第84話 風邪の引き始め
「へぇ。それで将也はどしゃ降りの中、自転車を走らせて帰ってきたわけね……ぷっ」
「笑うな」
部屋のベッドの上、毛布に包まれた俺を嘲笑うかのように米太郎が手で口を押さえている。口元は見えないが目は完全に笑っていやがる。ムカつく。超殴りたい。結局雨は止むことなく、俺は寒さと心細さに耐え切れず自転車に乗った。雨ニモマケズ、風ニモマケズの宮沢スピリットで家まで走り抜けたのだ。あ~、寒かった。春日のことで頭一杯だった前川さんは家に着いてから俺のことに気づいたらしい。さっき前川さんから電話越しに何度も謝罪された。床が擦れるような土下座している音が聞こえたのは気のせいであってほしい。電話で土下座されても、ねぇ。
「将也と、佐々木君~。ご飯できたわよ」
「は~い、今行っきま~す!」
下から聞こえる母さんの声に嬉しそうに反応する米太郎。なぜ我が家に農家の息子がいるのか。豪雨と強風の勢いは増して、ついに電車も止まってしまった。なので春日の家に遊びに来た水川と火祭、米太郎は帰ることが出来ず春日と俺の家に泊まることに。水川と火祭は春日の家に、米太郎は俺の家に泊まることになったのだが……
「あ~あ、どうせなら春日さんの家に泊まりたかったな。あんな豪邸、こういう機会がないと行くこともないし」
晩飯を食べ終えて俺の部屋に戻ってきた米太郎がぐちぐちとそんなこと言ってきやがった。ああ? 俺ん家なめてんのか。つーか勝手にゲームしてんじゃねぇよ。レベル上げを着実にこなしていく米太郎。攻撃役と回復役をバランスよくパーティ編成、アビリティの活用や戦闘での無駄のない動き、最適なタイミングでの回復。完璧過ぎて逆にウザイ。なんだこいつ、なんでこんなにやり慣れているんだよ。
「今頃あっちでは水川と火祭と春日さんが楽しく豪華な食事でもしているのかなぁ。おもてなしのクッキーであの美味しさだったから、ディナーとなったら……くぅ~惜しいことした!」
ほう、俺が大粒の雨に激しく打たれていた時、お前は快適な春日の家で悠々とクッキーを頬張っていたんだな。……む、ムカつく!
「あるいは入浴中とか? ま、まさか三人一緒に入っちゃったりして……! うひゃあ、興奮するぅ。俺もその中に混ざりたいっ。裸の付き合い……でへへへ~」
「さっきからうるさいな。大人しくレベル上げしとけ!」
「あぁ!? いつの間にかパーティー二人が混乱状態に……エスナしないと」
混乱状態なのはお前だろうが。……はぁ、キツイ。これぜってー風邪のひき始めだよ。体がだる重い。帰るまでずっと雨に打たれ続けたからな。プールに飛び込んだってぐらい体はびしょ濡れになった。
「あっちはあっちで楽しんでいるんだろうな……。女子の泊まり会ってどんなんだろ?」
知るかよ。春日達は春日達でウキウキお泊り会……いや待て、春日は大丈夫かな? 風邪引いてないといいけど。後でメールしとくか。
「佐々木君、お風呂沸いたから入っていいわよ」
廊下から母さんの声が。わざわざ上がって来なくてもいいのに。
「あ、分かりましたぁ。じゃあ風呂入ってくるな。……覗くなよ?」
「お前の死に際は是非とも拝みたいけどな」
コントローラーをこちらに渡すと米太郎はうふふと上機嫌に部屋から出ていった。代わりに入ってくる母さん。手に持ったお盆の上には水の入ったコップとカプセル状の薬があった。
「あ、将也! 風邪気味なのにゲームしちゃ駄目でしょ!」
ちょ、違うって。これは米太郎が……って全滅してるし! うわ、なんで隠しボスに挑戦してんだよ。勝てるわけないだろ、レベル低いんだから。あーあー、せっかくレベル上げたのに……最悪だなおい。
「はい薬ね。ここ置いとくから一気飲みしなさい」
な、なんで一気なんだよ? 悪ノリ大学生か。いや普通に飲むから。
「じゃあ安静にしておくのよ」
そう言って母さんはすっとゲームの電源を消して部屋から出ていった。よく電源のボタンの場所分かったな……。まあいいや、また後で米太郎にやってもらえばいいし。
「……寝るか」
体だるいしキツイし。薬を飲んで、ベッドに沈みこむ。はぁ~今日は疲れた。今日一日で色々あったな。あー、思い出すのも疲れる。机に置かれた米太郎の漬け物タッパーに舌打ちをしてそのまま意識は深い奥底へと落ちていった。
「……さや。将也、おい将也。起きやがれ」
「……あ?」
誰だ、人の安眠を妨げやがって……うわ、頭痛ぇ。それに何か熱っぽいし完全に風邪ひいてしまったか?
「起きろって将也」
目を開けばそこには米太郎の姿が。もう起きたから体を揺らすのはやめてくれ。頭がグラグラするから。どれくらい寝ていたのだろうか、今の何時なのかよく分からない。例えば、今は九時だよと言われても、それって朝の九時? それとも夜の九時? みたいな感じになりそう。
「グッドモーニング将也」
「もう朝か……」
「いや今は夜の八時半だ」
「グッナイ米太郎」
「待~て待て待て待て。水川から電話だ」
あ? 水川からって一体なんで……。ズキズキと痛む頭を押さえつつ米太郎から携帯を受け取る。あ~、しんどい。
「もしもし?」
『あ、やっと兎月が出てくれた。兎月の携帯にかけたのに佐々木が出て鬱陶しかったんだよ』
米太郎は嫌われているんだな~、可哀想に。
『なんでもう寝てるのよ? 早過ぎや。自分はええ坊ちゃんとこの小学生か』
「関西なツッコミはやめてくれ。体調悪いから軽く横になっていただけだよ」
『え、体調悪いの? 風邪引いちゃった? 大丈夫なのそれ、って桜? ちょ、桜待っ……わ、分かったって代わるから』
ん? 何やら向こうでバタバタと騒いでいるけど……どしたの?
『と、兎月、今から桜に代わ…もしもし!? まー君?』
「火祭?」
急に水川から火祭に代わった。あとあんまし大きな声出さないで。頭に響くからぁ。
『だ、大丈夫? 熱があるの? ちゃんと水分取っている? 暖かい格好してる? お薬飲んだ?』
「多い多い、質問が多いってば!」
なだれ込むように怒涛の質問ラッシュ。心配してくれるのは嬉しいけど、ちょっと落ち着いてよ。
『だ、大丈夫なの?』
「まあ、そこそこ」
『ちゃんと寝てないと駄目だよ?』
あ、あなた達が起こしたんでしょうよ。何言ってるのさ。いや、水川達は俺が風邪気味だと知らないで電話したのだから悪くないよな。悪いのは風邪引いた俺……ってあれ? 俺が悪いの!?
「そっちはどうなの。三人仲良くやってる?」
火祭と春日が心配だ。あの二人、俺と絡むとどっちかが機嫌悪くなるからな。ちゃんと仲良くしてる?
『うん、こっちは楽しいよ。三人で大きなお風呂に入ったよ』
「マジかよ!? うはーっ!」
米太郎うるせーよ! 俺のすぐ傍で聞き耳立てていた米太郎は火祭のお風呂発言を聞くや突然奇声を上げて踊りだした。き、気持ち悪っ。ふしぎなおどりはやめい。
『な、何今の声? 佐々木君の声?』
「あ、ごめん聞こえちゃった? そう米太郎が興奮しちゃって」
『………真美がサイテーだって』
どんどん嫌われていくなぁ米太郎は。行く末は変態貴公子だな。隣でテンション上がりっぱなしの変態貴公子はほって置いて火祭と会話再開。
「楽しくやっているならいいんだ。あんまし夜更かししたら駄目だぞ?」
『えー? そうはいかないよ。春日さんとは色々と話したいし』
春日と? 何を話すのやら。喧嘩だけはしないでね。
『あ、ちょっと待って。春日さんと代わるね』
火祭の声が途切れて、そこからはひたすら無音。
「……ん?」
『……』
……春日さん? お電話代わったんじゃ……あれ?
「もしもし、春日?」
『……』
この感じ……春日だ。電話じゃ分かりにくいが電話の向こうに人の気配を感じる。明らかに春日がいる。そして俺の問いかけに無視しているのだ。こ、こいつ……! 人が痛む頭を上げて電話に出ているってのに無視はあんまりでしょうが。
「か、春日? 応答願いますぅ」
『……』
またもや無言。しょうがない、押して駄目なら引いてみろってやつか。
「出ないか。じゃあ切るな、おやすみ」
『待って』
「出るじゃん!」
ほ~らカマかけたら、すぐに返事きた。電話でも無視してんじゃないよ。
『……別に』
「何がだよ。それより体調はどう? 風邪ひいていない? 怪我は大丈夫?」
あ、俺も質問しまくりだ。火祭のこと言えないな。
『……大丈夫』
おぉ、良かった。春日が風邪引いたとなると、それは俺のせいなわけで。電話越しに頭を何度も下げなくてはならなかった。前川さん状態になるところだったよ。
『……兎月は?』
「俺も大丈夫だよ」
『……さっき体調悪いって』
「少し気分が悪いだけだって。寝れば良くなるよ」
『……早く寝なさい』
なっ……だ、だからあなた達のテレホンで起こされたんだって。何この俺が悪いみたいな感じは!? やっぱり俺が悪いのか!?
「ね、寝ます。そっちも夜更かししたら駄目だからな」
『……』
「……ほどほどにね」
『……うん』
はぁ、返事してくれた。何をそんなに深夜まで話すことがあるのやら。
「じゃ、おやすみ」
『……うん』
そこはおやすみって言ってほしかったな。うん、ってそんな無愛想にしなくても……。
『あっ…………もしもし? まー君?』
春日の声から火祭の声に代わった。火祭が無理矢理奪ったのかな? 何やら電話の向こうが騒がしいけど。
『ちゃんと寝るんだよ。水分取って、しっかり着込んでね』
「う、うん、分かった」
まるでお母さんだな。火祭はきっと良いお母さんになるであろう。春日と違って。
「じゃ、おやすみ」
『うん、おやすみなさい』
……き、キター! これだよこれ。このおやすみなさいを聞きたかったんだよ。耳を撫でるかのように柔らかで心地好い響き。あぁ……毎日聞きたい。つーか火祭と結婚したい! ははっ、調子乗っちゃいました? すいませんね、興奮しちゃって。
「おい将也、俺に代われ」
「ぐあっ」
ささやかな幸せに包まれていた俺を薙ぎ払うように米太郎が押しのけやがった。そして奪われる携帯。こ、この野郎!
「もしもし、佐々木だよ。ねぇねぇ、お風呂三人で入ったんでしょ? 誰の胸が一番大きかった? ねぇ、教え……あれ? プーップーッ言ってるけど……もしもし、聞こえてる? あれ、嘘……切られた!?」
電話も切ったし、火祭達もキレてると思う。この変態貴公子に常識とデリカシーはないのか。
「将也ぁ、電話切られた」
「ドンマイ。つーことで俺は寝ます。いい夢見れよ米太郎」
「待て」
あ、まだ何か言いたいことでも?
「人がせっかく泊まりに来たんだぞ、遊ばなくてどうする!」
そう言ってゲーム機の電源をオンにする米太郎。いやいや、俺自身はもうオフ状態だから!
「ふざけるな、俺は体調悪いんだよ。夜更かしでゲームなんてしたらさらに悪化するっての」
やるならお前一人で勝手にやれ。レベル上げよろしく。しかし隠しボスとは戦うな。その楽しみは俺にやらせろ。
「ほう、そう言って逃げるのか。情けないな」
「そんなもやし並に安い挑発に乗るとでも思ったか。頭を品種改良して出直してこい、馬鹿お米太郎が」
「やれやれ、まさか将也がこんなヘタレもやしだとはな。や~いチキン野郎」
……んだと? 今……ヘタレって言ったか?
「……上等だ。確かに俺はヘタレだがなぁ、お前に言われるとすっげームカつくんだわ!」
こんな安い挑発でムキになるのは馬鹿げている。けどここで引き下がるのは我慢ならねぇ!
「お、やるか?」
「俺の格ゲーの強さ教えてやるよ……完膚なきまでにぶっ潰してやる!」
「イエー! それでこそ将也だ。朝までバトろうぜ!」
うおおっ、やってやるぜ!
そこから朝までの記憶は残っていない。




