穏やかな朝
ダイアナ殿下が御戻りになられた翌日――。
いつもどおり起き抜けのユーイに持っていくお茶の支度をして侍女にユーイを起こすように頼む。支度を整えて部屋に行くと侍女が1人控えていた。
「あの…殿下は今…湯浴みをなさっていて」
オロオロとした様子で説明する侍女を横目に、部屋のドアを閉める。
テーブルにティーセットを準備する。見計ったかのようにユーイが隣の浴室から出てきた。
「おはようございます、殿下。今朝はとってもいいアッサムを入れました」
決まりきった挨拶をするとユーイは下ろした髪を振り乱しながら席についた。
お茶の支度をしながらユーイに異変がないかを横目で確認する。
「御姉様は?」
「兄さんが起こしに行っているよ」
温めたカップにゆっくりとお茶を注ぎ、ユーイの前に置く。ユーイはいつもどおりゆっくりとお茶を飲んでいく。その間にドレスの準備をして部屋に戻ると侍女がユーイの髪を結い終わったところだった。
「着替えて髪を整えたら食堂に降りるよ」
「わかった」
「昨日の事は僕から謝っているから何も言わなくていいよ」
「わかった」
会話を打ち切るかのように目線をそらすユーイに僕は自然と黙った。
2人きりじゃない時のユーイの言葉遣いは冷たくて単調だ。その場にいるのが心を許している侍女であってもユーイは言葉遣いを硬くする。それは彼女の強さと素っ気無さを引き立たせる。
着替え終わったユーイと一緒に食堂に降りるとダイアナ殿下はすでに席についていた。
「随分と寝ていたようだね。夜更けに眠れぬ用事でもあったのか」
きつめの口調で遠回りに遅くなった事を責める殿下に僕は背中に嫌な汗をかいた。
「遅くなってすみません。御姉様がお帰りになられたのが嬉しくてつい夜更かしを」
「ほぉ、どこの口がそんな戯言を。その程度で私を誤魔化せると思っているのか」
「お姉さまも帝国の外を存じていらっしゃるのですから、多少の事は分かっていただけますね」
「……。まぁ、いい。早く席につけ」
口の端を少しあげるだけの微笑で話を終わらせた状況に僕は思わず息をついた。
「随分と苦労をしているようだな。アーレス」
いつの間にか僕の隣にダイアナ殿下の騎士で、僕の兄でもあるレナード・サミュエルが立っていた。
「皇太妃殿下に悩まされているようだな」
「兄さん。他人事じゃないよ。悩みの種にダイアナ殿下も含まれているんだよ」
「姫様は皇太妃殿下の姉君。悩みの種になるようなことはしておられない」
「昨日、兄さんが片づけをしている間に玄関前で頬を叩かれそうになっていたのだけど」
「まさか?!皇太妃殿下が姫様を」
「ダイアナ殿下との仲は悪くなるばかりだよ。植民地支配に反対する彼女は逃げ場のない状況なんだ」
「宰相閣下が側にいると聞いたが」
「アルマス殿下は皇帝陛下から目をつけられて先日からミルゼーネ卿の手の上だよ」
「アーレス、いったいどこでそんな事を?!」
兄さんは明らかに動揺して、僕の肩をつかんだ。
「アーレス、ちょっといいかしら」
不穏な空気に気付いたのか、ユーイが僕を呼び寄せた。僕は兄さんの手を払い、ユーイに歩み寄る。
「皇女殿下。いかがされましたか」
ユーイの横に立つとユーイは僕の手の甲をつねって、一瞬だけ僕を見てすぐに視線をテーブルに向けた。
余計な話をするなという意味だろう。ユーイはもう一度こちらを向いた。
「今日は庭に出たいから準備をしておいて」
「わかりました」
まるで子芝居のようなやり取りだ。僕を咎めるために呼んで、周りにはさりげない様子を見せる。
僕は引き下がって兄さんの隣に戻る。
「待て、アーレス」
戻る途中でダイアナ殿下が僕を呼び止めた。背筋が自然とまっすぐになる。
「お前、まだユーイの事を皇女殿下などと呼んでいるのか」
「え、あの、それは一体」
いわれた意味がわからなかった。ユーイを皇女殿下と呼ぶことのどこいけないのか。
「いい加減甘ったれた呼び名はやめろ。皇太妃殿下、もしくは女帝陛下と呼べないのか。国中の者や植民地では皇太妃殿下と呼ばれ、貴族や皇族の間では女帝陛下と呼ばれている。貴様もどちらかにしろ」
「ダイアナ殿下。女帝陛下とは皇帝陛下への大逆罪に当たるのではないですか」
「何をいまさら。アーレス、直にお前は女帝直属軍の司令だぞ。そんなことでどうする」
ダイアナ殿下の言葉に僕は胸に黒いもやもやとしたものが競りあがってくる感じがした。
「どうなんだ、アーレス。いい加減ユーイをしゃっきとさせたらどうだ。それでもお前は騎士か」
ガチャァァン。不釣合いな音に目を向けると、ユーイが立ち上がっていた。テーブルの上にあったグラスがないところを見ると、さっきの音はユーイがグラスを割った音だったようだ。
黒いもやもやが怒りに変わり、口から吐き出しそうになった瞬間だった。
「ユーイ、どうした」
急激な場の変化にダイアナ殿下はたじろぐのがわかった。
「アーレスが私を皇女と呼ぶのは私がアーレスにそう呼んで欲しいと命令しているからです。お姉さまや他の方のいう呼び方は嫌なんです。皇太妃殿下や女帝陛下なんて呼び方は嫌なんです」
空気を切り裂くような鋭い口調のユーイは厳しい表情をしていた。
「何を言っているんだ。いずれはそうなるのだ。今から呼ばれてもおかしくないだろう」
「時間の問題ではないのです。お姉さまがどうお呼びなろうとお姉さまの勝手です。しかし、それをアーレス強制するのはやめてください。アーレスには仕え始めた頃から何一つ変えないようにいっているのです。アーレスの主は私です。命令できるのも私だけです。思い違いしないでください」
堰を切ったように話すユーイはいい終わるとぽろぽろと涙をこぼしはじめた。僕はユーイに駆け寄り、震える肩にそっと手を置いた。手を差し出し、ユーイを食堂から連れ出した。
残されたダイアナ殿下は唖然としているようだった。
第2章スタートです。
随分と書くのに時間がかかりました。
まだ全容が何にも書けていません。
次くらいで書きたいです。
また間が開くと思うので気長に待っていて下さい。