドラゴンに、炎の神剣レーヴァテイン……するとあなたがヘクター様、ですね?」

 ゆっくりと歩み寄りながら道化が声をかけてくる。

「なぜ、俺の名を?」

「そしてあなた。レーヴァ、とおっしゃるのですか」

 ヘクターの質問を無視した道化は今度はレーヴァに語りかける。

「フン、人間を真似たモンスターとはなんとも滑稽だな」

 レーヴァは臆することなく言葉を返す。すると道化は仮面の下から不敵な笑いを漏らした。彼女の高笑いは洞穴中に響き渡る。

「レーヴァ様ぁ、何もご存知ないのですね。その様子ではご自身のお役目にもお気づきにはなっていないようですわね。ふふ…あはははは!」

「私の役目……だと?」

 レーヴァは突然、動揺を浮かべてふさぎこむ。それを見たヘクターはレーヴァを代弁するように道化に向かって叫ぶ。

「貴様、何者だ!」

 すると道化はわざとらしく「あらっ」と声を上げた後に右腕を胸の前へと運んで片膝をついた。

「これは失礼。アタシの名はカーミラ。カーミラ・ミルドレッドです。ご覧の通り『悲面の道化師』ですわ。まぁ、どちらでもお好きな方でお呼びください。ちなみにあの屋敷の人間達を手にかけたのはアタシじゃありませんわ。」

「お前じゃないとしたら他に誰がいるんだ?」

 ヘクターが再び問いかけるが、カーミラと名乗った仮面の女は何も答えはせずにただ「ふふふ……」とあざける様に笑い続ける。

「う…」

 その時ヘクターの背後でうめき声が聞こえ、振り返ると倒れていたはずの赤毛の剣士が深手を負った身体に鞭を打って立ち上がる所だった。

「まぁ! まだ立ち上がる事が出来るとは流石ですわね。……しかし、立っているだけで精一杯のようですが?」

「おのれ……」

 女剣士は歯を食いしばり敵意をむき出しにした視線をカーミラに向ける。しかし剣を持つ手は震え、傷口からはなおも大量の血が流れている。真っ白だった衣服や鎧は紅に染まり、表情はまさに蒼白そのものだ。

「あははっ! 何をムキになっているのです? もしかして先程の続きをご希望なのですか?」

 カーミラの挑発的な言葉に赤毛の剣士は無言のまま剣を前方へと突き出す。

「あらあら……」

 カーミラは二、三度軽く首を横に振り女剣士と同じ構えを取るが、思いとどまったのかすぐに剣を下ろす。

「うふふ、残念ですがやめておきましょう。とんだ邪魔が入ってしまいましたからね」

 ヘクターはこの時、カーミラからの刺さるような視線をその身に受けた。仮面越しにでも伝わってくる強烈な圧迫感はヘクターを凍りつかせた。

「彼らのおかげで命拾いしましたね。でも、次はこうはいかないという事をお忘れなく。オルザ様」

「!」

 ヘクターとレーヴァは思わず顔を見合わせた。

「道化め、いい気になるなよ……」

「ふふ、では皆様、ごきげんよう」

 そう言い残してカーミラは洞穴の闇の中へと溶けていった。

 カーミラが完全に去ったのを確認した後、オルザと呼ばれた女剣士はその場に崩れ落ちた。ヘクターは急いで駆け寄り彼女を抱き起こす。レーヴァもヘクターの頭上から覗き込む。

「かなり危険だ。早く手当てを…」

 そこまで言った後、ヘクターは口を閉じるのも忘れて身を固める。

 ―――バカな、傷口がない! さっき見た時は確かに深い傷があったのに、今はどこにも見当たらない……

 ヘクターはパニックを起こしそうになるのを必死にこらえてレーヴァを見やる。ヘクターと目を合わせたレーヴァも驚いた様子で、

「カーミラとやらの言った事は本当の様だな。こやつが剣聖オルザだ」

 ヘクターに告げる。

「剣聖オルザは女だったのか……しかしなぜ傷が癒えているんだ?」

「不死人の力としか考えられんな。私も詳しくは分からないが、冥府の王との契約によりオルザはある一定の条件の元でしか『死ねない身体』となった。たとえ全身を切り刻まれようと深い海の底へと沈められようと、決して命を落とすことはない」

 ヘクターはゴクリと喉を鳴らした。一見すると自分とさほど変わらない年齢に見受けられるこの女性が、三百年以上も生き続けている伝説の剣士だとは、にわかには信じられなかった。


 程なくしてオルザは目を覚ました。そしてヘクターを見るなり彼に名を尋ねる。ヘクターが名乗るのを聞きながら近くの岩場に腰掛け、オルザはゆっくりと二人に視線を送った。

「ヘクター、そこのドラゴンの名は?」

 と続けて質問する。

「彼はレーヴァ、神剣に宿りしドラゴンです。そしてこの折れた剣が……」

「炎の神剣レーヴァテイン。だな」

 オルザはヘクターよりも先に神剣の名を上げた。

「あなたが剣聖オルザなのですね?」

ヘクターの問いにオルザは「ああ」と言って頷く。

「先程の道化は何者だ?」

続けてレーヴァが問いかける。するとオルザは首を横に振ってから、

「詳しく知っているわけではない、だが何日か前から私を監視していたようだ」

「カーミラ、と名乗っていました。奴の狙いは一体?」

続けてヘクターも質問を向けるが、オルザも分からないといった様子で再び首を振る。「奴の事はいずれ分かるだろう。それよりもお前達が私の元を訪れたのはそれの修理のためだろう?」

 ヘクターがうなずく。

「可能か?」

 レーヴァが尋ねた時、オルザは鋭い視線でレーヴァを睨みつけた後に、

「誰に聞いている? 私以外にその剣を直せる者などいないだろう?」

 強気な発言を返した。彼女の態度に少し尻込みしながらヘクターが口を挟む。

「あなたにレーヴァテインを修理していただく為に私達はここまで来たのです。引き受けていただけますか?」

 ヘクターはオルザに詰め寄る。

「……ヘクターよ、修理するかしないかはお前次第だ。お前が神剣の力を欲する理由を私は見極める必要がある」

 力を欲する理由。オルザの問いにヘクターは黙り込み、同時にレーヴァも口をつむぐ。

「ラディアスの剣をどうやって手に入れたか、なぜドラゴンとの契約に応じたのか、それはこの際どうでも良い。肝心なのはなぜ力が必要なのかだ。ヘクターよ、お前は答えられるか?」

 ヘクターは何も言わずに立ち尽くしていた。様々な想いが葛藤し、めまいさえ覚える。ダリル、ソフィア、ヴァングリフ、永遠の眠り、もう帰らない友、竜の力、黒い甲冑の騎士。

 考えるたびに粉々に砕けそうになる心を必死に支える。そして隣のレーヴァに視線を向け、固く誓った決意を思い出して今一度、己自身に問いかける。

―――なぜ、力を欲するのか……

 やがてオルザへと真っ直ぐに向き直り、ヘクターは答えた。

「私には護らなくてははならない人がいます。彼女はクルニール王国の黒騎士によって『夢魔の刻印』をその身に受けたのです。私を護る為に身代わりとなって……」

 オルザは何も言わずにヘクターの話を聞いている。

「今の私では黒騎士には勝てません。そればかりか彼女の呪いを解くことも叶わない。だから私は力を求めてあなたの元へ来ました」

ヘクターは握り締めたこぶしに力を込める。

「お願いします。レーヴァテインを修理してください。私にはこの剣が、レーヴァの力が必要なのです」

 オルザはヘクターの瞳を見つめ、少し考えた後に、

「クルニールの黒騎士か……いいだろう。」

 ヘクターは目を輝かせてオルザに礼を述べる。しかし、それを遮りってオルザは言った。

「だが、その前にいくつか話しておくことがある」

 ヘクターは虚をつかれ、オルザの話に聞き入る。

「三百年前にラディアスによって地の底に封じられし『邪神 サラディス』についてだ」

 深刻な面持ちでオルザは語りだす。ヘクターだけでなくレーヴァも押し黙り、耳を傾ける。

「ラディアスは五つの宝玉の内、四つしか持たなかった為にサラディスを滅ぼすことは叶わず、己の命を犠牲に奴を地の底へと封印した。ここまでは知っているな?」

「事実だと信じるようになったのは最近ですが……」

 ヘクターは想いのままに答えた。

「その後ラディアスはこの世界から姿を消し、神剣と宝玉は各地に保管された。だが肝心のサラディスが封印された地は人々の間では語られていない。」

 ヘクターははっと声を上げ、

「確かに、伝説の語り口は人によって様々だが、邪神の封印されし場所は聞いた事はなかった」

「そう、それこそが人々が一番恐れ、いつも気に病んでいたことなのだ。だがかつての人間達は後世にはその事を伝えようとはしなかった。なぜか? 答えは人間達の心の中にある」

「心の中?」

 ヘクターは聞き返した。オルザはキッとヘクターに視線を合わせ、答える。

「たとえどんなに苦しみ、悲しみ、嘆いても、人々は争うことをやめはしないのだ。その事を熟知し、歴史が繰り返されるのを恐れたある権力者は封印の地の真上に国を築いた。恐らく、邪神の眠る地に国を構えればそう簡単に手出しはされないという浅はかな考えだったのだろう」

「まさか、その国が……」

 その先を口にするのをためらっているヘクターに向かい、オルザは重々しく答えた。

「クルニール王国だ」

「なんと愚かな……」

 レーヴァが嘆く。彼にとってもこの事は未知の情報だったのだろう。オルザは更に続ける。

「そしてもう一方の国、ダルゼウスの王は神剣を持ち帰った。互いに戦いの記憶を共有する事で争いを避けようとしたのだろうな。そして争いのない平穏な日々が続き、神剣の必要性を見失った王はルフォートへと神剣を移し、そこを封印の地とした」

「それが、あの祠か」

とヘクター。

「ここ最近のクルニールの異変や魔物達の増大。サラディスの邪念がこれらに関わっているのは間違いないであろうな。もしかするとあの国に生き残りは皆無かもしれない」

オルザは首を横に振り、ため息を漏らした。

「しかし、邪神は封印されているハズです。今までは我が国とも親密に外交を行っていました。それがなぜ」

 ヘクターの質問にレーヴァが重ねて問いかける。

「邪神の復活が迫っているのか?」

 オルザは立ち上がり黄金に輝く剣を鞘に納めながら、

「そうとしか考えられまい。地底から溢れるサラディスの思念が悪しき者共を呼び集め、クルニールを影から支配している。もはやあの国は魔物の巣窟だろうな」

 吐き捨てるように言った。

「では、あの黒騎士もサラディスによって仕向けられた魔物?」

「いや、あやつは確かに人間だ」

 ヘクターの言葉をレーヴァが制した。

「あやつからは邪神の意思を感じ取れなかった。先程のカーミラやモンスター共とは違い、あやつは自身の意思で我らに向かってきたのだ」

「では一体、あの騎士は何者だ? あの魔力は一体……」

 黒騎士との戦いを思い返しながら考え込む二人に対してオルザが告げる。

「関係があるかはわからないが、人間にもまれに魔力を持ってこの世に生を受ける者がいる。その者は魔道に精通し、かつて私やラディアスと共に邪神と戦った男だ」

 レーヴァがピクリと反応し、オルザの方を見やる。

「『魔道士 リューハイン』か」

 オルザはこくりと頷いた。

「リューハインはドラゴンにも匹敵する魔力を持ち、かつての戦いで重要な役割を果たした。今は墓の中だが、奴の血筋の者がこのフォルティアのどこかにいるはずだ。リューハインの直接の子孫である為だろうか、奴をもしのぐ程の魔力の持ち主だと聞く。名は確か……リュンベルクと言ったな」

「竜と同等の魔力?」

 オルザの話はすでにヘクターの想像の範疇を越え、彼はただたじろぐことしか出来なかった。

「リュンベルクに話を聞けばその黒騎士について何らかの情報はえられるかもしれんな。サラマンディアの族長なら居場所を知っているだろう。このフォルティアにおいて、私の次に長命な者だ」

 サラマンディア族、ルフォートの地を治め、また神剣の祠を代々守ってきた種族だ。

「そうか、一度立ち寄る必要があるな」

 ヘクターはレーヴァに向かって言う。

「ああ、いずれにしてもあの騎士とはまた、あいまみえる事になる。少しでも情報を手に入れておいて損はないだろう」

「さあ、話はこのくらいにしておこう。ついて来い」

 そう言ってオルザは洞穴の奥へと歩き出した。

「あ、あの、どこへ?」

 ヘクターが間の抜けた声を出すと、オルザは一度立ち止まって振り返り、

「レーヴァテインを修理するのだろう?」

 と言って再び歩き出した。


 オルザに連れられたヘクターとレーヴァは洞穴の最深部へとたどり着いた。先程いた場所よりも一回り狭い円形の部屋だ。中央には大きな陣が描かれ、その周りに蝋燭がいくつも並んでいる。

「ヘクター、レーヴァテインを」

 オルザが手を差し出す。言われるがままにヘクターはレーヴァテインをオルザに手渡した。

オルザはレーヴァテインを陣の中央へと置いた後に小声で何かを唱え始める。そして短剣で自身の手首に傷をつけた。流れ出る鮮血がレーヴァテインに触れた瞬間まばゆい光が室内を包み、ヘクターは思わず目をつぶった。

 そして次に目をあけたとき、光はおさまっていた。

「ヘクター、こちらへ」

 オルザに促されたヘクターが陣の中央へと進むと、ボロボロの状態からは想像もつかなかった輝きを取り戻し、刀身も修復された剣がそこにあった。

「これが……レーヴァテイン?」

 しばしの間その場に立ち尽くし、神剣たる風格を漂わせるレーヴァテインにヘクターは見入ってしまった。

「これで器は完成したな。後は力を注ぐだけだ」

 レーヴァが言う。そして補足するようにオルザが続けた。

「五つの宝玉がレーヴァテインに力を注ぐ。全てを集めない限り真の力を引き出すことは不可能だ。ヘクターよ、良く聞くのだ。これより私が語るのは宝玉のありかを示す『古代竜の言霊』だ」

 ヘクターは固唾を飲んで耳を傾けた。


『青く澄み渡りしノアークの湖、主が護るは竜の涙』

『冥府の風に包まれし死者の渓谷、主が護るは竜の囁き』

『かつて栄華を誇りし王の都、主が護るは竜の響き』

『白炎轟くゲイブルの火口、主が護るは竜の怒り』


「古代竜の言霊はここで終わっている。五つ目の宝玉に関しては何も語られてはいない。まずはこの四つを集めるのだ。さすれば道は開かれよう」

 オルザの言葉にヘクターは頷く。すると、

「ヘクターよ、事態は急を要する。すぐに出発するのだ。グズグズしていては間に合うものも間に合わん」

 レーヴァがヘクターに告げる。そしてそれに従いヘクターがレーヴァテインを手にしようとした時、

「最後に一つ、言っておくことがある」

 オルザが言った。

「修復されたレーヴァテインを手にした瞬間から、お前は逃れられない運命の連鎖につながれる。決して臆することなく己の使命をまっとうする強い意思が必要だ。覚悟はあるな?」

「……ああ」

 少し間を置いたが、迷うことなく答えたヘクターはレーヴァテインを手にする。

 その瞬間、ヘクターの頭の中に電気が走るかのようにある映像がフラッシュバックする。

 白銀に輝く鎧を身に纏い、淡い緑色の瞳をした青年がレーヴァテインを手に魔物達を次々に切り捨てていく。鬼気迫るその光景は鮮明にヘクターの脳裏に刻まれた。

そして弾かれたようにヘクターは我に帰る。

「今のは……」

「どうした?」

 オルザに聞かれたが、ヘクターはとっさに「なんでもない」と言ってレーヴァテインを鞘に納める。隣でヘクターの様子を伺っていたレーヴァも首を傾げていた。

「レーヴァ、行こう」

 そう言ってからオルザに礼を述べるヘクター。

「来たるべき時には私もお前の力となろう。それまでになんとしても宝玉を手に入れるのだ」

 オルザに言われ、ヘクターは強く頷いた。

「剣聖オルザよ、世話になった」

 レーヴァが炎へと姿を変えていき、レーヴァテインに吸い込まれていく。そして二人はオルザの元を後にした。

「赤き翼のドラゴン、レーヴァ……」

ヘクターの後姿を見送った後、オルザは左手にはめられた二つの指輪を見つめながら呟いた。







ようやくヘクターの旅が始まりました……

次話もがんばります!

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