吐露
俺が森の中で叫んでから、既に数十分が経過した。だが、なんやかんやあって俺達はまだこの場を一歩も動いていない。
刀をちらつかせながら『作れ』と脅されたので、適当に椅子を作って『風』でそよ風を起こし、上空にある葉を退かして日光を取り込んだ。
コイツと初めて会った時とまるで同じだ。
違うのは3つ。
椅子の材料は俺が作り出したんじゃなくてリリアが切り倒してしまった木を使った事。
葉っぱを『風』で切るんじゃなくて『草』で退かした事。
―――そして、コイツが俺に蟲の体液を付着させる為に抱きついてくる事だ。
どうしてこんな事になったんだろうと思う。
確かにリリアには悪い事をしてしまったさ。自分自身を優先させてリリアの都合を考えてなかった。指示も、まぁ適当になってしまっていただろう。
でもさ、結果的に俺はリリアを助けたんだよ?倒れてくる木から。指示だって別にただ適当にしたわけじゃないんだ。リリアの力量からしてあんまり細かい指示はしなくてもいいと思ったからなんだよ。
だってのにさ、なんで俺がこんなに不幸な目にあわなくちゃいけないんだよ。
いいか、確かに『美少女に全身を密着させながら抱きつかれる』というシチュエーションは最高だ。16歳の男子にとってこれ以上の幸福があるのかと言えば、まず無いだろう。
でもだぞ?そのシチュエーションに『蟲の体液』という言葉を入れるとなると話は別だ。グロテスク路線に一直線だ。もしくは極度の変態路線な。俺はどちらも御免被りたい。
女の子特有の柔らかな体、間近に聞こえる吐息、そして蟲の体液。
こんな状況でどうやって興奮しろと言うのだろうか。
「……なあリリアぁ、もういいだろぉ?許してくれよぉ」
「………ダメだ。まだ足りない」
……足りないってなんだよ。
俺の右腕をギュッと抱きかかえたままリリアはそう言う。胸の辺りに顔を押し付けているので声はくぐもっている。
ふと左手を見ると所々黒い服になにやらシミが出来ていて萎える。実はもう左腕は抱きつかれ済みなんだ。
俺が嫌々ながら椅子とかを作ってる最中ずっとリリアは左腕にしがみ付いてたんだよ。全部の工程が終わってリリアを見たらどうやら正気に戻ったらしく、顔を赤くしてしどろもどろになってたんだ。
だから俺は言ってやった。
『……あのさぁ、お前無理すんなよ。ただでさえ人間に慣れてないのに異性の俺なんかに近づくなって』
そしたらリリアは赤いままの顔で、
『も、問題ない。私が獣体だった時に何度ショウに全身を、あ、余すところ無く触られたと思っているのだ。触れている面積は今の方が少ないのだぞ?』
などとのたまった。
いやまあ確かにそりゃそうかもしれないけどさぁ、俺の気持ちも考えていただきたいんですけどねぇ。美少女に抱きつかれてるのに何も出来ないんだよ?ネコじゃないんだよ?
「……そろそろ、いいか」
俺が考え事をしている傍らでリリアが呟いて顔を上げる。
「お、マジか!よし、今度こそ出発だ!」
俺は立ち上がろうとする。……しかし、リリアにそれを阻まれる。
「何を言っている。右腕はもういいと言っただけだぞ」
「え?」
「何を呆けている。……こ、今度はあっちを向け」
そう言ってリリアは反対方向を指差す。丁度俺がリリアに背中を向ける形だ。
「え?え?な、なんで?もう充分だろ?」
「……背中がまだだろう」
なっ!!コ、コイツ!!もしかして冗談じゃなくて本気で俺の服に全方向から体液を擦り付けるつもりか!?
「や、やだよ!絶対ヤダ!!」
「……………『風』よ」
「おわぁ!!体の向きが勝手に!?」
急な方向転換。背中に感じる人の重み。体の前に回される俺の物じゃない二本の腕。首筋をくすぐる俺の物じゃない髪の毛。
―――――――――――そして背中に二つのムニッとした……いや、これ以上は言うまい。ただただ幸福だ。
―――――――――――そして脳裏をよぎる忌むべき四文字、『蟲の体液』。幸福が一瞬にして昇華した。
「……おーい、リリア」
「……………」
返事が無い。
「おい、リリアってば」
「……………」
返事が無い。
「おいリリア!」
「ななななな何だ!!!?」
うるせっ!!!耳元で大声だすんじゃないよ!!
「お前の気持ちも判るけどさぁ、そろそろ行かないとヤバイって。日が落ちたらもっと暗くなるよ?」
「………むぅ、確かに」
お?いい感じだ。もうちょい押せばさっさと離れてくれるかもしんない。
「だから早く進もう?な?」
「………はぁ。仕方ない」
やっとのことでリリアは顔を上げる。
お、おおぉ……間近で見るとますます可愛い。思わずドキッとしてしまった。
「ならばショウ、立ち上がっていいぞ」
―――――――は?
「……あの、じゃあ何で離してくれないの?」
「決まっている。このまま私を背負って歩くのだ」
――――――――――――――は?
「な、なんで?」
「……決まっている。私がこのままショウに触れていたいから違う違う私にはこの蟲の体液をショウにこびり付けると言う仕事があるからだ」
な、なんだって?全体的に早口だったから何言ってんのか判らなかったけど……なに?要するにコイツはまだまだ俺に体液を付け足りない、と?
「ふーざけんなこのネコが!!俺に人一人背負って歩けと言うのか!!離れろ!!」
「嫌だったら嫌だ!!少なくとも後10分はお前に体液をこびり付けてやるのだからな!!」
おおふ……リリアが体をよじったから二つのムニッっとした―――蟲の体液―――あ、昇華した。
むぅ……仕方ないな。リリアの言葉を信じるなら、この幸福を装った不幸はあと10分で終わりを告げるはずだ。かといってこのままコイツを背負っていけば、どうせ敵が現れるまでずっとこのままに違いない。……いや、悪くすれば10分以内に敵が出てきたら『背負ったまま戦え』と言われかねん。
ともすれば、俺が取り得る策はただ一つのみ。
「……わかったよ。あと10分だけここに居りゃいいんだろ」
「……それでいい」
体の力を抜いて大きく息を吐く。
天を仰げばぽっかりと空いたメイドイン植物の天井から、燦々(さんさん)と差し込む日光で目が眩んだ。陽光にオレンジ色が混ざっているところを見ると、もう時刻は4時を回っているだろう。
ところでカイル達の任務はどうなったんだろうか。もう終わっているのか……それともまだなのか。
あいつらだけさっさと任務を終わらせるのはずるいよな。俺としてはこっちと同じようにハプニングが起きていればいいと思う。例えばカイルが迷子になったり、カイルが崖から落ちそうになったり、カイルだけが魔物に襲われたり、カイルが足を滑らせて川に落ちたり、カイルが―――――――――――
「……なぁ、ショウ」
「………ん?」
あれ、俺今呼びかけられた?
首だけを後ろに向けると、リリアはさっきと全く変わらない状態で俺にしがみ付いている。額を背中にくっつけている状態なので表情を伺うことは出来ない。それにパッと見、特に何か言ったような様子も見受けられない。俺の気のせいだったか。
「ショウは……私の事をどう思う?」
どうやら気のせいではなかったようだ。
「どうって……どういう事?」
「……………」
リリアからの返事は無い。自分で考えろと言う事なのか。
「そう、だな。すごい真面目なやつだと思ってるよ」
「……他には?」
え、他に?
「えっとぉ~……アレだな。自分に厳しく他人にも厳しい。どんな事にも常に真剣で、自分の中に一本の芯を持ってる。かといって情け容赦が無いわけじゃなくて、知らない子供が行方不明になったらまるで自分のことのようにその子供を心配できる優しさを持ってる、位かな」
「……………」
リリアからの返事は無い。どうやら満足したみたいだ。
「………他には?」
んだよ全然満足して無いじゃんか!!一体何が正解なんだっての!!
「あー…うー…えー………あ!あとネコ」
ダメ元で言ってみる。
「……そう……か。ネコ、か」
後ろから、自嘲気味に聞こえてきた言葉。
―――――げ、やべぇ……正解どころかNGワードだった、か?
もう口にしてしまった手前、取り繕う事もできずに俺は固まる。リリアは全く動かない。
そしてそのまま会話は無く、数分の時が過ぎた。
いや、もしかしたらそれは単なる感覚の問題であって、実際は30秒位しか経ってないのかもしれない。
でもその30秒はとても痛い時間だった。長く、重苦しく、さっさと払拭したい雰囲気だ。さっきまで大声で喚き合っていたのが酷く昔の事のように思えてくる。
「……なぁ、ショウ」
再び問い掛けてくる。今度は気のせいだとは思わなかった。
「………ん?なんだ?」
一瞬間があった。
そしてポツリと、心の内を洩らすように、リリア=グラウカッツェは呟いた。
「獣人とは………一体、何なのだろうな」
「………え?」
「獣人……ジュウジン……ケモノビト……わかるかショウ、ケモノのヒトだ」
俺は突然のリリアの言葉に、何も答える事が出来ない。独白は続く。
「ケモノでありヒト、ヒトでありケモノ。そしてまたケモノではなくヒト、ヒトではなくケモノなのだ」
俺は何も答える事が出来ない。独白は続く。
「ケモノにもヒトにも相容れぬ中途半端な存在が“獣人”だ。どちらでもあり、どちらにもなりきれない。ヒトからは差別され、獣からは排他されるのだ、私達は」
答える事が出来ない。独白は続く。
「何故“獣人”と言うものが存在するのか知っているか?……ああ、お前は“キオクソウシツ”であったな。だがショウ、お前が“ソウシツ”していなかったとしてもその理由は誰も知らないのだ。……いや、知らないのではなく、『解明していない』と言ったほうが正しいな。『する事が出来ない』のではなく『していない』だ」
答えられない。独白は続く。
「誰もが想像はしていても信じてはいない、信じたくない話だ。ケモノとヒト、その両方の性質を持っていると言う事は、獣人の祖先にはケモノとヒトが居ると言う事。つまりケモノとヒトとの間で子を為したと言う事だ。こんな話を信じたいと思う者がヒトの中にはいないだろう?」
答えられない。独白は続く。
「だからこそ獣人は差別されるのだ、ショウ。ケモノなどというモノとの繋がりが判るから、獣人を見ればこの話を信じざるを得ないから、獣人は差別される。汚らわしい者、忌むべき存在、過去の汚点……こういった言葉を今まで何度聞いたことか」
答えられない。独白は続く。
「かつてある男女が恋仲になった。美男美女、相思相愛、誰から見ても似合いの二人だった。そして二人は結婚した。数年が経ち、やがて女が妊娠する。数ヵ月後、男は出産の報を聞いて妻のもとに駆けつけた。そこには確かに妻が居た。……腹を押さえてギュッと目をつぶる、一匹のケモノが」
答えられない。独白は続く。
「そして女が―――ケモノが出産した。ケモノの姿で生んだのだから、生まれてきたのは当然ケモノ。男は酷く狼狽した。自分の妻が居た場所にはケモノが居て、自分の目の前でケモノ生み、明らかに柔らかな微笑みを称えて男にケモノの言葉で声をかけたのだから。………そしてそれを聴いた瞬間、男は目の前の二匹を、殺した」
答えられない。独白は続く。
「女は男に自分が獣人だと知らせていなかったのだ。わかるか?ショウ。ヒトである時に恋をしても、ケモノになれば最愛の者に殺されるのだ。わかるか?ショウ。例えどんなにヒトを愛したとしても、その愛は報われないのだ。わかるか……ショウ。……わかる…か?」
かすれた声で話すリリア。言葉尻が途切れ途切れだった。鼻を啜る音と僅かに漏れた泣き声が森の中に響く。
―――――――そして俺は、答えない。独白は―――――――――続かない。
俺の両腕を押さえつけるように回されていたリリアの手をやや強引に下に降ろし、少し間を取ってリリアに相対する。
「……シ、ショウ?」
リリアは泣いていた。いつもならば意思の篭った二つの目も今ばかりは涙で潤み、まるで縋り付くかのように俺を見ている。
俺は僅かに微笑むとリリアのその目を見据え、ゆっくりと右手を振りかざし、
―――――――――――――――ズビシッ!
脳天にチョップをかましてみた。
「痛っ!!!」
その衝撃でリリアが下を向き、頭のてっぺんが良く見えるようになった。
―――ズビシッ!―――ズビシッ!―――ズビシッ!
今度は三回かましてみた。
「痛っ!!!痛っ!!!痛っ!!!」
叩けば叩くほど反応を返してくる。束ねられた銀色の髪がその度に揺れた。
なるほど、コレは面白い。おもちゃみたいだ。よし、もう一度。
―――ヒュッ(俺が手を振った音)―――ガッ(リリアが俺の手を掴んだ音)
「馬鹿者ぉぉぉ!!!!!!」
――――――――――ボグッ!!!
「たわば!!!」
逆の手でリリアに頬を殴られてしまった。
「何すんだよお前!!変な言葉が出ちゃったじゃないか!!」
「こっちの台詞だこの大馬鹿者が!!」
「なにが大馬鹿者だこの泣き虫!!」
「なっ!!泣いてなどいない!!」
「あっ!おまっ!なに目ぇゴシゴシしてるんだよ!!ずるいぞ!!証拠隠滅するな泣き虫!!」
「泣いてなどいないったらいない!!!」
「おー言うじゃないか。じゃあ俺のマントを見てみろよ。絶対蟲の体液以外のもので濡れてるから。ほら、今脱ぐから……」
「……………《烈風》!!」
「ああぁぁぁーーーー!!!!!俺のマントがぁぁぁーーーー!!!!!お前ふざけ……絶対弁償しろよ!!!」
「ああ私が魔術の訓練をしていたら何処からともなくマントが現れて散り散りになってしまったなんという不幸な事故だ」
「棒読みなんだよこのネコ野郎!!こうなったらお前のマントを寄越せっ!!!」
「なっ!!うわっ!!止めろ離せ!!!」
「やぁーだよぉー……よっしゃ!!奪った!!」
「返せ!!」
「やだ!!」
「返せったら返せ!!」
「やだったらやだ!!」
「ハッ!!!」
「くうか!!」
――――ヒラリ
「避けるなぁ!!」
「無茶言うな!!」
――――ヒラリ
「クッ!!《氷影》!!!」
「うおわっっ!!」
―――――ヒラリ
――――――――メキメキメキ
―――――――――――――バッターーーン
―――――――――――――――――――ゾロゾロパタパタブブブブブ
「うわぁあああ!!!またいっぱい蟲が出てきたぁぁぁ!!!」
「待てショウ!!!逃げるな!!!そして返せ!!!」
「いやいやいや待て待て待てアレを見ろってアレを!!!お前が倒した木の衝撃でまた蟲がいっぱい出てきたっての!!!!」
「待てぇぇぇーーー!!!!」
「いやぁぁぁーーーーーー!!!!!!!」
「はぁ…はぁ…はぁ…」
「ハァ…ハァ…ハァ…」
敵からもリリアからも逃げつづけ、“俺が”蟲を全滅させたのは、鬼ごっこが始まってから30分以上経った後だった。
因みにリリアは今回一匹も倒そうとはしなかった。ま、俺への攻撃の流れ弾が行ってたから結構な数は倒してるけど。
つっても現れたのは異常な数の蟲であり、尚且つ俺達の騒ぎで更なる蟲がゾロゾロと出て来た以上、そんなものは焼け石に水であり8割位は俺が殺した。お陰でリリアに頼らずとも俺も蟲の体液塗れになってしまった。うぅ……。
流石にリリアも疲れたのか、今は二人揃って背中合わせで地べたに座り込み、言うなれば俺は隙だらけの状態である。まあこの隙を狙ってリリアが攻撃してくるとは思わないけどさ。
呼吸を整えながら辺りを見回すと蟲の遺骸、屍骸、残骸。もうアレだ、ホントグロテスク。
「なぁ、リリア。もうビーネ、何匹くらい、倒したかな」
「さぁ、な。100は、下らないと、思うが」
言葉の切れ目で酸素を吸いつつ会話する。
「じゃあさ、もう任務完了で、良くない?」
「そうだ、な。戻ると、するか」
そうは言っても今すぐ動き出すのは体力的に無理だ。とりあえず荒い呼吸を静める事に専念しようと思う。ゆっくりと息を吸ってゆっくりと息を吐き……ダメだ、こんな悠長な事はしてられん。とりあえず吸ったり吐いたりしまくろう。
「………おいショウ」
「すーはーすーはー……なん、だぁ?」
やはりいくら魔力やら身体能力やらが上がっていても、体力だけはどうにもならないらしい。俺とは違って既にリリアは平常通りだ。すこし悔しい。
「先程のアレは一体どう意味だ」
先程のアレ?なんだろ……げ、もしかして蟲に攻撃すると見せかけてリリアに反撃したのがバレたのか。
「ち、違う!アレはホント…偶々リリアの方に攻撃がいっちゃっただけだってばいやマジでホントに!!」
「……何を言っているのだ。そんなことではない」
ジロッとした目で俺を見るリリア。いや、背中合わせだから表情見えないんだけどさ、雰囲気でわかる。
「私が言っているのは獣人の話の後の事だ」
「ああ、リリアが泣きながら話したやつの事いったぁぁ!!!」
脇腹が、脇腹がぁぁっっ!!!
「泣いていないと言っているだろう!!」
「だからって思いっきりつねるんじゃないよ!!脇腹は人体急所の一つなんだぞ!!」
……返事が無いぞ。くそぅ……痛い。
俺が痛む部位を押さえているのにも関わらず、リリアは何事も無かったかのように話を続ける。
「私は真剣に話していたのだぞ。だと言うのにお前はふざけて私に手刀を―――」
「別にふざけてなんか無いぞ、俺」
リリアの言葉を遮る。
「………え?」
「ふざけてなんか無いって言ったんだ。真面目に真剣に本気でかましたんだよ」
俺の言葉を聞いてリリアは立ち上がり、未だにしゃがみこむ俺の前に回りこんで激昂した。
「ふ、ふざけるなっ!何が本気だ……私は…私はぁ!!」
もう本人も何が言いたいのか自分でもわかっていないのか、それ以上言葉が続かない。本気で俺に対して怒り、拳を握り締め、敵意を剥き出しにして睨みつけてくる。
――――――ああ、そんなことは関係ないな。どうだっていい。
大事な事はただ一つ、コイツが……泣いていたって事だけだ。
だから俺は、言う。
「ふざけてんのはお前のほうだ。バーカ」
と。
俺もゆっくりと、立ち上がる。見下ろすでもなく見上げるでもなく、丁度俺の目線にリリアの目が来る。
「あのさぁ。俺がお前に初めて会った時……ああ、人の方な。なんて言ったか覚えてるか?」
「……………」
黙ったまま、俺を見ている。俺が何を言いたいのかを探ろうとしているのか。それともあの時の事を思い出そうとしているのか。―――――いや。
「覚えてないわけ無いよな。あの日はお前が人になれた記念すべき日なんだし」
人は、そう言ったなにか衝撃的なことがあった日の事は結構覚えているもんだ。それにまだ一ヶ月も経ってないわけだし。
「でもま、もう一度言ってやろう。今もその気持ちは変わってないから」
ゆっくりとリリアに近づく。
俺の最初の一歩と同時にリリアも一歩後ろに右足を運んだが、二歩目の時はそのまま動かない。気にせず歩みを進め、手を伸ばせばリリアに触れる事が出来る距離まで近づいた。そのままリリアの肩をポンと叩いて、言う。
「獣人?なんつーかその、カッコイイな」
「―――――ッ」
リリアが息を呑む。
「さっきも言ったけど、別に俺だってふざけてたわけじゃないんだよ。本当の事を言うと、お前の話を聴いて何も答えられなかっただけなんだ。前にお前から『獣人は差別される』って聞いてたけど全然実感なかったからさ、お前の話を聴いてやっと獣人の現状がわかったんだ」
リリアは黙っている。俺は右手をリリアの肩から降ろす。
「恋人の話を聴いてもそうだ。獣人って事を知らせてなかっただけで、結婚したばっかりの相手に子供共々殺されるなんて、なにかの冗談かとも思った。でもさ、お前は……泣いてた」
「なっ、泣いてなど……」
「いたんだよ。……もし仮に百歩譲って、お前の言う通り涙を流してなかったとしても、お前は心の中で泣いてたはずだ。だからこそ俺に『獣人とは一体何か』なんていう答えが求められない哲学的な事を訊いてきたんだろうが」
「……だ、だが!それに何の関係がある!私がそう思っていたとしても、私を殴った理由にはならないぞ!!」
食って掛かるリリアを尻目に俺は内心黒い笑みを零す。俺がこの後言う言葉の後のコイツの様子を想像したからだ。
―――――さて、爆弾を投下してやろう。右手の人差し指をリリアに突きつけつつ、な。
「お前、好きな人できたんだろ」
「なぁっっ!!!!」
ほぅらね!!一気に顔が超真っ赤になったし!!
「そんなこと位、お前の会話から推測すればお見通しさ!!ククク、真面目なお前の事だ。どうせさっきの恋人の話に自分と好きなやつを重ね合わせたんだろ。んで思ったわけだ、『獣人である私に、ヒトを好きになる資格があるのだろうか』とかなんとかね!!」
……なぁ、目の前に顔を真っ赤にさせて口をパクパクさせて小刻みに震えてるヤツが居たらどう思う?笑うよな、普通。例えそれが失礼に当たる事であっても笑っちゃうよな?
「アッハハハハハハ!!!お前図星かよ!!図星だろ!!図星なんだろ!!」
「ぅ、ぁ、ぅ、ぁ……」
ヤ、ヤバイ……これ以上笑ったら可哀想だってのに笑いが止まらない。落ち着け落ち着け、こういう時こそ脳内深呼吸の出番だ。スゥーハァースゥーハァー……よし。『この世界』に来てからなんどこの技法にお世話になったことか。
「まあアレだ。そんなに固く考えるな」
笑いを落ち着かせ、ずっと指差ししていた右手をリリアの頭の上にシフトさせる。
「確かにこの世の中には獣人に対する差別があるんだろう。でもまあそれならそれでいいじゃないか。しょうがないよ。でもさ、世界は広いんだ。俺みたいに獣人をカッコイイと思うヤツが他にも居るだろうし、もしかしたらお前が好きになったヤツも、お前が知らないだけで獣人だったりするかもしれないしな。いや、むしろ獣人じゃなきゃ嫌だってヤツかもしれない」
一息で言って、ポンポンと二回軽く叩く。
「んで仮に『獣人なんか嫌いだ』ってヤツを好きになったとしよう。んでお前がそれを打ち明けて、相手がお前を捨てたとしよう。その時は喜べ」
「………喜、ぶ?」
「ああ。大体差別なんかをするやつは性根が腐ってんだよ。恋人になる前にそんな腐った奴だったとわかるんだから、それはそれで儲け物だって思えばいいの。わかったか?」
グワシグワシと乱暴に頭を撫でて、そのまま鷲掴んで頭を振る。リリアは髪の毛もグチャグチャ、思考回路もグチャグチャのままで大声で喚き散らす。
「わかったわかった!!わかったから離せ!!」
そこには既に、あの泣きそうなリアル猫娘は居なかった。
「んじゃ、色々とありがとうございました。お昼ご飯も貰っちゃったし」
あのこっぱずかしいやり取りからしばらくして、俺達は村に戻ってきた。んで今は別れの言葉の真っ最中だ。俺とリリアは村の入り口に立ち、目の前には村長代理のおばさんを先頭に村の人々がほぼ全て集まってくれているらしい。おばさんの横にはジャン少年とニナ(だったっけ?)少女も居る。
まあ……その後ろで直立不動の男の人達は気にしないでおこう。いやはや、『過ぎたるは及ばざるが如し』という格言を心に刻む事になった一件であった。
「それはこっちの台詞よ。ビーネ以外にも色々と退治してくれたようだし」
「ま、その辺は成り行き上そうなっただけなんで、お気になさらず。……少年、俺が言った言葉を覚えてるかな?」
「うん。ふぉーいんぽーたんとしんぐす」
やはりどうもフニャフニャした発音だ。まあそれでもよしとしよう。
もう一度おばさんにお礼を言ってから村に背を向ける。そしてゆっくりと飛び上がり、学校を目指して―――――
「あぁ、ちょっと待ってちょっと待って」
「うぇ?何ですか?」
と、思ったらおばさんに呼び止められた。
「あー、君じゃなくて、ちょっとその女の子に聞きたいことがあるのよ」
「わ、私ですか?」
思わぬ展開に驚くリリア。まさか自分に用があるとは思わなかったのだろう。
「そうよ、そうよ。ねねね、ちょっとこっちこっち!」
なんだろう、なんか凄くいやらしい笑い方なんだけど。ま、標的が俺じゃないならいいか。
なーんて暢気に考えている俺は空を飛ぼうとする瞬間の若干マヌケな格好で動きが止まっている。咳払いで誤魔化しつつ格好を直す。その間にリリアはおばさんに引っ張られて木の陰に移動していた。
「ね…、何…あ…たの?」
「ど………意味…すか?」
「だ…て、………スッキ………表情…から」
ダメだ。言葉が断片的過ぎて何を会話してるのか全くわからん。こっそり訊くのは諦めた。少年とお話でもしてよっと。
「なぁしょうね――――――」
「ななな!!何を言っているのですか!!!!!!!」
うわっ!!急にどうした!?
見ればリリアが顔を赤くしておばさんに詰め寄っている。
「わわわ私がショウの事をすすすす――――――」
「あぁーーちょっとちょっと!!声が大きいってば!!」
おばさんの言葉でリリアがはっとして俺を見る。なんだろう、俺の事を話していたのだろうか。俺の名前が聞こえたような気もするし。
どうやらリリアとおばさんの話も今ので終わったようで、こちらに戻って来た。……来たのはいいんだけど、なんかリリアは俺の方をチラチラ見てるし、おばさんはおばさんで俺達二人を生暖かい目で見てくる。なんか凄く嫌だ。
「んじゃもう行きますね。またいつか会いましょう」
「ええ。頑張ってね。特にそっちの彼女さんは」
彼女?……ああ、そちらの女性という意味のほうか。
今度こそゆっくりと飛び上がる。おばさんと少年と少女と女性陣は俺達に手をふり、男性陣は無駄に綺麗な敬礼をかましている。
「おいリリア、行くぞ」
「わ、判っている。私が前を行くからな!!」
いや別にいいけどさ……そんなに叫ばずともいいじゃないか。
俺は一人ごちながらリリアの後を追って大空を翔ける。取り合えず帰ったら後の事を全部リリアに押し付けようと考えながら。前を飛ぶリリアのスカートの中を覗いたらしっかり短パンを履いててガッカリしながら。
こうして、俺の初任務は終わった。
「……フゥ、やっと学校に戻ってきたな。さっさと着替えて風呂に入りた……おいショウ何処へ行く。……帰る?馬鹿を言うな。部長に報告しに行くぞ。……お前がやっとけ?ふざけるな!お前と私でこなした任務なのだぞ!……学年長命令?そんな命令が聞けるか!!おい待て!!……おい!!」
「あ、リリア。リリアも今帰ってきたトコ?」
「……む、三人とも戻ってきていたのか。なんだか久しぶりに会った気がするな」
「それで、そんなに大声を出してどうしたんですか?」
「いや、実はショウが私に報告を押し付けて先に寮に帰りよってな」
「……なるほど。翔さんらしいといえば翔さんらしいですけどね」
「ああ……。それで、カイルとユーリとエリカはどうした?」
「うん、実はエリカちゃんがカイルくんと喧嘩しちゃって。それでエリカちゃんが『報告は自分がするから帰れ』ってカイルくんに言ったの。それでユーリくんと一緒に先に帰っちゃった」
「ほう。そちらも一悶着あったのだな」
「そちら“も”?どういう意味?」
「え?あ、いや、なんでもないぞ!なんでも!」
「「「(怪しい………)」」」
「な、なんだその目は」
「べっつにぃ~」
「なんでもぉ~」
「ないですけどぉ~?」
「ならばその目を止めろ!!」
「ごめんねリリアちゃん。わたしのこの目は生まれつきなんだよ」
「私もです」
「ボクもボクも」
「ええい、嘘を言うな!………でもまあ、アレだ」
「なんですか?」
「一応お前達に訊いておきたい事と、頼みたい事がある」
「だからなにさ」
「その、お前達は、なんというか、まあなんだ。ショウの事が好き、なのだろう?」
「え、い、いきなりどうしたの?」
「い、いいから!どっちなのだ!」
「コソコソ?(ど、どうする二人とも。ここは一応隠しておくべき?)」
「コソコソ(で、でも隠しても意味無いんじゃないかなぁ)」
「コソコソ(ま、まあ他人から見たら結構あからさまなわけですし)」
「コソコソ(でもなんかリリアの様子がおかしくない?)」
「コソコソ!?(まさかとは思うけど…翔ちゃんとの間に何かが!?)」
「コソコソ(いえ、それは無いでしょうね、これまでの経験上)」
「コソコソ……(と、いうことはまさか……)」
「……コソコソ(はい……どうせまた翔さんの無自覚ですよ、きっと)」
「コソコソ!?(え!?じ、じゃあリリアちゃんも!?)」
「コソコソ(いえ、ですけどまだそうと決まったわけじゃありませんから)」
「コソコソ(でもその可能性は限りなく高い?)」
「コソコソ……(恐らくは……)」
「コソコソ(じゃあボク達が取る手段は)」
「コソコソ(うん。一つだけだね)」
「コソコソ(ええ)」
「何をコソコソと話しているのだ!それで、どっちだ?」
「別に?翔のことなんて好きでも何でもないよ?」
「うんうんそのとーり。全然優しくないし、意地悪だし、見た目すっごく怖いし」
「ええ。単なるトモダチですよ、トモダチ」
「そ、そうなのか?私が見たところ、お前達三人の言動は違うと思ったのだが」
「考えすぎですよ。私達は翔さんのことなんてなんとも思っていませんよ?ね?晃さん」
「うん。そうだよね?あすか」
「うんうん。全然好きなんかじゃないよ」
「そう、か。………それなら安心だな」
「「「…………え?」」」
「いや、話すのは少し気恥ずかしいのだが……私はどうやらショウの事が好きらしくてな。何分今までそう言った経験が無いから何をどうすればいいのかさっぱりわからないのだ。だからお前達三人にどうすればいいのか教えて欲しい」
「「「…………え?え?」」」
「もしお前達もショウの事が好きだったならばこのような事は頼めなかったが……そうではないのだろう?」
「「「…………………………………………」」」
「む、どうした?」
「「「ええぇぇぇぇぇええええーーーーーーーー!!!!!???」」」
「うわっっ!!!な、なんだ!?」
「う、嘘っ!?嘘だよね!?」
「嘘でしょリリアちゃん!!」
「嘘ですよね!?翔さんの事を好きなんて、嘘ですよね!!?」
「や、止めろ三人とも!服を掴むな!!」
「だったら嘘って言ってよ!!……ううん、嘘じゃなくてもいい!!でもその『好き』っていうのは『友達としての好き』とかそういう感じのフワフワしたヤツだよね!!?」
「な、何を言っているのだアキラ。多分コレはそう言うものではなく、世間で言うところの『異性としての好き』という…」
「絶対絶対絶っっ対違います!!それは恐らくアレですよ!!勘違いですよ!!」
「そうだよリリアちゃん!!こんな大事なことを勘違いしちゃダメだよ!!」
「な!?か、勘違いではない!!絶対に私はショウが好きだ!!」
「嘘!!」
「嘘じゃない!!」
「嘘だよ!!」
「じゃない!!」
「嘘です!!」
「嘘じゃないったら嘘じゃない!!一体どうした!お前達には関係ないだろう!?」
「関係あるもん!!」
「な、何故だ!!」
「「「ボク(私)(わたし)も翔( さん)(ちゃん)の事好きだから!!!」」」
「……………」
「「「……………」」」
「う、嘘だ!!!」
「「「嘘じゃない!!!」」」
「ならば何故先程『単なるトモダチ』だと言ったのだ!!」
「そ、それはまあ色々と事情がありまして……ってそんなことより!!どうしてリリアさんが翔さんを好きになるんですか!!」
「そ、それはまあ色々と事情があってだな……」
「吐けーー!!全部吐けーー!!」
「こ、断る!!コレは私と翔だけの秘密だ!!」
「ダメだよ!同盟に入ったら全部話さなくちゃいけないんだよ!」
「なんだその同盟とは!」
「決まってるじゃん。『勝手に抜け駆けしない』同盟」
「なるほど……って何時私がそれに入った!!そのような覚えは無いぞ!!」
「この同盟は強制的な物です。加入条件は『翔さんのことを好きになる』なので」
「ひ、卑怯だぞ!!そんなものに私は入らない!!」
「……加入すれば特典もあるよ?」
「……何?」
「例えば、翔ちゃんの小さい頃の話とか、翔ちゃんの好きな物とか、翔ちゃんが喜びそうな事とかぁ」
「ま、入りたくないんだったらいいけどねぇ~」
「い、いや、待て」
「そうですねぇ。リリアさんがどうしても入りたくないと言うのなら、私達も無理は言えませんねぇ」
「待て!入る!」
「「「……本当に?」」」
「……あ、ああ」
「じゃあどうして翔ちゃんを好きになったのかをまず教えてよ!!」
「吐けーー!!全部吐けーー!!」
「それを言わないと翔さんの事は何も教えませんよ!!」
「そ、そんなことは言っていなかったではないか!!……は、離せ!!私を人気の無いところに引っ張るな!!」