第96話 全力スイカ割り
「きゃははっ、気持ちいい~」
「うん、冷たい……」
「ほら、桜も早く~」
「まだ準備運動の途中だから」
「そんなのショートカットバージョンで大丈夫だって」
「ショートカットバージョンとかあるの?」
どこまでも続くオーシャンブルーの前方を見れば、海で美女三人がキラキラと水浴びをする天使のように無邪気に戯れている。なんと素敵な光景だろうか、見ているこっちも楽しく幸せになってくる。
「将也ぁ、抜いて」
横を見れば、ピザの斜塔よろしく砂浜にぶっ刺さっている米太郎。なんと不快な光景だ。眉間にシワが寄ってくる。殴りたい。自然と拳がグーの形に。
「知るか。自分でなんとかしやがれ」
「おらあ! ふんふんふんっ!」
その場で暴れ回って砂から脱出した米太郎。本当に自分でなんとかしやがったよ! まさにやれば出来る子か!
「ふぅ、ギャグパートじゃなかったら死んでいたぞ」
「逆に言えば、シリアスな場面で巨乳なんてワード出す奴は死ぬべきだろ」
地面に倒れこむ米太郎。ギャグパートとはいえダメージが思いのほか残っているみたいだ。さすがは喧嘩最強、火祭ちゃんの一撃。俺なら三日は目覚めないだろう。ま、俺は火祭に殴られないけどね。だって米太郎みたいな馬鹿なことはしないから。
「このまま真夏の太陽に焼かれて眠りたりところ………だ、け、どぉ! そんなの男じゃねぇ! イヤッホーイ、俺も混ぜてぇ」
次振り返った時には米太郎は立ち上がり雄叫びを上げて海に向かって走り出していた。なんつー回復力。さすがはギャグパート。
「はは、兎月君の友達は皆元気だね。若いっていいなあ」
「年一つしか変わらないですよ、金田先輩」
パラソルの下、金田先輩が暑そうに座っている。隣には執事の……え~っと……中井さんだっけ? 一回ほどしか会ったことないけど。金田先輩の横にいつもいる人だ。初老の温厚な人に見えて武術を修めているらしく、春日家に特攻した際に一度やられかけた記憶がある。その時は前川さんという強い味方がいたので助かったが。つーかスーツ着て暑くないのかな? 涼しげに立つ中井さんと、弱りかけている金田先輩。この人熱中症で倒れそうだよ。嫌だよ、自分のプライベートビーチで倒れるなんて。
「じゃあ夕方頃に呼びに来るから、それまでは自由にしていていいよ。何かあったら中井に申してくれ」
そう言って金田先輩はフラフラと立ち上がると海から離れるように別荘に向かっていく。これまた別荘が大きいこと。見事なもんですよ。ザ・別荘と言うべき、そのくらい立派な別荘が海岸から少し離れたところに建ってあるのだ。
「あれ? 金田先輩は遊ばないんですか?」
「ああ、部屋で勉強するから。すまないね。どうしても……」
そっか、受験生ですもんね。H大目指しているから大変なのに、俺達をこんな素敵な所に招待してくれて……。
「ありがとうございます。忙しいのに俺達の相手をしてくれて」
「構わないよ。むしろ僕から言ったんだから。君と恵さんにはいつか謝罪しないといけないと思っていたから。あの時は本当にすまなかった」
いやいやこちらこそ的な感じで金田先輩も頭を下げてくれた。いやいやカウンター、あなたは悪くなかったですって。
あの時とは金田先輩と春日が結婚するとなった六月頃の出来事。金田先輩と春日は両家の親が認める仲、良い風に言うと許嫁となり結婚することになったのだ。下僕として春日の傍にいる俺が邪魔だと思った金田先輩は、俺に対して春日に近づくなと警告。持ち前のヘタレ魂の発揮もあってか、俺は春日と離れ離れになった。しかーし! 俺は春日と一緒にいたいという自分の本当の気持ちに気づき、決意を固めて春日家に乱入。その場の空気も雰囲気も一切読まず、ただ自分の言いたいことだけを散々と吐き散らして二人の婚約をぶち壊した。実際には春日の家に突撃して自分の気持ちを告白しただけなのだが。そんなとんでもねークラッシャー告白によって金田先輩は自身の将来を滅茶苦茶にされたのだから、俺なんてものは恨むべき相手のはず。しかし俺はなぜか感謝されているんだよな~。
「あの時は本当にすまなかった……。兎月君と恵さんに辛い思いをさせてしまった」
「はあ。……あの、ずっと気になっていたんですが………なんで急に結婚しようとしたんですか?」
大企業の子供同士の政略結婚だと聞いたが、あのタイミングでの急な申し出……なんか違和感があったんだよな。
「……それについては僕は何も言えないんだ。本当にすまない。何も言うなと口止めされているんだ」
顔に暗い影が落ちる金田先輩。何やら訳ありのようだ。金田先輩にも事情があっての結婚だったということか。
「僕も恵さんも望まない結婚だった。お互いに気持ちに嘘をついて、自分自身を偽り、本当の気持ちを言えなかった。けど兎月君は違った。ただただ自分の気持ちをさらけ出した。何も臆せず堂々と……それがどんなにすごいことか。そんな君に気づかされたよ、僕も恵さんも」
い、いやいや! 俺は別にすごいことはしてないですって。本当にただ自分の気持ちを言っただけなんですから。それって子供と一緒だもんねぇ。
「だから今回はそのお礼をしたいんだ。どうか遠慮せず全力で遊んでくれないかな? あともう一つ………恵さんを幸せにしてやってくれ」
「ちょ、最後のはおかしいでしょ!?」
遊ぶついでに幸せにしろなんて、さらっととんでもないこと言ったよ。春日を幸せにする? ははっ、俺じゃあ絶対無理だな。身分が違い過ぎる。俺なんかと春日は釣り合わないッス。
「では、お言葉に甘えて。先輩も受験勉強頑張ってください」
「ああ、ありがとう」
さ~て、俺も遊びますか! せっかくの海だし思いっきり遊ばないとね。
「………兎月君」
「ん? なんでしょうか?」
「……事情は言えないが、これだけは言わせてくれ。……あの時のことで君は目をつけられた。気をつけてくれ……」
それだけ言うと金田先輩は別荘へと歩き出していった。……最後の言葉はどういう意味だ? 目をつけられた? 気をつけろ? なんのことやら……。う~ん、まったく分からん。
「兎月~! 兎月も早く来なよ。準備体操なんてショートカットバージョンでいいからさ~」
……ま、考えもしょうがないか。とにかく今はこの時を遊ばないとな! ヒャッハー! 海が俺を呼んでいるぜっ。
米太郎と遠泳勝負をしたりとかでこれでもかといわんばかりに泳ぎまくった。いやー、すごいな。ここの海を今は俺達だけが独占している。誰にも邪魔されない完全な貸し切り状態。ああ、海ってこんなに静かだったんだな。こう耳を澄ますと海の声が聞こえてくるよ……はぁ~癒される。俺は皆と離れたところでのほほんと海に揺られている。全身を投げ出して、どこまでも広がる青空を眺める。そして海のハンモックに身をあずけて心地好い眠りへと誘わ、れ……
「……兎月」
「ぶばぁっ!? がぼぼぼっ」
腹を襲った痛み。そのせいで体はバランスを失い、沈んでしまっ……溺れるぅ!
「ぶはあっ……がはっ……死ぬかと思った」
口に海水がぁ、しょっぱい! 鼻に海水がぁ、思い出す小学校の時に溺れた記憶! 鼻が痛い痛い痛いの痛い痛い痛い。心地好い眠りじゃなくて永遠の眠りにつくところだった!
「か、春日…死ぬ……」
「私は死なない」
「俺がだよ! 人を殴っといてそれはないだろ」
なんつー態度。人が溺れかけたってのに表情一つ変えないなんて……悪魔かよ。デビルですか。英語で言えばデビルですか! 発音良く言えばデェビィルですか!?
「げほっ……で、何か用でも?」
「別に」
「ほお~。人の腹を不意打ちで殴って溺れさせるためだけに来たのか。泣かせてくれるねぇ、違う意味でな」
「別に」
この娘に皮肉は通じないようだ。つーか普通の話も通じないことがしばしば。無視するか、一方的に話すだけだからな。コミュニケーションの難しさで言えばシーマンのそれとは比べ物にならん難易度だ。会話していて意志疎通出来たことはほとんどない。もしその原因が春日ではなく俺にあるとするならば、俺は会話、意志疎通、人間関係の本を買い占めてやる。てか俺が悪いのかな? いつも俺から頑張って話の話題とか振っているのですが。
「それにしてもすごいよな、こんな孤島を持っているなんて。春日のところもこんな感じ?」
「……島はない」
「なら別荘は?」
「……ある」
おお、やっぱお金持ちは別荘を持っているものなんだな。羨ましいや。お金持ちは高級車と豪邸そして別荘を保有しているという庶民のしょっぱいイメージは当たっていた。
「へぇ、山の中とか? バーベキューとかやったりして楽しそうだな」
俺もバリバリ働いて金持ちになって別荘を買いたいものだ。んで、休みの日に家族と過ごしてさ。都会では見られない満天の星空を眺めたりして……ああ、いいなあ。別荘欲しい。そして綺麗なお嫁さんも欲しい。
「あ~、俺も社長になろうかな」
「無理」
うぐっ。そ、そうですよね、俺みたいな馬鹿が社長になれるはずがないよね。精々、課長だろうな……悲しき自分の限界!
「兎月、恵~。戻ってきて~」
浜辺から水川が手を振っている。何やらするみたいだ。
「春日、行こうぜ」
ま、俺が言う前から泳ぎだしているから意味ないけどね、はぁ。
「スイカ割り?」
「イエス! 金田先輩からの差し入れだよ。せっかくだからスイカ割りしようと思って」
俺達の立つ中心には丸々と大きなスイカ。これはなんとも立派なスイカだな。見事な西瓜だ。漢字にしたら少しだけ戸惑うよね。そうだったこれでスイカと読むんだった、とかなるよね。
「米太郎、どう見る?」
「俺の家スイカは作ってないから分からん。トマトのことなら何でも聞いてくれ」
トマト割りなんてないだろ。
「はい、木刀」
どこから取り出したのやら、普通にスッと木刀を渡してくる水川。いやいや、なぜに木刀がある。誰の私物だよ。
「木刀か。どうせなら本物の真剣でしたかったな」
お前は哀川の兄貴か。
「いいから、まずは兎月からいってみよー」
水川に無理矢理タオルを巻かれる。ぐあぁ目が圧迫されるぅ。何も見えない真っ暗闇。RPGで言うと、くらやみ状態だ。誰か目薬持ってきてぇ。万能薬でも可!
「じゃあ出発進行っ」
ったく、しょうがない。ちょっくら俺の腕前を見せてやりましょうかね。華麗に一刀両断してやるぜ!
「やったるぜ。米太郎、サポートよろしく」
「よーし、まずは前進だ」
米太郎の指示通り、とにかく前進する。目が見えない状態ではかなりの恐怖が乗しかかってくるが、ここは何もない砂浜。何も恐れることはない。熱い砂が足の裏を焦がす感触を頼りに歩いていく。
「はいストップ! そこから右側向いて」
右? こっちか。
「あ~、行き過ぎ。ちょっと左に戻って」
こうか?
「う~ん、そこから前に三歩進んで」
水川の声だ。前に三歩? そうなのか……?
「あ、そこから九時の方向に進んで」
「こうか?」
「そうそう。で、右を向いてストップ。そこだ!」
米太郎と水川の指示に従い、どうやらスイカの前にまで辿りついたようだ。木刀を握る手に自然と力が入る。
「やったれ将也、思いきり振り下ろせ!」
言われなくてもだ。スイカ割りなんて綺麗に割れるもんじゃない。ひびが入ったりと粉々になったりと現実はそんなもの。終わって残るのは微妙に砕けたスイカと儚さと虚無感。し~かし! そのしょぼくれた現実をここで覆してやる。スパーンと真っ二つにしてやんよ!
「集中……」
目ではなく肌で。目ではなく心で見るんだ!
「……見えた。目の前に気配を感じる……」
自分の呼吸、砂の呼吸、そしてスイカの呼吸。幾千ものの呼吸が折り重なる中、一つの小さな呼吸を捉えることが出来た。確かに目の前でスイカが息づいている。ふっ、目で見えずとも姿を捉えるなんて造作もないこと。
「ふぅ……はあ……!」
気持ちを落ち着かせ、刀を構える。風が空を走る音が消え、海が波打つ音も消えた。気を高めるにつれ、音は消えていく。そして次第に無が周りを支配しだす。聞こえるのは己の鼓動のみ。トクン、トクン、と……。そして鼓動の音も消えて、全てが無になった。……………………今だ!
「はあぁっ!」
寝かせた刀身を真っすぐに起こし、空へ掲げる。ピンと張りつめた空気を一掃い。全身の力を解き放つ。
「銘天一刀流・刹那蟋蟀(せつなこおろぎ)!」
天仰ぐ刀を一気に振り下ろす。風を斬り抜け、全霊を込めた刃がスイカを一刀両断………のはずが耳に響いたのは砂を叩く音。ボスッと乾いた音がなんとも拍子抜け……って、あれ?
「は、外した……?」
おかしい、かすりもしなかった。なんで……? 明らかな違和感。思わず目隠しタオルを外すと………
「ちょ、スイカないし!」
目の前に緑の丸いアレがいない。一面に広がる砂浜。と、急に後ろから笑い声が聞こえてきた。バッと後ろを振り向けば、ゲラゲラ笑う米太郎に水川……そして数メートル手前には丸々と輝くスイカが、って全然場所違うじゃん!
「ちくしょう! 騙しやがったな!」
こいつらぁ、全く見当違いの場所に誘導しやがって。
「ぶはははっ、空振ってやんの~」
「きゃはははっ、スイカの気配を感じる……だって」
腹抱えて爆笑の米太郎に水川……む、ムカつく!
「お前らぁ! 笑ってんじよねぇよ」
「けほっ、けほっ。あ~面白い。刹那蟋蟀! ……だってよ、ぎゃはははっ!」
「ボスッって……カッコ悪ぅ。あっはははっ」
「だから、やめろよぉ!」