第63話 十秒の命運
「……」
「……」
……なんでここにいるのだろうか?
「……」
「……」
駒野先輩と金田先輩は教室に戻ったし俺も教室に戻ろうとしたら……春日に引き止められた……。俺と春日って会ったらいけないんだから、これはマズイんじゃないの? 食堂に二人でいていいのかよ。
「……」
「……」
俺と春日……こうして二人きりでいるのは数週間ぶりだ。こうして顔を見るのも……いや、まともに直視できない。テーブルに座ってからも春日と顔を見合うだなんて一回もしていない。気まずいんだよ。照れとかそんなことを言っているんじゃない。ただ気まずい。俺と春日……二人は会ってはいけないのだから。だったらなんでここにいるんだよ……俺達は。
「……」
「……」
春日も何にも喋んないし、どうしたらいいんだよ……。視線をテーブルに落とすが、そこに何もない。何もないのだ……。耳を掠める周りの騒音がやけに静かだ。視界の端でうごめく生徒の姿がモノクロとなってぼやけて見える。なんだよこれ……どうしたらいいんだよ。
「……とりあえず二週間ぶりだな。こうやって二人でいるのは」
「……」
とりあえず無視、と。相変わらずだな。これじゃ金田先輩も大変だろうに。
「親父さんのプレゼント選び、付き合えなくてごめんな。金田先輩と行ってくれよ」
「……」
なんだよ……。
「この前さ、前川さんに会ったよ。春日のこと随分と心配していたぞ。何かあったのか? あんまし心配かけさせんなよ」
「……」
なんだよ、これ……何なんだよ……俺。なんで、なんで、こんなに声が震えているんだよ、俺は……。まともに春日と目も合わせず淡々と喋る俺は一体何なんだよ……どうしたんだよ……くそっ。
「あの、さ……俺と春日って会ったらいけないんだろ? だったらこうしていたら駄目だろ……」
「……」
逃げ出したい。この場から今すぐ立ち去りたい。居づらいとかそうじゃなく、ただとにかく逃げたい。こんな真正面から春日と向き合いたくない。そんな勇気なんて俺にはない。だから何なんだよこれ……どうしたんだよ俺。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……何か喋ってくれませんか?」
「……」
頼むから何か喋ってください。もう俺から問いかけるのは無理です。これ以上は震えが止まらなくなりそうだから。
「……兎月」
「……何?」
「……何か言いたいことない?」
はい? 俺がですか……ない………はず。な、何を春日に言うことがあるんだってんだ。……………もし、仮に、ひょっとして、万が一、何か言うことがあっても……言うべきじゃない……。そんなの言うべきじゃない。
「っ……と、特に言うことはないよ。強いて言うなら末永くお幸せに、とかぐらいだな」
「………そ」
すると、春日はスッと立ち上がり、
「さよなら」
俺を見ることなく、ただそれだけ言うと春日は去っていった。会話した時間、たったの十秒。その十秒で俺達の関係は完全に壊れた。正直、今まではなんとなく曖昧だった。ただ会わないだけの微妙な関係。でも今ので全て終わった。……さよなら、か……。もしかすると、ここで俺が本音を言っていれば……あるいは………。いや、そんなこと……っ、
「……はぁ」
あ~……これ間違いないな。今のわずか十秒の会話、今までの俺の人生の中で一番重要な場面だった。あそこで俺は決断するべきだった。言うべきだった。そうだったに違いない。
「……マジで後悔するわ………」
春日も……ひょっとしたら俺が言ってくれることに期待していたのかな……俺が言っていれば春日も頷いてくれていたのかな……? ……どっちみち、もう遅いけどね。俺達はたった今、終わったのだから。下僕どころか、もう全ての関係を絶ったのだ。俺の言葉と、春日の、さよなら、の一言で。もう戻れないのだから。
「……はぁ」
テーブルすらも白黒の無感情な色に見えて、声の震えはずっと止まらなかった。