第9話 ヒーローは遅れて登場するってことは俺はヒーローじゃなかった
なんとか春日だけでも逃がそうと頭をフル回転させて考えを巡らしていると、誘拐犯Bが俺に突撃してきた。真後ろには春日がいる。俺が避けたら春日に当たってしまう。
「ぐへぇ」
……まあ、どうせ攻撃を回避できるほどのフットワークは持っていないので、いらぬ心配。誘拐犯Bのタックルをモロに食らう。がっ、腹に衝撃が……! なんとか上体をひねり、春日を巻き込まないようにしたのは我ながらナイスだと思う。ブレる視界、そして背中と頭に激痛。思いきり床に叩きつけられた。いってぇ……頭強打したぞ。上にのしかかる誘拐犯Bの体重が腹を締めつけ俺の体を拘束。不快感と焦燥感で頭は混乱し、体中から汗が滲んできた。ぐっ……恐怖と焦りで視界がぼやけてしまう。
「今だ、女の子を捕らえろ」
「よし」
他の二人に呼びかける誘拐犯Bとそれに応答する誘拐犯C。ほの暗い視界の端に映ったのは、つかつか歩く誘拐犯Cの姿と怯えて動けない春日……っ、春日がピンチ。俺が助けないでどうする!
「くっ、ぬあぁぁ!」
じたばた暴れるが、誘拐犯Bにがっしりホールディングされて全く動けない。く、くそ……このままでは春日が捕まってしまう。また車で移動されたら今度こそ見失ってしまう! 春日を助けられるのは俺しかいないんだぞ!? しっかりしやがれ、俺は誰の下僕だ? 春日恵の下僕だろうが! 主人も守れないで下僕が務まるかあぁっ! このままでは終われない、終われるわけがない。
「春日は…俺が……守るんだ!」
自分でも恥ずかしいセリフだったと思うが、言っちまったのは仕方ない。有言実行しなくては。腹に力をくわえて一気に暴れる。とにかく暴れまくる。はいややああああぁぁぁぁ!
「うおおおぉぉぉっ!」
「こ、こいつ……っ!?」
渾身の力を振り絞って誘拐犯Bを払いのける。息つく暇なんてない。横を見れば今にも春日に襲いかかりそうな誘拐犯C。させるか! 足を乱暴に振り動かして誘拐犯Cに向かってダッシュ。低い姿勢から半ばこけるかのようにして誘拐犯Cの懐にタックル。
「ぐあっ!?」
誘拐犯Cをぶっ倒して、再び春日を守るように体勢を整える。俺しかいない。今この場で春日を守れるのは俺しかいないんだ。だったら俺は絶対に春日を守り抜く。絶対の絶対にだ!
「春日には指一本触れさせねぇ!」
「と、兎月」
後ろから春日の震える声が聞こえる。俺だって恐いんですよ?
「心配するな春日。絶対になんとかしてみせる」
しかし弱音は吐けません。やっぱ女の子の前ではカッコつけたいもんです。だって男の子だもん。
「こ、この野郎……」
「いい加減大人しくしてくれ」
立ち上がったBとCが再び近づいてくる。なんとか春日だけでも逃がすことはできないものか……さすがに一人で三人相手は厳しい。ズキズキと頭は痛み、歪む視界と焦燥感が吐き気を訴える。経験したことのない緊張感に体は強張り、吸いこむ空気が異様に冷たい。心臓が張り裂けそうなくらい暴れて、まともな意識を保てない。だ、誰か助けて……もう限界………
そう思った次の瞬間、
「うおっ!?」
轟音とともに大量の車が工場内になだれこんできた。激しいブレーキ音とタイヤが地面を擦る音。停車した車から何人もの黒スーツの屈強な男達が溢れ出した。多っ! 車の中にあんな大勢入るものなのか!?
「な、なんだこいつら!?」
「ひぇ!」
「た、助けて」
誘拐犯ABCの様子からだと、彼らの仲間ではないのだろう。瞬く間に包囲される誘拐犯達。な、なんだこれ!? 怖いよ!
さらにもう一台、荒んだ工場にはまったく似合わない高級リムジンが入ってきた。滑らかにドリフトし、中から立派なスーツを着た男性が現れた。
「め、恵っ! 無事か? パパが助けに来たよ!」
この声……聞き覚えがあるぞ。まさか、
「パパ」
春日の声。どうやら間違いないようだ。この人が春日の親父さん、そして有名企業の社長。仕事はいいのかよ。ふぅ……とりあえず一安心だ。助けがきてくれた。俺も緊張の糸が切れてその場に座りこむ。ああ、肝が冷えた。
「その三人組を取り抑えろ」
春日父に従い、黒スーツの男達は三人組に乗りかかる。
「「「ぐあっ」」」
なんだか黒い物体がうごめいているように見える。もみくちゃ状態がしばらく続いた後、黒い物体はばらばらに散っていき、残ったのはロープで拘束された誘拐犯三人。これを形勢逆転と言うのだろうか……。ガクガクブルブル震える三人組に春日父がゆっくりと近づく。
「さて……うちの娘に手を出した以上、覚悟はできているよな」
胸の内ポケットへ手を入れる春日の親父さん。いやいや、もしかして拳銃ですか!? 映画でよく出てくる黒光りするチャカというやつ……だ、駄目ですって!
「ま、待ってください。俺ら何も危害は加えていません!」
必死に弁明する誘拐犯C。他の二人もコクコクと首を縦に振る。
……ちょっと待て、
「そこの誘拐犯Aが春日を殴るとか言ってましたよ」
危害加える気満々だったよな。
「お、お前余計なこと言うな」
真っ青な誘拐犯A。ガチガチ震えているのに汗が滝のように流れまくる。あ、あいつもう死にそうだよ。そして、それを見ても何一つ表情を変えずに内ポケットを探る春日父。やる気満々…じゃなくて殺る気満々だよ……。
「ち、違うんです。俺達、ある人から依頼されたんです。それで仕方なく」
「ほう、その依頼主とは誰だ」
「そ、それは言えません。それを言うと俺達消されてしまいます……」
沈黙。春日父は誘拐犯達を見下ろし、口を閉じた。こんなに大勢いるのに誰一人として喋らない。初めて工場内に訪れる沈黙とプレッシャー。だ、大丈夫だよね……撃たないよね? 俺、人が撃たれるところなんて見たくないよ。
「……なるほど」
……何が?
「こいつらはこっちで片付ける。警察には通報しなくていい」
一人納得したらしく春日父はそう言うとこちらへ近づいてきた。その後ろで誘拐犯三人組は車の中へ押し込まれていた。
「め、恵ーっ! ごめんな、パパがちゃんと傍にいてやればこんなことにはならなかったのに。パパは自分が恥ずかしいよ!」
生で聞くとさらに響く声だな。つーか俺は無視ですか。自分で言うのもアレだけど今回のMVPに選ばれてもおかしくないと思うんですが。
「む、誰だ貴様。誘拐犯の仲間か?」
「ち、違いますよ」
「そんなことはお前の着ている制服を見れば分かることだ。馬鹿か貴様」
うわー、ムカつく。こんな奴が社長でいいのかよ。
「パパ、こいつは私の下僕なの」
春日さん、あなたを助けた人をこいつ呼ばわりですか、下僕呼ばわりですか。
「ほう、君が兎月君か。恵から話は聞いているよ。見事な犬体質らしいな」
なんだよ犬体質って。もっと違う印象を持ってください。親子揃って失礼極まりないぞ。
「君には感謝している。車を追いかけて私に居場所を知らせてくれた。君がいなかったら恵はどうなっていたことか……本当にありがとう」
……お、おぉ。ちゃんとした大人だった。礼儀正しく頭を下げる春日父。俺もつられて一礼する。
「また後日お礼をしたいと思う。とりあえず今日は家に帰ってくれたまえ。特に目立った外傷はないようだしな」
まあ確かにナイフで斬られたわけでも金属バットで殴られたわけでもない。タックルされた時に強打した頭がまだ痛いが、たいしたことはないだろう。
「よし、父さんは仕事に戻る。恵はSPの方に送ってもらいなさい。ついでに兎月君も」
「あ、僕は自転車なんで大丈夫です」
「人の厚意は有り難く受けとったらどうかね?」
「いや、自転車があるんで」
「いやいや、だから遠慮せずに」
「いやいやいや、風になりたいから結構ですって」
「もういい! 知らない!」
そう言って春日父はリムジンに乗りこむと工場を後にした。だって自転車なんだもん。……にしても、
「あの誘拐犯達、警察に突き出さなくてよかったのか?」
「パパにはパパの考えがあるはずだから」
ああ、そう。あいつら大丈夫かな? コンクリに埋めるとかないよね?
「まぁ、大丈夫でしょう」
不安ではあるが、俺にはどうしようもないので。それにもし制裁を加えるなら春日父がこの場で下していただろう。そうしなかったのには何か理由があってのこと……俺にはさっぱりですけど。
「……ぶはぁ」
ようやく肩の荷が下りた。あー疲れた。そして後頭部が痛い。たんこぶかこれ。んー……誘拐犯三人相手にたんこぶ一つで済んだのは幸運なことだよな。入院沙汰にならなくて良かったよ。俺も春日も。
「さて、帰りますか。じゃーな春日。帰りは気をつけてな」
「待って」
工場から出ようとしたら春日に袖を掴まれた。うわっ、ドキっとする!
「な、何?」
も、もしかして……お礼のキスとか? うはっ!? ど、どうしよ…まだ心の準備ができてないよ。こ、困るって~。
「鞄返して」
……はぁ、一瞬でも期待した自分が恥ずかしい。春日がお礼を言うはずがないだろ。馬鹿か俺。
「はい、どうぞ」
ちゃんと携帯を戻して鞄を渡す。なんか色々と疲れました。帰って早く寝たいです。
「……」
「えーと……まだ何か?」
ちゃんと鞄を返したのにまだ袖を掴んでいる春日。顔が俯いていて、よく表情が見えない。あの……まだ他に何か言いたいことでも? ちょっとぉ、もうパシリは勘弁してよ。もう無理ですって。帰っていいですか!?
「……」
「えっと……なんですか?」
「………あ、あり」
『ピロリロリ~ン』
「お、メールだ…って米太郎! お前のせいで!」
春日が何か言いかけたようだが、無視します。どーせ命令とかだろうしな。このまま聞かずにこの場を去った方がいい。さあ急いで帰ろう!
「今度こそじゃなあ。また来週」
ちなみに今日は金曜日。明日学校休みでよかった。今日はぐっすり眠れる。俺は米太郎に怒りの電話をしつつ、その場を去った。
「……ありがとう」
春日誘拐編完結です。すぐ終わりました。