孤独な皇女
屋敷に入った僕は大急ぎでユーイの好きなミルクティーを入れて、部屋に持って行く。部屋に入ると、ユーイはいつもどおりベッドの腰掛けていた。こちらをちらりと見て、すぐに顔を伏せてしまう。窓際のテーブルにトレイを置いて、開け放たれたガラス戸を閉める。じっとこっちを見るユーイに笑顔を向ける。
「ミルクティー入れたよ。ユーイの大好きなクッキーもあるよ」
ユーイはゆっくりとたちあがってこちらに歩み寄り、僕が引いた椅子にゆったりと腰掛ける。
「最低よね。……私って」
つぶやくように言ったユーイはちょっぴり気を落としているみたいだった。
物心ついた時から皇位継承者としての教育を受け、ダイアナ殿下やほかの皇族とは違って常に皇家や帝国の流れに巻き込まれてきたユーイには、皇家への反感を高める植民地統治はユーイからすれば廃止したいが、大半の皇族はこれを推進している上に、植民地統治の主権は第2皇女のダイアナ殿下に委ねられている。自分の考えを理解してくれている実の姉が自分が望まない事をしている。本国へはめったに帰らず、統治先の植民地で兵士たちと寝食をともにしているダイアナ殿下には最愛の妹であるユーイの心情を理解する事が徐々に出来なくなり、統治が終わり久しぶりに帰ってもさっきのようにユーイが心を開かないことが多くなり、2人が衝突する事がいつ頃からか始まった。知識も教養もある姉に対してうまく反論できない代わりに相手へのきつい言葉や手を出すことで自分の意を伝えようとする。ダイアナ殿下も自分の言い分があるため、同じようなことをして対抗する。その結果が姉妹喧嘩になってしまう。しかしユーイはダイアナ殿下の事が嫌いなわけではない。
「いつものことだよ。ダイアナ殿下だってユーイだって」
「私が言いたいのは御姉様の事じゃなくて貴方を叩いた事よ」
「少し気が高ぶって手が出ただけじゃないか。気にしなくていいよ」
「でも……嫌いになったんじゃないかなって」
僕はトレイをテーブルにおいてユーイをそっと抱きしめる。
「大丈夫だよ。僕がこんな事でユーイを嫌いになると思うのかい。僕は君の騎士だ。君が望むのなら、この命を捨てる事だってするし、君が望むのなら,永遠に側にいる事だってするよ」
ユーイがゆっくりと顔上げ、静かに目を閉じる。それはキスの合図であると同時にユーイが安らぎを求めている意思表示でもあった。僕はありったけの愛を込めて唇を重ねた。
指に髪を絡ませ背中から腰にかけてをゆっくりとなでる。ユーイの手が僕の胸を押し返す。
唇を離しユーイとしっかり見つめあう。
「僕が君を愛する気持ちは変わらない。僕が好きなのはユーイだけだよ。愛してるよ、ユーイ」
ユーイは少し戸惑ったようだったがすぐに僕の胸に顔をうずめた。肩をわずかに振るわせ、僕にすがりつく様に抱きついてくるユーイに僕は心が痛んだ。
ユーイは感情を表に出す事がほとんどない。それが幼い頃からの教育のせいなのか、不仲な兄弟やめったに会えない両親の愛情の注ぎようが足りないせいかはわからない。ユーイはガラス細工のような感情のない瞳をして、機械人形のように人の思うままに動く。皇位継承者である立場を考えればそれは良い事なのかもしれないが、二人だけの時ですらめったに感情を表に出そうとしない。
そんなユーイが僕に見せてくれた唯一の感情が孤独だった。家族の愛に触れる事ができず、周囲の者からは恭しく扱われ、学校には行っているが友達もろくにいなかった。
彼女の思いに触れたのは9歳の時だった。初等部に入学したばかりの彼女は新学期に行われる2泊3日の親睦会に他の一年生たちと一緒に参加した。親睦会は友人を作る最初の好機であるためここで大体の友人関係やグループが出来上がる。ユーイもここで大学部の卒業まで付き合える良い友人を作って欲しい。それがダイアナ殿下の願いだった。しかし、その願いは打ち砕かれた。親睦会に出かけた翌日の昼前に彼女は皇帝直属の兵隊の腕に抱かれて帰ってきた。兵隊から彼女を引き取ったダイアナ殿下が頬を真っ赤にはれさせ、髪の毛はぐしゃぐしゃの状態で何かに怯えるように全身を震わせる彼女から詳しい事情を聞き終わる頃には夜が明けようとしていた。彼女は自己紹介の場で皇女だと言うことが二人の教師に知られ、その2人から暴力を振るわれたのだという。侍女たちが彼女に湯浴みをさせて服を変えさせ、兄のレナードが入れたお茶を飲みながら僕はある考えを巡らせていた。兄がダイアナ殿下の騎士である事で出入りさせてもらっているレ・アルセリア家の屋敷。そこでまだ幼いのにも拘らず皇女としての地位が常に付きまとう彼女。彼女の涙を受け止め、孤独を癒し、側に寄り添い、常に支え続けたい。そう思った僕はその場でダイアナ殿下にある進言をした。
「ダイアナ殿下。自分を、自分を彼女の、ユーイ・レ・アルセリア殿下の騎士にしてください」
みんなが、その場にいたみんなが僕の言葉に驚愕した。誰も動こうとしない空気の中で羽のように軽い動きで僕の前に立ったのはユーイだった。
「私は……彼を……私の騎士に任命します」
震える彼女の声は確実に僕を受け入れた。進言はすぐに受け入れられ僕は彼女の騎士となることを命じられた。9歳で僕は自分の生きる道を決めた。帝国第3皇女にして皇位継承者であるユーイ・レ・アルセリアを守る騎士。それが僕の使命となった。